ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第138号
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千葉市花見川区 深山 貴道
テレビ、新聞等ではこの2年ほど資源物の高騰という内容がそこかしこにあったことは、皆様ご存知のことと思います。非鉄(ステンレスやアルミなど)が盗難にあったというニュースも数多くありました。この状況は「資源バブル」と言っていい状態だったわけです。
では何故ここまで価格が上昇したのか?様々な説がありますのでここでは割愛しますが、結果として特に鉄は戦後最大の価格にまで上昇しました。一例ですが、数年前には不法投棄されていた鉄が3ヶ月前には1トン6万円で売れたのです。
さて、今日の本題はここまでの景気のいい話ではありません。その逆です。
資源物・・・鉄、非鉄、古紙、ペットボトルなど、資源として流通してきたものの殆どが大暴落しました。
サブプライム問題に端を発した金融や不動産業界、最近ではBIG3やシティなど大手の企業ですら存続が危ぶまれる中にあって、資源物の価値は急激に落ち込みました。そもそも資源物は相場で動いていると言っても差し支えありませんので景気が悪ければ一緒に落ち込みます。
資源物の価格は需給バランスによって均衡が保たれるのですが、わが国では回収システムが非常に発達していますので、コンスタントな供給が可能になっています。これは裏を返せば需要が冷え込めば一気に供給過剰になり、結果として価格の下落に繋がるという図式です。また、景気が良くていくらでも売れる時には少々粗悪品でも売れてしまいますが、このような物は需要が冷え込めば真っ先に行き場を失います。要するに今は完全な買手市場ということです。
最近の状況ですが、非鉄を例にあげますと、1トン10万円以上で売却していたものが今は5,000円前後です。先ほど鉄が6万円という例をあげましたが、今は2千円前後です。下級スクラップでは1万2千円を逆に取られます。
このような価格変動がものの2ヶ月、急激な変化は1ヶ月くらいの間で起こりました。また、価格は毎日のように変動しますのでこの価格もいつ変わるか分かりません。
このような価格暴落は私自身経験がありませんし、古くからこの商売をしている業者でも経験がないと言っているくらいです。
古紙を例にあげますとやはり価格は下がってきました。この11月から12月だけで3回の値下がりが起きています。需給バランス上、国内古紙は年間400万トン弱が余ります。この部分が輸出に回るわけですが、輸出価格が一気に4分の1くらいまで下落し、国内メーカーも2割以上の入荷制限をしてきました。
どういうことかと言いますと、製紙会社は自社の製品価格を上げる理由として原料(古紙)及び燃料価格の高騰を前面に打ち出しました。しかし、値上げした途端にこの状況、原料の仕入価格を下げれば製品価格にも影響する上に消費も冷え込んでいる、だから減産に踏み切り、仕入を下げない代わりに入荷制限を行う・・という図式です。紙も鉄もメーカーはしっかりと利益確保が出来る仕組みになっているわけです。ただ、上場企業である以上、株主を納得させなきゃいけませんから無理もないという考え方もあるわけです。また、資源の価値は相場によって変わりますので、これはある意味仕方のない部分です。
本当の問題は、このような状況が長引いて回収した資源物の行き場がなくなることです。回収=供給はしっかり確立されており、資源業界はその受け皿としての機能を受け持っています。しかし、資源の価値が失われ動きがなくなったらどうなるのか?
メーカーは需要に応じて生産量を変えるだけ、即ち減産という手段をとるだけですが受け皿たる資源回収業界には逃げ場がありません。特に古紙はほっとけば腐ってしまいますから貯めておくことが出来ません。
このような状況では平成8年頃の古紙余剰問題、逆有償(お金を逆にもらうという造語)に戻ることさえ視野に入れとかなくてはいけません。
既に古紙問屋業界では備蓄倉庫を共同で手配して急場しのぎに入りましたが1万トン程度と聞いており現状で余っている30万トンには遠く及ばない状況です。実際に各古紙問屋でも年末年始に向けて自社倉庫に備蓄を始めていますが(注 写真)業界では資源のごみ化を防ぐためにあらゆる努力をするでしょう。しかしそれも排出者である市民の力なくしては叶いません。
回収された古紙の中には原料にならない「禁忌品」がしっかり混じっています。プラスチック、ビニールなど明らかに紙でないものも多く、資源物の品質保持の妨げになっています。
最後にお願いになってしまいますが、どうかより一層の分別にご協力賜りますよう皆様にお願い申し上げます。
市原市 山本 友子
9月千葉県議会で突然「富津市鬼泪山(きなだやま)国有林(104・105林班)から1億㎥の山砂採取するため土石採取対策審議会を開いて欲しい」という業者団体からの請願が提出されました。
房総半島は全国的にも良質の山砂を産出し、東京湾の埋め立て工事をはじめ、首都圏の開発のため、13億㎥ともいわれる山砂を供給してきました。今も羽田沖新滑走路の埋め立てのために3千万㎥の山砂採取が猛ピッチで行われています。今回問題になっている鬼泪山に隣接する浅間山は過去に1億3千万㎥の山砂が持ち出され山は消えてしまいました。跡地は緑化も不可能な茫漠たる砂地が広がり、周辺の水系に影響が出ています。
散々山砂採取を許可してきた千葉県は、新たな採取にあたっては審議会を開く事を前提とすることを決め、国有林から山砂採取を行う場合は「国家的プロジェクトの公共事業」が大前提であるとして、過去11年間審議会は事実上開いてきませんでした。そんな中、民有地の山砂を掘りつくした業者が国有林に新たに触手を伸ばしてきたわけです。9月県議会商工労働企業常任委員会では、市民ネット・社民・無所属会派から審議会開催に対して反対意見が出されましたが、自・公両党の賛成多数で採択されてしまいました。
審議会メンバーは、土石採取対策審議会(15名)の委員のうち4名が袖ケ浦、君津、富津、銚子の県議、(残り一人は民主党議員)であり、その他の審議会委員10人のうち、学識経験者4人、あとの6人は土石業界やダンプ協会、漁業農業の役員などで占められています。推進派が圧倒的多数であり、一端審議会が開かれるとGOサインが出る可能性が高いのが実情です。その第1回審議会は1月末に開催される公算が高くなってきました。
現在有志の市民が「鬼泪山「国有林」の山砂採取に反対する連絡会」を発足し、定期的に集会を開き対策を検討しています。
① 「審議会開催は慎重に!」という要望書を、知事、審議会委員の学識経験者等に提出しました。(返答はまだありません)
② 請願者である業者団体は、「ちばぎん総合研究所」作成の「国有林104・105から山砂をとればこれだけの経済波及効果がある」という調査報告書を錦の御旗にしていますが、報告書の内容はお粗末で、同研究所に対しても連絡会として抗議、話し合いを要請しています。
③ 地元でも採取の実態を伝えるチラシを配布し、反対の会が発足。地元自治体や県に対して要望書を検討中です。
④ 千葉県弁護士会公害審査会や、多数の環境保護関係の団体が署名活動を展開。
今回の山砂採取には以下の問題点があります
① 富津市民の飲み水の36%は鬼泪山系からの地下水・湧水に依存しているため深刻な影響が予想されます。(周辺民家はほとんど鬼泪山水系を利用)
②山砂を洗う際に生ずる多量の泥土が海に流れ込み、漁場を荒らします。
③ 山を削ることで土地が隆起し、地下水位に低下などの被害が予想されます。
④ 鬼泪山はマザー牧場に隣接しており、景観破壊は、観光にも影響がでます。
⑤ その他、ダンプ公害、生物の多様性の喪失などの心配があります。
⑥ 過去、業者は県に申請した山砂採取「認可量」の半分の量しか「実績」として届けていません。これは脱税行為ではないかと思われます。
子孫に房総の豊かな緑と自然を残すことは、現世代の責務です。私たちは、賛同する団体や個人を更に募っています。 藤原寿和(残土・産廃ネットワークちば)にご連絡ください。
(写真提供:金井珠美)
千葉県立市川工業高等学校 松戸市 川北 裕之
1.自然復元の切り札としてのビオトープ
小学生の頃、ニワトリの世話係をしていた。交代で餌をやり、飼育小屋の掃除をした。夏休みなどはわざわざこの役目のため登校しなければならず、たった二人で糞の後始末することもあった。ニワトリ小屋は中庭にあり、となりにはヘチマが植わってきた。花壇には色とりどりの花もあった。南側には2階建ての木造校舎があり、その向うにはグランドがあった。そして、小学校に周辺には広大な田んぼが広がっていた。もう40年も前のことである。花壇や畑、それにニワトリやウサギの小屋、コイの泳ぐ池、当時の校庭でよくみられた姿だと思う。
インターネットの「グーグルアース」を使って現在の様子を見てみた。長くのびた日本列島の衛星写真から信濃川の中流域を探して拡大していく。上空から見た小学校は、校舎は新しくなっているものの、建物やグランドの位置はそのままだ。それに対して、学校周辺は一変している。周囲に広がっていた田畑はほとんど残っていない。その場所には同じ形をした住宅が行儀良く建ち並んでいる。道幅も広くなり、大きなショッピングセンターも見える。田中角栄が総理大臣になったのは、私たちがニワトリの世話をしていた後のことであり、ここの変貌は、この地が総理のお膝元であったことを考えれば当然の成り行きかも知れない。
「ビオトープ」という言葉を知ったのは、杉山恵一氏(静岡大学教育学部)の本を読んでからである。もう15,6年前になろうか。特に「自然復元」という言葉が新鮮だった。自然復元の切り札としてのビオトープの登場である。「自然は保護するもの、一度失われた自然はもとには戻らない」という私自身の「常識」が覆された。ちょうど、松戸市内に残された50㌶もの里山が都市公園化されていた時期であった。自然の喪失を危惧していたので、「自然復元」のシンボルとしてのビオトープに大きな可能性を感じた。自分が関われる場所で「自然復元」ができないかと考えたところ、転勤した高校で創立記念事業の一環として中庭改修計画が持ち上がっていた。理科や家庭科の同僚とともにビオトープにするプランを考えた。生物室が中庭に面していたため、緑豊かなで四季折々の変化がある最高の環境を、正に手の届くところに手に入れることができた。
水源は地下水にして池には田んぼの土壌を入れた。タコノアシ、ミズアオイが花を咲かせた。クロスジギンヤンマも産卵し、翌年には新しい世代が誕生した。プラナリアも多数発生した。ミカンにはアゲハが卵を産み、畑はさまざまな作物を植えた。 昨年、ある件で創立当時に勤務していた先生とお話する機会があった。その用件の済んだ後、当時の話をされ、「まわりは田んぼばかりで、高い建物がなく遠くの駅まで見渡せた。田んぼにはたくさんのカエルやザリガニがいたが、高校の建設で多くの生物を死なせてしまった。ビオトープができて当時の生きものがもどってきて本当によかった」と。 今ではマンションに囲まれている学校の40年前 の話である。開発が進んで人口が急増したベットタウンでは当たり前のように存在した自然が失われていった。長岡と松戸、地域がちがっても40年の間似たような歴史があったようだ。失われた自然の再生は必要であり、それも教育の現場ですることの意義は大きい。 2.学校ビオトープには難しい面もある |
発送お手伝いのお願いニュースレター2月号(第139号)の発送を 2月 6日(金)10時から事務所にておこないます。 |
編集後記: あけましておめでとうございます。千葉はおだやかな正月を迎えました。というか、暖かすぎる日差しに正直?です。ベランダのレモンの木にはまだ青々とした葉がついています。スイレン鉢にはサンショウモやヒルムシロの葉が浮かんでいます。いつもは冬眠状態のクサガメも元気です。寒かった正月が懐かしいですね。 mud-skipper