ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第131号
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千葉市中央区 高橋 克行
あと2ヶ月後にせまったこの日、末広がりの八が3つ並んでいます。何の日かご存知ですか?北京オリンピックの開会式が行われる日です。ところが、スポーツ以外のところで物議をかもし出している北京オリンピック。いろいろな人が、いろいろな立場で考えるところがあると思います。私は例によって大気汚染の立場から見た、今年のオリンピックについて書いてみたいと思います。
今回のオリンピックほど大気汚染を心配する声が聞こえてくることはありません。そんなに北京の大気汚染はひどいのでしょうか?確かに、2000年現在の北京の大気汚染は世界の主な都市の中で最も悪いとする資料もあります。そのため、北京ではオリンピック開催期間中に工場の操業がストップし、自動車の通行も大幅に規制される見込みです。そのため北京市内の汚染物質の排出量はかなり低減されると思われます。ただし、海外の研究者は周辺の都市にも制限をかけなければ、そこから北京に流れ込んだ汚染物質だけで健康影響が心配される汚染の程度になるだろうと予測しています。
それでは、これまでにオリンピックが開かれた都市の、その時の汚染と比べた場合はどうなのでしょうか?最近では2004年のアテネだって大気汚染がひどいといわれました。その少し前は1996年のアトランタでも大気汚染対策のために、自動車の通行を制限するなどの処置を行いました。都市で開催する以上大気汚染は避けて通れない課題のようです。
そして、44年前、1964年の東京はどうだったのでしょうか?10月10日の開会式当日、世界中の青空を全部東京に集めたといわれるような日本晴れでした。でもその当時の大気汚染物質の観測資料をみると、今では信じられない数値が並んでいます。おりしも高度成長時代のまっただなか。浮遊粉じんの濃度は1962年に、二酸化硫黄の濃度は1967年にピークを迎えます。そして、このころに作られた千葉市内の小学校の校歌に「黒い煙に町は栄え」というフレーズがあります。石炭や重油を炊いていた風景を誇りに思う時代だったのです。まさに中国の人はそのことを実感しているのではないでしょうか。自動車による公害はもう少し後に現れてきて,窒素酸化物は1971年、一酸化炭素は1967年にピークとなっています。では、その濃度を現在の北京と比べてみましょう。1969年の千代田区の浮遊粉じん濃度は1立方メートル当たり250マイクログラムと報告されています。これは現在の約3倍から5倍くらいの濃度です。先ほども述べましたがピークは1962年でしたから、1964年にオリンピックが開催されたころはもう少し高かったと推定されます。一方、2000年の北京の浮遊粉じん濃度は1立方メートル当たり350マイクログラムです。こちらは、現在では多少低くなってきていると思います。つまりオリンピックが開かれたころの東京の大気汚染は現在の北京と勝るとも劣らない濃度ということができます。
当時と今を比べるのは乱暴なのかもしれませんが、今回の北京オリンピックは、今までで一番空気が汚れたオリンピックというわけではないのです。日本ではその後、急速に公害問題を克服しました。多くの人の努力のたまものです。きっと中国もすぐに、と期待してしまいますが、それこそ当時の日本と現在の中国では事情も異なるので、一朝一夕にはいかないようです。一部には大気汚染がひどいので競技に出ない選手もいるようですが、幸い日本の選手はみんな代表に選ばれたことに誇りを持って出場してくれそうです。日本選手団の活躍に期待しましょう(ただ、あの、あおるような報道には閉口しますが)。
みなさんもマラソンで北京の町並みが映ったときは注目してください。40年前の日本が見えてきます。
<参考資料>日本の大気汚染の歴史(2000):公害健康被害補償予防協会
千葉市緑区 渋谷 雄二
一口にタネと言ってもいろいろありますが今回は植物の種のお話です。地面に根を張って移動したくても動けない植物ですが種の時だけは離れた場所に移動することができます。残念ながら移動した先で厳しい環境の中で無事に発芽して成長することができる種はごくわずかです。
植物はこの厳しい環境を克服し、無事に種を発芽に成長させるために何世代も工夫を凝らし、進化してきました。それでは種の散布方法についていくつかご紹介します。
☆はじける種
マメ科の植物(カラスノエンドウやヤマフジ等)には果実が成熟して乾燥するとサヤがパチンとはじけて種が飛びます。いわゆる我が子の旅立ちです。親からできるだけ遠くに飛ばすなんて・・・一見、種(子供)にとって残酷な様ですが、日当りや水はけが良く、発芽しやすい環境のところ種を飛ばす。・・・植物にとって子孫繁栄のために大切なことなのです。
マメ科の植物以外ではスミレの仲間も小さな種をたくさん飛ばします。どの位飛ぶのか実験してみると面白いでしょうね。
☆風に乗って<空中散布型>
風で運ばれる種もたくさん種類があり、特別な仕掛けを持っています。これらの種は風に乗って親からできるだけ遠くに離れるための工夫をしています。
そのためには:1.ゆっくり落ちる。2.高い位置から飛び出す。3.強い風に乗る。等の条件があります。
1.ゆっくり落ちるためには空気の抵抗を大きくすることが必要です。空気抵抗が大きければ大きいほど遠くまで飛ぶことができるのです。タンポポやテイカカズラに見られる冠毛、カエデやウバユリ、クロマツの種に見られる様な翼、埃の様に微細で軽い綿の種がこれに当たります。
2.高い位置から飛び出す。例えばタンポポやオキナグサなどは花を咲かせた後にさらに茎を伸ばし、結実させて高い位置から種を飛ばします。
3.強い風に乗る。:弱い風では遠くに飛べません。タンポポに強く息をかけると飛びますよね。
(飛びます!飛びます!)
☆ 水の流れに乗って<水による散布>
水辺に生育している植物の多くは種を水に浮かべて散布しています。一口に水辺と言っても川もあれば湖沼もあれば海の入り江もありますがひとたび水面に落ちた種は水の流れに身を任せ、風などの影響を受けて漂流の旅を始めます。中には旅の始めにしてすぐ岸に打ち上げられるものも(ハマシオン等)あれば海の入り江に近い種は満ち引きする潮と一緒に外海に出て異国の地の入り江にたどり着くものもあるでしょう。正しく種の冒険ですね。
「椰子の実」は歌詞のとおり、何千kmも離れた遠い南の島から黒潮に乗り長い旅をして日本の海岸(主に太平洋側)にたどり着くそうです。
水に流される種の条件としては、@比重が軽いこと。A防水性があることが大切です。そういえば歌の「夏の思い出」…夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬。の歌詞にでてくるあの水芭蕉の種も雪解け水の流れに浮かんで種を散布します。
☆動物を利用する<動物による散布>
@ ドングリのゆくえ
ドングリの仲間は自分で地面に落ちて、斜面をコロコロころがったり、動物に運ばれたりします。リスやネズミ、カケスなどの動物は餌の不足がちな冬に備えて秋に餌を元の木から離れた地中などに貯めこむ習性があります。
ドングリの実は脂肪分が多く高カロリーの栄養食品です。貯めこまれたドングリたちの一部は食べ残されたり、忘れられたりします。そこでドングリたちが発芽できる訳ですね。下大和田のコナラのドングリは動物に関係なく雑木林の中でたくさん発芽していましたね。
A 小さな木の実と鳥
木の実の中には鳥がついばむに丁度良い大きさのものが多く、熟すと赤や赤紫、黒い実が鳥を誘うのに適している様です。鳥は木の実を丸呑みして果肉を食べ、身を軽くして空を飛ぶため、種を吐き出します。吐き出された種が発芽する訳です。
日本列島では木の実の運び手として照葉樹林につく鳥と言われているヒヨドリが重要な役割を果たしている様です。(ピーヨ、ピーヨ)木の実と鳥は密接な関係があるんですね。
B 果実と動物
ほとんどの人は甘くてみずみずしい果物が大好きです。日本列島に住む哺乳動物の中にも果物が大好物の動物がいます。ニホンザルとクマ(本州ではツキノワグマ)です。果実からは動物のエネルギー源となる糖分と水分を同時に取ることができます。
日本列島の森にはカキ、ヤマモモ、ヤマブドウ、柑橘類、サルナシ、ビワなど甘くてみずみずしい果物がたくさんあります。果物たちはただ動物に食べられるだけのため実を提供しているのではありません。例えばニホンザルがビワを食べたとしましょう。ビワの種は大きいので飲み込まないでその場で吐き出します。サルナシを食べた場合は種が小さいのでそのまま飲み込んでしまいますがその種はサルの消化管を通って糞と一緒に肥料付きで外の排出されます。・・・サルナシにとっては大変好都合なことです。
C アリが運ぶスミレの種
春はスミレの季節です。春先の日当りの良い雑木林にはたくさんのタチツボスミレの花が咲いています。
スミレの種には良く見るとエライオゾームと呼ばれる白い粒が付いています。これは脂肪酸を多く含むアリのご馳走です。
どういう訳かアリはエライオゾーム付きのスミレの種を巣の中に運びエライオゾームだけを食べ邪魔になった種を近くのゴミために捨てます。そこで残されたスミレの種が時期を見計らって発芽するという仕組みです。
D ヒッチハイクする種
種の仲間には自分の力を使わずに動物の体に付着して運んでもらうちゃっかりものいます。コストのかかる果実を用意しなくてもカギや粘液などを種のまわりに付けておくだけで良いのです。
皆さんが良くご存知のオナモミやイノコズチは、カギ状の突起でチチミザサは粘着性の物質で衣服や動物の毛皮にくっつきます。この他にもヌスビトハギ、アメリカセンダングサなどもそれぞれ工夫を凝らしてくっつきますね。
この他にも渡り鳥の羽毛に絡まって運ばれる種もあるそうです。以上聞きかじりですが植物の種の散布についてのお話しでした。
参考文献: 鷲谷いずみ,埴 沙萌著(山と渓谷発行)「タネはどこからきたか?」(写真もたくさん載っていてとても分かりやすいお勧めの本です。)
千葉市緑区 あすみが丘小学校3年 江澤 元太
午前中は田起こしだった。最初はまじめに田起こしをしていたけれど、いきなり、ドロを投げたくなってきて、金谷さんにドロだんごを作って投げた。そして、ドロの投げ合いになり、ドロ戦争になった。最初は金谷さんと二人だけだったけれど、途中から大地君が入ってきて、大地&元太VS金谷さんになって、ふたたびドロ戦争を始めた。金谷さんの立っている場所がわるく、ドロ水がある所だったので、ぼくが投げた株はドロ水のある所に落ちて金谷さんのあちらこちらに飛び散った。
午後は「ドロリンピック」をやった。種目は、二人三脚、玉とり、株当て、宝とり。ぼくが一番楽しかったのは、二人三脚と宝とりだった。二人三脚という言葉は知っていたけれど、どのようなものかは知らなかった。ひとりで両足を結んで、田んぼの中をジャンプしてすすむ競技だと思っていた。最初に大地君の足とぼくの足をゴムで結んで練習してみたけれど、全然いきがそろわなかった。おかあさんと金谷さんは超いきがあっていた。ぜったいに負けると思った。よういドンと言って、最初は、ももちゃんたちのチームがリードしていた。ゴール直前でももちゃんたちを追い抜かした。たおれるようにあぜにタッチしてゴールした。一等になってひょうしょうされる時に、いちばん最初の種目だったので、どういうふうにひょうしょうされて、どういうプレゼントがもらえるのかが楽しみだった。パーンパーンパパーンパーンパパパパパンパンパーン♪パパパパパンパンパーンパーンパンパンパーンパパーン♪そして、プレゼントはお米引き換え券だった。収穫祭の時、どのくらいのお米がもらえるか楽しみだ。
宝とりは、マシュマロみたいな形のはっぽうスチロールを高いところからあみでふらせて、それを一番多くとった人の勝ち、というゲームだ。口でちょくせつキャッチすると5点。ひろったものは1点。おかあさんは口でとるのをねらっていたけど、全然とれていなくて、ひろった方がはやいのに、と思った。ぼくは田んぼに落ちたのをひろって、つぶして持った。おわりのフエがなって、金谷さんがいっぱい持っていそうだった。数を数えてみて、さいしょにおかあさんが5こでリタイアして、次にももちゃんと大地君がリタイアした。ぼくは金谷さんに1こ差で勝った。
ドロリンピックは、やる前どんな種目があるのか楽しみだったけど、やってみたら全部楽しかった。今度は、みんなが楽しめるような種目をぼくが考えて、みんなで楽しんでもらいたいです。
新米主婦のえこ日誌 J
山武郡大網白里町 中村 真紀 |
発送お手伝いのお願いニュースレター7月号(第132号)の発送を 7月7日(金)10時から事務所にておこないます。 |
編集後記:雨のよく降った5月でした。気温も上がらず、田んぼ育ちのコシヒカリの苗が、田うえに耐えるだけ大きくなれるか心配でしたが、5月17日に何とか植え付けることができました。6月2日、平年より6日早く関東地方が梅雨入りしました。通勤通学にはいやな雨ですが、生きものにとっては恵みの季節です。 mud-skipper