ちば環境情報センター ニュースレター第127号

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2008. 2.6 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. ライスショック
  2. いま、千葉の白鳥に起こっていること
  3. 新米主婦のえこ日誌 F 〜私にもできること:バレンタインチョコ 〜

ライスショック

千葉市緑区 高山 邦明  

 サングラスをかけた金髪の大男たちを大勢乗せたトラックが列をなしてゆっくり進んでいく。その前に広がる広大な緑のフィールド。点々と立てられた看板には「Hitomebore(ひとめぼれ)」、「Akitakomachi(あきたこまち)」、そして「Koshihikari(コシヒカリ)」と書かれています。これはアメリカのカリフォルニア・サクラメントバレーで行われたコメの品種発表会の光景です。地平線まで緑が続く大地に大型トラックが走る道路。私たち日本人にはとても水田に見えません。品質の高さからコメの頂点に君臨し、栽培の難しさからかつては日本以外では作れなかったコシヒカリが広大なカリフォルニアの田んぼで大量に育てられ、そのコメが昨年9月に初めて日本に輸入されました。
この衝撃的な映像を伝えたのは昨年10月にNHKが放映した「ライスショック」というスペシャル番組です。「世界がコシヒカリを作り始めた」、「危機に立つコメ産地」という題名で2回に分けて放送された内容は谷津田の保全に取り組む私たちにも直接関係するテ−マであることから皆さんに広くお伝えしようと筆をとりました。
コシヒカリはアメリカだけでなく、中国、タイ、台湾など世界各地で栽培されているそうです。カリフォルニアの稲刈りでは麦の収穫に使うような幅が10mくらいある巨大なローラーを回してすごい速さで作業が進み、コンバインを使っても丁寧に株の根元を切る日本流とは大違いです。大型機械を使い広大な土地で作られたコシヒカリの値段は10kgで1500円と破格の安値です。中国でも土地の気候にあったコシヒカリの品種改良が行われ、安い労働力で安価でおいしい米づくりが実現しています。
「いくら安いコメが海外から入ってきても日本の消費者は日本のコメを選ぶはず」という楽観的な見方がかつてはありました。しかし、外国産コシヒカリの食味は国産と区別がつかないほどに向上しているそうです。それに中国やアメリカ産の米はすでにたくさん国内に入ってきていて、レストランや弁当店、せんべいなどの加工米用にコスト対策として広く使われており、私たちは知らないうちに外米を口にしているのです。日本人一人あたりのコメ消費量は1960年の120kgから半減しており、コメへの関心が下がるにつれて外国産米をますます容易に受け入れるようになるのではという心配があります。

 自由な貿易を推進するために1995年にWTO(世界貿易機関)が発足したのに伴い、日本は国内消費量のおよそ1割のコメを輸入することが義務付けられました。それだけでも大変なことなのに、高い関税で守られている日本のコメ輸入に対する海外からのプレッシャ−は大きく、さらなる自由化に向けた交渉が続けられています。完全自由化されたらどうなるのか?−その例として台湾が紹介されました。ス−パ−マ−ケットには世界各地のコメが並んでいてコシヒカリ一つにしてもいろいろな国で作られたものを選ぶことができます。値段も高級米から低価格米まで様々で、激しい米ビジネスが展開されていることがうかがえます。その背後で気になる台湾の農業への影響ですが、やはり米づくりで生計を立てられなくなった農家が多く、米作を放棄したり、離農したり、会社との契約農家になったり(会社から厳しく管理される)、農村に大きな変化が起こったようです。空き家が目立ち、金融ロ−ンの看板があちこちに貼られている農村風景には痛ましいものがあります。日本でも自由化されたらこうなるのでは・・・と想像するとぞっとします。
高まる米市場開放への内外の圧力の中、外米の流入にも負けない「強い農家」を作ろうというのが日本政府の方針です。全農家戸数のおよそ半数が水稲作付面積0.5ha以下であることから、これを集約して大規模化した農家に政府の支援を集中しようという考えです。農業の現場で起こっている現状を秋田で取材した様子が紹介されましたが、集落営農を進めても昨今の消費者の米離れによる米価下落の中ではとても厳しい状況にあるようです(2007年は農協の買い取り価格が前年の2/3に減った地区も)。40年前から大規模化のモデル農村となっている大潟村でさえもコスト割れぎりぎりで、村の1割の農家が経営危機にあるとのことです。大型化といっても大潟村の15haに対し、カリフォルニアでは1,500haの水田で大規模機械を使ったあきたこまちの稲作が行われていて(コストは大潟村の1/3!)、輸入自由化されたら太刀打ちできないのは目に見えています。低農薬米やインタ−ネット直販などあの手この手の工夫は凝らされているようですが。
大規模化ができない零細農家はどうかというと、政府の保護対象から外され、後継者がなく高齢化が進み、自分の代が最後とあきらめながらぎりぎりのところで先祖代々の田んぼを大切に守っています。千葉の谷津田の多くはこの中に含まれるのでしょう。

  


番組では米市場開放の問題点として、40%を切っている食糧自給率が一層下がることを強調していました(コメが自由化すれば13%に!)。先進国でここまで低い国は他になく、たとえば欧米で乳製品の自給率が70%を切ったらパニックが起こるだろうと大学の先生がコメントしていました。主食が国内で生産できなくなることを許す国は世界に例がなく、至れり尽くせりの方法で守るそうで、ナショナルセキュリティの問題とのことです。いつでも海外から食料を手配できるのか?将来にわたり買い続けられるのか?成長に伴い大量のエネルギ−や食料を探し求めているお隣中国の最近の動きなどを考えると本当に心配になります。
この番組で一つ残念だったのは米ビジネスの話題が中心で水田が持つそれ以外の機能について話題が及ばなかった点です。インタビュ−の中である大学教授が「米も工業製品と同じように考えるべき。自給率を維持する方がはるかにコストがかかるのだから輸入を進めるべき。」と語っていました。果たしてそうでしょうか?工場は製品しか生み出さないばかりか、廃水や廃ガスなど環境に負荷を与える物質を出します。一方の田んぼは米というビジネス商品を生み出すばかりでなく、豊かな生態系を育み、優れた環境を作り出し、水質浄化やダムの役割も果たすなど、いわゆる「多面的な機能」を持っています。国内で米を作ること、国産の米を食べることは国土の保全につながるのです。水田景観が持つ癒しの効果や稲作と共に育まれた日本固有の文化も大切な付加価値です。
下大和田や小山町での米づくりを経験して、米の値段が安すぎるのではないかと常々感じています。それは単に米づくりに手間がかかるという理由だけでなく、稲作と一緒に生み出される生きものなど様々な価値を考えてのことです。こればかりは米づくりを経験したり、田んぼの自然に直接触れてみないととなかなか実感できないことでしょう。テレビゲ−ムや塾で忙しい子どもたちの自然離れが進むと、田んぼの価値も理解できない人が増え、安いカリフォルニア米を喜んで食べるのが普通になってしまうかもしれません。日本の米市場開放についての熱い議論はまさに今、進められており、私たち一人一人が注意深く見守る必要があります。谷津田プレーランドプロジェクト(YPP)などを通じて進めているちば環境情報センターの谷津田保全活動の意義を考えるとき、このようなより大きな視点も大切なことを考えさせてくれる番組でした。

いま、千葉の白鳥に起こっていること

東京都文京区 荒尾 稔 

 1.千葉県印旛郡本埜村の白鳥越冬地では、白鳥群の生活スタイルが一気に変化してしましました。 
この地域には推定800羽を超す総数(うちオオハクチョウが32羽程度)がここをねぐらにしていましたが、最新情報では夜遅くなっても総数が200羽以下の状態に。
ほとんどが複数個所をねぐらとして戻らなくなったとのことです。代わりに12月に入って推定3,000羽といわれるオナガガモが殺到し、白鳥のための餌を横取りしオオハクチョウもいるために、コハクチョウはほとんど餌にありつけない状況とのこと。

2.いままで、ここにはオナガガモがほとんどおらず、この急な出現には驚きが。ちょうど東京都が肥えて飛びにくい鴨「メタボリックガモ」を話題として、鴨への餌付け行為を実質的に禁止してしまった時期とも重なり、なにか符合します。
結局、上野不忍池では、オナガガモは急減し1/3以下に。1,000羽単位で減少しています。(どうも東京都は鳥インフルへの警戒が、このような行為となっているのでないかとの意見が多い)

3.ことしは、印旛沼周辺では2番穂に実がきちんと入っています。落ち穂がたくさんあります。そして米価の低迷によって、意欲を喪失した農家が多いのか、いままでになく「耕起」されない田んぼが至る所に出現しています。まさに雨が降れば白鳥のえさ場に、それよりもしっかりとしたねぐらが形成できれば、万単位でマガン等が出現しても、少なくとも餌は落ち穂や2番穂が確保できそうだなと考えてもいます。
それらの何箇所かへ、特に栄町の新海さんの田んぼ、及びその周辺には現在はコハクチョウ多数が定着しています。自然に取れる米を中心にした餌そのものは、耕起しなければどうもふんだんにある模様です。野生化した白鳥の群れは、2番穂も落ち穂もたくさんある状況となってきています。

4.白鳥の野生への回帰は、千葉でみると加速度的に進みだして、かつ自立をしだしています。家族単位でのフアミリーが、まだ5個所程度ですが、印旛沼周辺では気がつきだされて、質問が増えてきました。
学習という言葉は、中国で白い羽根の家族に学ぶ(白鳥のこと?)と言われるらしいですが、親子の情愛の姿を学ぶという、ふゆみずたんぼ等を介し、白鳥の自立化を目撃して喜び、そしていろいろなことから「印旛沼の地域の再生は俺たちがやる‥」と、自立の宣言をする農家の方も出てきています。
本当に頼もしい方々です。

5.これら、白鳥の新たなねぐら形成が進みだしている個所は、ふゆみずたんぼをはじめとして、ごく自然にそうなってきました。でも、その箇所で持主の農家の方と話と、戦後の農地解放までの、かっての地主さんで、300年から400年以上の農業の歴史を背負った方々ばかりなのに瞠目します。
地域を自分たちで管理する。当たり前のことに、いま気がつきだして率先して、ふゆみずたんぼにも取り組みだしている方もで出しています。農家の方々の自立が始まれば、これこそ大きなエポックとなるでしょう。
6.再度記載しますが、利根川下流域の茨城県菅生沼から、新利根町、栄町+本埜村、北印旛沼、香取市堀之内、東庄町夏目の堰までの白鳥の塒が点状につながって、さらに面となって、そこへいつの間にか雁が入り込んでくる。多様なカモやクイナ、サギ類が、そして春や秋の渡りの時期だけでなく、白鳥島と一緒に越冬するタシギやクサシギ、キアシシキ、タゲリなどが入り込んでくれば素晴らしいなと考える最近です。
7.あくまでも、日本の田んぼ等での生態系は、稲作による年間を通じた湿地形成と、2000年以上に亘って連綿と続いてきている稲作農法技術に裏打ちされ、環境の撹乱行為にあわせて形成されていると考えられます。
千葉の里山のケースと同様に、地域のなりわい(生業)として張り付いて生活をしてきた農家の方々の、特に生産物を得るがための攪乱行為があっての生物多様性の発露だと考えています。
 日本の農業は、日本文化の原点でもあり、日本の中小企業でのもの作りありようは農業、特に稲作技術そのものです。
いま、最も大事なことはこれら400年以上もの歴史を持ち、地域での指導力を発揮できる地権者の方々を応援して、今の時代に即した生活手段の再構築を進めてもらうことにあると確信します。

8.日本の白鳥の自立化はとても意味深です。白鳥とは寿命がドックイヤーとして(ほぼ犬とおなじ)、 日本人の生活ぶりを先取りしてくれていると考えています。世界を旅する人間のパートナーとして、対等に付き合ってあげることが今後のあり方だと考えてみたらいかがでしょうか。

9.キーワードとしては、ふゆみずたんぼ、不耕起栽培、かっての地域の庄屋(地主)、雁類・鴨類・白鳥の渡来動向白鳥への餌付け、白鳥の自立化、農家のなりわい(生業)の再構築支援、田んぼを介した地域でのふゆみずたんぼによる湿地の復活。


 

新米主婦のえこ日誌 F 
〜私にもできること:バレンタインチョコ 〜

              山武郡大網白里町 中村 真紀 
  もうすぐバレンタインディ。街にはチョコレートがあふれる季節になりましたね。貴方は甘いチョコが好きですか?どれ位食べますか?そしてそのチョコがどんな風に作られているか知っていますか?
 日本で使われているカカオ豆(チョコレートの原料)の80%はガーナ産。ILO(国際労働機関)の発表では、ガーナ等の西アフリカにあるカカオ農場では、何十万人もの子供達が危険で厳しい労働をさせられているそうです。「学校へ行ける」と言う人身売買ブローカーの言葉に騙され、親に安く売られた子供達、1日12〜14時間も無報酬で働かされているそうです。
 「チョコレートはアフリカの子供達の血と涙でできている」という言葉、決して大げさではありません。
そんなカカオ豆を安価で輸入し、1つ1つ綺麗にラッピングし、おしゃれに売られているチョコレート。大切な人にバレンタインチョコを選ぶ時、一休みにチョコのお菓子を食べる時、原産国をちょっとチェックして、そんな事を少しでも考えて頂ければと思います。
 私の場合は今年も夫にフェアトレードのチョコを贈ります。フェアトレードとは国際NGO等が間に入り、弱い立場になりやすい第三国の生産者にもきちんと公正な賃金が支払われている新しい貿易の形です。環境に配慮している商品が多いのも嬉しい点です。チョコの原材料はオーガニックで安心、口の中がやさしさでいっぱいになる、そんなおいしさです。
そしてそろそろ私達も結婚1周年。まだまだチョコレートのとけやすい関係です。
ハッピー・バレンタイン!

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ニュースレター3月号(第128号)の発送を3月7日(水)10時から事務所にておこないます。
発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。


編集後記: 先日、15年前に川崎市の小学生が風船で飛ばした手紙が、銚子沖の海底からカレイとともに引き上げられ、本人に返されたと言う報道があった。手紙はほとんど傷んでいなかったという。美談である。しかし見方を変えれば、15年間「ゴミ」として海を漂っていたともいえる。考えさせられる話であった。 mud-skipper