ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第198号
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千葉市美浜区 田原 真司
中国の農村部に「がんの村」と呼ばれる集落がたくさんあることをご存じでしょうか。原因は場所により様々ですが、発がん性物質(または環境中で発がん性物質に転化するもの)を含んだ工業廃水が長年にわたって河川に大量に流され、灌漑を通じて沿岸の農村の地下水を汚染。それを飲み水にしてきた村々で、消化器系のがん(特に胃がんや肝臓がん)患者が多発しているのです。
「がんの村」が中国全土にいくつあるのか、詳しい調査は行われていませんが、少なくとも数百あると言われています。なかでも「がんの村」の密集地帯として知られているのが、河南省の淮河(わいが)流域です。私は思わぬ偶然から、昨年10月下旬に現地を訪ねる機会を得ました。
3カ月前のニュースレター(第195号)に、昨年9月初旬に熊本で開催された「第2回 環境被害に関する国際フォーラム」の報告を掲載していただきました。このフォーラムでは、中国の環境NGO「淮河衛士」の代表を務める霍岱珊氏を講演者として招き、私は通訳兼雑用係としてお手伝いをしました。その答礼として、霍氏がフォーラムを主催した熊本学園大学水俣学研究センターの花田昌宜教授を淮河に案内することになり、私も同行することになったのです。
有害な廃水を無処理で垂れ流し
淮河は、高低差の小さい華中平原を西から東へゆったりと流れる中国第三の大河です。支流がとても多く、その流域は河南省、湖北省、安徽省、江蘇省、山東省の5省にまたがっています。私たちが訪ねた河南省沈丘県は、淮河最大の支流である沙潁河のほとりの小さな町。霍氏の生まれ故郷で、1950~60年代は用水路からそのまま飲めるほど水が澄んでいたそうです。
ところが、沙潁河の水質は70年代から悪化し始め、80年代には河の水が真っ黒に汚れて魚やエビが姿を消しました。上流にある製紙、食品加工、皮革などの無数の工場が、有害な廃水を無処理で垂れ流していたのです。そして90年代に入ると、沿岸の村々でがんが多発し始め、妊婦の流産や先天性の障害を持つ赤ん坊なども増加しました。
この悲劇を白日の下にさらしたのが霍氏です。もともと地元紙の通信員兼カメラマンだった霍氏は、98年に親友をがんで失ったのをきっかけに、新聞社を辞めて淮河の汚染の実態調査を始めました。その過程で、がんの発症率が異常に高い村が多数あることに気がつき、衝撃を受けたといいます。
霍氏は北京などの大都市で開催される環境フォーラムに参加したり、各地の大学で写真展を開いたり、新聞に投稿したりするなどして、「がんの村」の存在と悲劇の実態を訴え続けました。地道な努力が実り、03年に中国中央テレビ(CCTV)が沈丘県を取材して「がんの村」の特集番組を全国ネットで放送。これをきっかけに、中国環境保護省が本格的な汚染防止対策に乗り出しました。その後の環境規制の強化もあり、未処理の廃水を垂れ流す工場は操業停止を迫られ、沙潁河の水質は現在はかなり改善されたとされています。
健康被害に補償も救済もなし
しかし、「がんの村」の悲劇は今も続いています。河の水質が改善しても、長年にわたって土壌に蓄積した有害物質が地下水を汚染し続けているのです。私たちは霍氏の案内で2つの村を訪ねましたが、がんの発症率はどちらの村でも上昇は止まったものの、それほど下がっていないという話でした。
こうした状況にかかわらず、村人たちは健康被害に対する補償をまったく受けていません。有害物質を河に流したのは上流の無数の工場であり、健康被害と個別企業との因果関係を立証するのは不可能に近いためです。がん患者を抱えた世帯の多くは貧困のどん底であえいでいますが、地元政府による救済策もほとんどありません。
最初に訪ねた村の長老は、「政府がやってくれたことと言えば、深井戸を掘ったくらいだ。その深井戸の水も1~2年で味がおかしくなったが、検査も修理もしてくれない」とこぼしていました。汚染がひどいのは浅い地層の地下水であり、地表から20~30メートルの深井戸を掘れば安全と言われています。しかし、何らかの理由で汚染された水が深井戸に流れ込んでいると考えられます。
現代の日本の感覚で見れば、にわかに信じ難いほど悲惨で理不尽な状況です。「中国はなんてひどい国だ」と思う方もいるでしょう。しかし、戦前の足尾鉱毒事件や戦後の水俣病は、当時としては世界最悪の公害事件でした。私たち日本人は、それらの悲劇の教訓から十分学んだと言えるでしょうか。2年10カ月前の福島原発事故では、東日本の広い範囲が放射性物質で汚染されてしまいました。東京電力や日本政府の対応を見ていると、少なくとも私には、中国の「がんの村」がまったくの他人事には思えないのです。
公害を忘れた日本が学べること
そんななか、霍氏は「がんの村」に安全な飲み水を届けるプロジェクトに取り組んでいます。公益基金などの資金援助を得て深井戸を掘り、バイオ濾過装置でさらに浄化。村民のボランティアが定期的に水質をチェックしています。「この水を飲み始めた村では、がんの発症率が目に見えて下がってきました」と、霍氏は満面の笑顔で話してくれました。
どんなに理不尽な状況でも、希望を失わず、自分の手で出来ることを地道にやり続ける。口で言うのは簡単ですが、実践するのは並大抵ではありません。まして、日本とは政治制度も社会構造も大きく違う中国では、想像を絶する苦労があるはず。霍氏はそれをおくびにも出さず、私たちを案内する間いつもニコニコと微笑んでいました。
中国の環境問題と聞くと、私たちは「日本の教訓を学んではどうか」などと、つい上から目線で考えがちです。もちろん、それは一面では事実でしょう。しかし公害を忘れた現代の日本人が、中国から学べることも少なくないのではないか――。「がんの村」を訪ねた今回の旅は、そんな“気付き”を自分に与えてくれたように思います。
東金市 中村 彰宏
12/7(土)、わが家の設計士・稗田さんの「さんむフォレスト」主催による、山武杉の製材所見学会に参加しました。山武杉の製材をしている石井工業さんを訪れ、山武杉の製材実演ということで「どうやってできているんだろう」と思っていたら、なんと実演でカットする柱は我が家の玄関柱に使われる物との事。
緊張の中、職人さんによる八角柱のカットを目の当たりに。木目を読んで慎重に慎重を重ね1つずつカットして柱ができていく姿には本当に興奮しました。
柱1つ切るのにこれほど真剣に、息が詰まるような緊張の中丁寧にカットして頂いているとは思っていませんでした。
これを見ることができたのは本当に素敵なプレゼントでした。木材1つ1つへの愛着が倍増し、さらに我が家で予定しているウッドボイラーの薪に端材を提供頂ける承諾を得て「地元木材を最後まで使い切る」という仕組みにつなげることができました。
長年、県立高校で生物の教べんをとってこられた毛木仁先生がこのたび「海で貝拾ってみませんか~貝収集入門図鑑」(たけしま出版)を出版されました。
むずかしい分類はなしにして貝の形から名前をさがそう、というだれにでもわかりやすい図鑑になっています。
10円玉とサイズが比べられているのも便利です。つねづね千葉の貝の本がほしかったのですが、300種すべてに日付と採集地のデータがついているという念の入れようには頭が下がります。(谷口優子)
【事務局より】
今回紹介した「海で貝拾ってみませんか-貝収集入門図鑑-」定価 \1,200+税を、毛木仁さんのご厚意により、会員の方に\1,000(税+送料込み)で頒布していただけることになりました。ご希望の方は、住所,電話番号,E-mailを、下記までFAXまたはE-mailでお申し込みください。
<ちば環境情報センター>
FAX:043-223-7807, E-mail:hello@ceic.info
千葉市稲毛区 桜井 健
昨年10月から活動を開始しました、「ちば里山くらぶ」ですが、最近の活動についてご報告させていただきます。
今年度は「小屋のある森」の部分の「木の名札づくり」、「樹種のマップ」作成を中心に、概ね月1回強の活動をしています。
2月23日(日)には「刈払機講習会」を、3月15日(土)・16(日)には「チェーンソー講習会」を君津森林組合の木村正敏さんを講師に招いて実施いたします。みなさまぜひご参加ください。講習会の詳細は、桜井(ken@ken.li)までお問い合わせください。
また、昨年10~11月に千葉市の環境保全課のご紹介を受けて、下大和田の谷津田周辺の地権者4名の方と面談をさせていただく機会を得ることができました。
地権者の方に、ちば環境情報センター、ちば里山くらぶの活動の目的を説明させていただき、森や休耕田の手入れをさせていただきたい旨、どの地権者の方もご快諾をいただくことができました。
今年度、「ちば里山くらぶ」として、林野庁からの交付金の申請対象となっているのは、小屋のある森の部分だけなのですが、このたび4名の地権者の方と面談が出来たことによりまして、来年度(2014年4月以降)は、対象区域を広げられる可能性も出てきました。
手入れをすると、楽しみな場所がたくさん増えそうです。
貝のよもやま話12 かぐや姫の子安貝
「燕」は年に2回、3回と子育てをする身近な鳥です。子宝の象徴とされています。「子安貝」はいまでも子安信仰が各地に残っていますが、もともとは安産、子宝の祈願です。今も昔も出産は女性にとって命がけのお仕事です。海のない長野でも産婦に「子安貝」を握らせた、という記録が残っています。子宝に恵まれた燕は安産祈願の「貝」を持っていると信じられたのではないでしょうか。 「かぐや姫の話」に戻りますとどんなに立派な貝でもこのような大きさでは燕の巣に入るわけもありません。龍の首にかかっている珠や蓬莱の木・・・・をいいつけられた貴公子たちにくらべると家の近くの「燕の巣にある子安貝」はあまりにも身近すぎないでしょうか。もしかしたら海辺近くの断崖絶壁の海燕の巣にあった・・・・のかもしれません。こちらは房総半島の南端近くの浜で採ってきたシラタマガイです。タカラガイに似ていますが、非常に小さい貝でシラタマガイ科という別のグループに属しています。たくさんは採れない貝ですが燕が巣をつくるために拾っていった海藻に貝がついていたかもしれません。もし、わたしが中納言さまのおそばでお仕えしていたらこの貝をそっと握らせて差し上げたでしょう。物語では燕の巣の子安貝を自ら籠に乗って取ろうとなさって籠から落ちてそれが元で不幸にもお亡くなりになりました。かぐや姫は気の毒に思われたと『竹取物語』にはあります。映画では籠から落ちて即死したように描かれていたのがちょっと残念でした。 |
ニュースレター2014年2月号(第199号)の発送を 2月 7日(金)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。
編集後記:谷津田でお世話になった林のおじいちゃんが天に召されました。いつも庭先で「おう」と言葉をかけてくださいました。戦争に行き、深い田んぼで米作りをして、苦労を重ねたしわだらけの手が忘れられません。 mud-skipper♀