ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第206号 

2014.9.8 発行    代表:小西 由希子

目   次  

  1. 鋸南町における汚染土壌処理施設設置計画の問題点
    その2.汚染土壌埋立処理施設の問題点
  2. 地産地消の我が家建築物語 ⑦ ~KABE・壁~
  3. ダーチャサポートプロジェクト始動   -その2-
  4. 「谷津田の生きものが語る」シリーズ7シオカラトンボの塩ちゃん
    ―千葉市緑区下大和田の草むらに在住-
  5. 貝のよもやま話 17  -沖縄・泡瀬干潟の海から-

鋸南町における汚染土壌処理施設設置計画の問題点 
その2.汚染土壌埋立処理施設の問題点

鋸南町の環境と子どもを守る会事務局長 田久保 浩通 

 鋸南開発(株)は、自然由来の汚染土を不溶化して(溶けにくくする)環境基準に適合させて搬入すると言っていますが、これはあくまでも事業者の自主規制であって法的基準とは大きな隔たりがあり、自然由来も不溶化も必要とされていないことから、申請が法的に守られる担保はありません。また、不溶化しても溶け出しにくくなるだけで、特定有害物質はその場所に永久に残り、耐用年数のある施設に留まるだけであって、溶け出す不安を常に抱え続けます。計画地が鋸南町総合計画で優良農地保全地区内にあること、南房総広域観光圏としてベースである自然環境の保全が必要とされる地域であること。有害物質を埋立てる事業は、農漁業、観光、定住促進をしている町にとってマイナス要因しかなく、地域の保全・発展の障害になることは否めません。
 排水基準をとってみても、千葉県の上乗せ規制があるとはいえ、有害物質の多くが環境基準の10倍までの規制値であり、環境基準を超過した排水が行われた場合、希釈されるとはいえ下流の海浜、漁港域へは2km程しかなく、農業・漁業・観光業等他産業への風評を含めた影響が強く懸念されます。
 そもそもおかしいのは、施設がなければ、汚染土壌処理業の許可が出ないこと自体おかしなことだと思います。大金かけて施設を造るので、出来上がって許可申請すれば、県は許可を出さざるを得ないと思うのですが・・・・(そのために事前協議があります)
 事業者の計画では汚染土の運搬は、1日1000㎥埋立てるとして、ダンプカーが1日当たり150台(往復300台)、それが5年間続くのです。ダンプから出る粉塵は有害物質です。鋸南幼稚園、鋸南小学校、鋸南中学校の前をダンプが次から次に毎日通り、体育の時間・休み時間・登下校・遊ぶと時、子どもたちはそれを吸い続けるのです。登下校の際の交通事故や高齢者も多く運転している現状を考えると心配です。

 鋸南町にはあと6か所の採石場があります。県が1つ許可してしまえば、次々と同様の話が出てくる可能性は非常に高いと思われます。鋸南町が最終処分場の町になってしまうかもしれません。現に、深掘りをしている採石場がここ以外に2箇所あり、虎視眈々と様子を窺っているように思えます。業者は地元の業者です。鋸南町に住み続け、鋸南町を愛するのであれば、是非この事業を取下げてもらいたい。負の遺産を残さないでもらいたいと多くの町民が願っています。(つづく)

地産地消の我が家建築物語 ⑦ ~KABE・壁~

 今回は我が家の壁についてのお話です。
 1階の内装は珪藻土です。"呼吸する素材"として有名な珪藻土とは植物性プランクトンが長い年月をかけて化石になった土で、調湿(吸湿・放湿機能で室内の湿度を快適に保つ)・消臭・防汚(汚れを分解し、自らキレイに保つ)・省エネ(断熱や蓄熱・保温・保冷効果)・不燃など素晴らしい機能を兼ねそろえています。有害化学物質を出さないのはもちろんのこと、何と他の物質が出す有害化学物質も除去してくれるそうです。アトピーや花粉症の症状が改善された方も多いようで、花粉症の私は来春が楽しみです。
 2階部分は予算の関係でエッグウォールなる卵の殻から出来たクロスを使っています。年間20万トンが廃棄されているという卵殻をリユースし、気孔(卵が呼吸するために殻にできている沢山の小さな穴)のお蔭で脱臭性能あり、湿度も一定に保ってくれるそうです。エコロジーでエコロジカルなこちらの壁は、我が家を設計してくださった稗田さんが私たちの為に探してきてくれました。
 新居での暮らしも早2ヶ月。珪藻土他いくつかの仕掛けのおかげで、暑かった初めての夏をクーラーなしで子どもたちと元気に過ごせたのはとても幸せなことだと鈴虫の声を聞きながら振り返っています。

ダーチャサポートプロジェクト始動 -その2-

㈱高田造園設計事務所代表取締役 千葉市緑区 高田宏臣 

 右の写真はサンクトペテルブルグ郊外のダーチャ周辺の森です。 近隣の森は、間引くように伐採されつつも、集落を取り囲む森としてしっかりと木々が残されて、、そして後継となる若木もそこで育っているのです。彼らが無秩序に自分の土地に近い場所から薪を採取していけば、森は周囲から遠ざかっていくことでしょう。
 しかし、そこにどんなルールがあるのかわかりませんが、彼らは環境としての木々の大切さ、かけがえのなさを知っており、森が森として持続できるように利用しているのです。

 サンクトペテルブルグ郊外、ダーチャ村の夕景です。木々の中にとても美しく神々しく、大地を賛美しているようです。平日は多くの日本人同様に都会で暮らす彼らが、ダーチャ村での自然と共にある暮らしの中で周囲の木々を守り、木々に守られ、その共生の暮らしこそがこの美しい光景を作り出してきたのです。

 今の日本が忘れてしまった大切なものがここにある、彼らは持っている、そんな感動に包まれたダーチャでの光景でした。 大地の恵みを収穫し、そして家族や友人たちと料理を分け合い、心躍る楽しい時間を過ごします。ダーチャでの朝食のひと時。小さな子供も、家族と一緒にダーチャに行く週末をいつも楽しみにしています。
 ランプの灯りを見つめる時間。ただそれだけでも子供にとってはぞくぞくするほどの楽しい時間。大人も子供も金曜日の夜にダーチャに着くなり、うれしさのあまりに大はしゃぎです。

 「ロシアの若者もダーチャに行くのか。」と、彼らに尋ねたところ、やはりロシアでも年頃になると都会の方が楽しくて一時期ダーチャ離れする若者も多いと言います。しかし、彼らも結婚して子供を持つと、再びダーチャでの週末ライフに還ってくると言います。
 きっと、子供の頃のダーチャでの楽しい思い出が忘れられずに、彼らの心の原風景となっているのでしょう。そして、そんな豊かな心と楽しい思い出を自分の子供達にも伝えたいとの思いから、彼らの多くは今も週末の自給的暮らしを捨てることなく保ち続けているのでしょう。

 サンクトペテルブルグの街の風景。彼らは一見、多くの日本人と何ら変わらぬ都会の生活者に見えますが、彼らの大半は自給する能力も持つ市民なのです。彼らはたとえ社会が崩壊しようと戦争が起ころうと、お金が紙切れになろうと、いざとなればダーチャで大地と共に自給的に暮らす術を持っているのです。
 一方日本の多くの都市生活者はお金が途絶えれば生きていけないと感じていることでしょう。私たち日本人は戦後の経済的な豊かさの追求の中で大切なことを見失い、生存の源たるべき身近な自然環境を破壊し続け、そして我々の暮らしは本当の意味で、貧困で脆弱なものになりはててしまったのではないでしょうか。

 豊かになったロシアでは今でも、都会の暮らしと田舎の暮らしを多くの人が両立させているのです。彼らにとってダーチャ生活を失うことは、大地との絆を失うに等しく、本当の意味でのセーフティネットを失うことだと、多くの人が知っているのでしょう。
 自分で家を修繕し、大地を耕して作物を育て、生活に必要なものを森や畑から得て、そして感謝を持って大地を次世代に受け継いでゆくという、私たち日本人が忘れてしまった、大切なものを彼らはその暮らしの中で今も持ち続けているのでした。 さて、日本に戻ります。ここは北杜市の山間、五風十雨農場です(左写真)。農場主の向山さんは十年近く前、この休耕地を借り入れて周囲の森の木だけでこの集会棟を建て、電気、燃料エネルギー、水といったライフラインも自給できる体制を整えたのです。
 ここで付近の農地山林の再生に取り組み、都会の人たちを集めて田植えしたり様々なイベントを通して学びと遊びの場を提供し、自然と共にある健康で豊かな本当の暮らし方をここで実践し、体験してもらっていたのでした。
 今回、日本でもダーチャのある自然共生型の暮らしを広め、人と自然とのつながりや自然と共にある暮らし方を支援し、広めてゆくべく、ここに有志が集まり、2泊に渡ってNPOダーチャサポート設立準備会議(エンドレス談義)が開かれました。(つづく)  

「谷津田の生きものが語る」シリーズ7
シオカラトンボの塩ちゃん―千葉市緑区下大和田の草むらに在住-

生き物コミュニケーター:市原市 南川 忠男 

 ぼくは下大和田の黒米の田んぼにママが6月頃に産んでくれた卵からヤゴになり、田んぼや土水路でカエルの卵、ミジンコやイトミミズを食べて、幼虫時代を何回も脱皮をしながら成長してきました。天敵はザリガニ、ミズカマキリやカエルです。肛門から水を吸い、直腸にあるエラで呼吸していました。8月の涼しい朝、かんかん照りでない羽化日和に水中から顔を出し、ヨシの茎に上り、羽化しました。1週間くらいして体に塩をふいたような色に変わり、その様を人間はシオカラトンボと呼んでいます(それまでは麦わら色をしています)。メスは一生麦わら色です。成虫になると、空中で蚊やハエを食べています。

 

 複眼は2万個の個眼が集まってモザイク状に見えるひとつひとつの状態を頭で1枚の景色にして見ています。遠近両用で上半分は遠くのえさを発見したり、メス(女の子)や敵が来るのを見つけ、下半分はえさを食べたりする時に使います。空中を飛んでいる時はセキレイやツバメに食べられないように気をつけ、水路や草の間のクモの巣にひっかからないように飛んでいます。トンボ捕りに慣れたこどもが、ぼく達が草の先端に止まるのを待ち伏せして、後ろや横から捕虫網ですくい上げられるのも気をつけないといけない。一回怖い思いをしたので、あの白い網も天敵リストに入れた。飛んでいる時はほぼ捕まえられないよ。網の動きがわかるので。捕まっても、環境情報センターの人たちはその日のうちに虫籠から出してくれるのでありがたい。
 一番の仕事は交尾をして子孫繁栄です。ぼくの縄張りは緑米の田んぼで、女の子が来るのを待っています。トンボが2匹連結して飛んでいる姿を見た人間が多いと思いますが、オスが尻尾の先端でメスの首元をしっかりつかんでいる姿で、その後メスが尻尾の先を曲げてオスの腹の付け根の交尾器を挿入してもらい交尾となります。
 メスは体内にオスの精子を貯めておき(クサガメの亀子もそうだった)、水面に産み落とす直前に受精させるので、オスは自分の精子が受精に使われるように掻きだしたり、押し込んだりしています。20分くらいひっついているのは、そのためです。又、オスが産卵中のメスの周りを飛んでいるのを警戒飛行と呼んでいるが、自分の精子が使われるまで、他のオスが近づかないように見張っているのです。ちょっと疑い深いでしょう。
 下大和田の稲刈りの頃に産卵されたのは孵化してヤゴで越冬し、翌年の春に羽化します。
 来年ぼくのこどもと会おうぜ。


※筆者は三重県の実家の裏川で5月の早朝さわやかな風が吹いている時にヤマサナエの一斉羽化を見ました。花崗岩の川砂から這い上がり、土の地面を少し歩いてから植物の茎によじ登っておりました。50匹に2匹くらいが羽化に失敗して、上ってくる蟻にやられていました。殻の割れが良くなく、片方の羽根が殻の縁にひっかかり、飛び立てませんでした。
         (写真:2014年9月6日 下大和田にて撮影 by 田中正彦)


        

貝のよもやま話 17       
   -沖縄・泡瀬干潟の海から-

      千葉港ポートパークかもめのクリーン隊 千葉市中央区 谷口 優子 
  2年ぶりに沖縄市の泡瀬干潟に行ってきました。泡瀬は琉球列島最大の干潟です。現在「多目的利用」のため干潟の埋め立て工事をしています。干潟がどうなったのか自分の目で確かめておきたかったのです。
 那覇バスターミナルから路線バスで1時間20分、その後はタクシー。旧コザ市の郊外でリゾート地ではないので観光客はいません。
 人工のビーチの真っ白な砂とはちがう黄色っぽい泥の混じった砂の干潟ですが、以前にくらべて泥が多くなった印象を受けました。見つけた生きものの種類も、拾った貝の種類も少なくなっていました。やっぱり埋めたての影響なのでしょうか。
 
 
 干潟をのぞむところに博物館カフェ「ウミエラ館」※があります。ここでは干潟の貝をボンゴレスパゲティにして食べさせてくれます。この日の目玉はヌノメアサリとリュウキュウザルガイでした。これらの貝は市場に出回ることはなく、近くの漁師さんがお店に直接持って来てくれるそうです。カフェの中には干潟で採集した貴重な貝が展示してあります。オーナーの屋良さんに埋め立ての話、貴重な貝の話、などいろいろ伺うことができました。
 帰りの路線バスの中から普天間基地を見ました。中が見えるフェンスで囲ってあり、住居や学校があるのがわかりました。近くに「人間が大事、ジュゴンは小事」という看板がありました。ついさっき乗ったタクシーの運転手さんは辺野古の海のすばらしさを語ってくれました。基地の移設は沖縄の中でも意見が分かれていて問題が深いことを実感しました。
  ※博物館カフェ「ウミエラ館」http://umierakan.ti-da.net/

【発送お手伝いのお願い】

ニュースレター2014年月10月号(第207号)の発送を10月8日(水)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。


編集後記: はじめての手造り味噌。今年2月23日に仕込みました。9月に入って、おそるおそる味噌樽の蓋を開けて味見をしたら、そのうまいこと!豆は小糸在来、こうじも塩もこだわったのだから当たり前か・・・。それにしても手前味噌とはよく言ったものだ。毎朝の味噌汁がこれまで以上に楽しみになりました。  mud-skipper♀