ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第208号
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幕張海浜公園樹名板作りプロジェクト 千葉市美浜区 中田 真也子
私が幕張海浜公園で樹名板作りプロジェクトを立ち上げたのは、3人目の子供が産まれて間もない2005年のことでした。子供たちと一緒に身近な樹木に名札を付けるボランティアができないかと、公園管理事務所に電話で問い合わせたのが最初でした。そのころ、そういった活動をしている方は他になく、公園管理事務所と協力しながら自分たちで企画・運営することにしました。
せっかく作るのだから、ただ字を書くだけではだけではなく、子供たちの好きなように飾りつけたり、QRコードでリンクする電子図鑑を付ければ、公園利用者がより公園の樹木を身近に感じるきっかけになるのではないかと考えました。以下は9年間続けている幕張海浜公園樹名板作りの様子になります。
<保育所児童による樹名板作り>
約30名の真砂第三保育所保育所年長児が保育所の教室で樹名板を作成し、児童自身で幕張海浜公園の樹木に取り付けます。以下は保育所年長児の活動の様子です。
<一般公募による樹名板作り>
毎年1月幕張海浜公園内にポスターを貼り、一般公募します。集まった方たち(平均35名程度)と管理事務所会議室で毎年100枚の樹名板を製作します。完成した樹名板は3月に幕張海浜公園の樹木に取り付けます。4年ごとに老朽化したら付け替えていきます。
<9年間実施した感想>
樹名板作りは、都市公園で子供たちを自然の面白さに気づかせるきっかけ作りとして最適な活動だと感じています。ただ樹木について観察するだけではなく、自分の樹名板を「作る」、「取り付ける」という活動があることで色んな年齢層の子供が(子供だけでなく大人も)主体的に楽しんで活動に参加できます。また作られた方だけではなく、公園の利用者からも「可愛い樹名板が取り付けてあると公園が明るくなった感じがする。」「樹木の名前が分かって助かる。」という感想もいただいています。
来年度は10年目を迎える活動ですが今後もぜひ続けていただけたらと思います。
今後の課題は、樹名前板のQRコードにリンクする電子図鑑の充実です。公園利用者からの情報も取り込み、より分かりやすい楽しいHPを整備できたらと思っています。
㈱高田造園設計事務所代表取締役 千葉市緑区 高田宏臣
五風十雨農場周辺の放置林や耕作放棄地をくまなく歩き、ダーチャ村用地、構想への夢を膨らませていきます。可能性あふれる土地にみんなの表情は自然と明るく輝きます。
棚田放棄地、ここで暮らしてきた先人によって土地は美しく造成され、ちょっと整備すればすぐに菜園として再生できる可能性を秘めた野を目の当たりにし、この地でダーチャをはじめようと、みんなの想いが一つになりました。
この地の地形を壊すことなく農地として再生整備し、100~200坪程度を一区画に、おそらく10数区画程度のダーチャ村として希望者に分け、そしてその暮らしを各々の必要に応じてサポートしていきます。
各々週末をここで過ごしつつ、自給的な楽園を作ってゆく、そんな暮らしの場を、ごく一般の都市生活者に提供することで、本当の意味で平和で美しい、未来永劫の日本の再生に繋げていきたい、それが私たちメンバー共通のゆるぎなき想いなのです。
このプロジェクトによって再生を目指すのは農地ばかりでは完結しません。周辺を取り囲む山林の豊かさを取り戻し、育成しつつ、そこから堆肥材料としての落ち葉や木の実、燃料としての薪やホダ木、自給的建築資材など、様々な生活資材を得られるように再生していきます。
周辺の山林は、かつての里山が村落共同体によって管理され、利用されてきたように、ダーチャ村共有の入会利用地とします。ここで薪などの生活資材を得る権利と同時に、みんなで労力を出し合って育成整備してゆくのです。
農場主の向山さんの案内で、五風十雨農場にて育成、利用している山林を歩きます。数十年前までは建築資材として欠かすことのできなかったアカマツは、ここ10年程度で急速に衰退し、次々と枯れていると言います。
さまざまな原因があるのですが、急速な衰退の原因は大気汚染の影響ではないかと考えられます。
大気汚染に弱いマツなどの針葉樹は森の中でも突出して高く、枝先に汚染物質を吸着します。以前であれば、空気のよい郊外の山間であった北杜市にも、地球規模の広域汚染の影が忍び寄ります。
ここでは松枯れの跡地に様々な自然植生樹種の苗木を植えて、森の再生に取り組んでいます。再生しつつある森の稚樹。一定の高さになるまでは、増え続けるシカなどの食害から苗木を守る作業が必要になります。
豊かな農地は地域の生き物の循環が作り出すもの、周囲の山林の再生は、生活資材を得るためだけでなく、清涼な水を貯え、強風や土砂災害から暮らしの環境を守り、そして何よりも生き物溢れる豊かな生態環境を作るのです。
農場のかまど。煮炊き採暖の燃料は周囲の山から得るのです。薪採取などの森林利用によって、山に適度に光が差し込み、豊かで変化に富む里山の命が営まれるのです。
かつては生活に欠かせないエネルギーはすべて身近な里山の循環の中で賄われてきました。日本のエネルギーの主役がこうした薪炭から化石燃料に取って変わられたのは1960年代のことですから、わずか半世紀前のことです。ちなみに、このかまどは数年前に作られながらも今はほとんど使っていないと言います。 (つづく)
聞き手:千葉市中央区 水内 伸一
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「平気さー、もう外に出るのも3日目だからね。それにもうお腹ペコペコなんだよ。」
皆さんは僕たちカヤネズミを知っているかな?普段あんまり出会わないのは、僕たちが夜行性だからなんだ。田んぼ作業や森の手入れが終わって帰った夕方から明け方までが、僕たちの活動時間。それに僕たちカヤネズミは学名で「ミクロミス・ミヌツス(小さいネズミ)」と言われるように、他のネズミに比べて小さいんだよ。体の大きさは約6cm(人間の大人の親指くらい)で体重は7~8g(500円硬貨1枚分)っていえばイメージしやすいかな。
「おいしそうなタネだ。おやイナゴもいるぞ。早く出て来いよー」「待って、お兄ちゃん。巣から出たら、ちゃんとグルーミングしないと。女の子はおしゃれにも気をつかうのよ。」
私たちは巣から出たときと戻ったときにグルーミング(毛づくろい)をします。特に尾っぽはバランスをとったり、ものに巻き付けたりするのでしっかりと行うのです。生活もほとんど草の上なので、落ちないように後ろ足や尾っぽを使ってバランスをとっているのですよ。
そうそう、普通ネズミの仲間は地中に巣を作るけど、私たちカヤネズミはヨシやススキ、田んぼのイネなどの植物の葉を切り取らずに細かく噛み裂き、上手に絡み合わせて5~10cm位の球形の巣を作るんです。
「今日の探険はここまでにしよう。ヘビに注意しながら戻るぞー」僕たちは生後20日位で巣立ちするのだけど、お母さんがいつも一緒にいるわけではないんだ。最初の11日間くらいは授乳や離乳食をくれるので頻繁に来たけど、僕たちが外に出られるようになるとほとんど来なくなるんだ。ちょっと寂しいけど仕方ないよね。
「お兄ちゃん今日も楽しかったね。明日はもう少し遠くに行きたいなー。」
私たちの天敵はアオダイショウなどのヘビや、小型の猛禽類、カラス、モズ、ネコなどです。特にヘビは巣まで登ってくるから気をつけなきゃ。あと、私たちが住んでいるカヤ原が年々少なくなって住めるところが減っているのですよ。ここ下大和田はちゃんとカヤ原を残してくれているから安心して仲間も住めるのです。
皆さん、ぜひ私たちを見つけてくださいねー。
参考文献:畠 佐代子 (2014)「カヤネズミの本」 (世界思想社)
写真撮影:田中正彦
地産地消の我が家建築物語 ⑧
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山武市 中村 真紀 |
ニュースレター2014年月12月号(第209号)の発送を12月8日(月)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。
編集後記: 銚子の自然観察会(千葉県生物学会主催)に参加し、貴重な自然は多くの方々の並々ならぬ努力によって残されたものだということを改めて知った。一方で、使われなくなった護岸の建造物や、中生代白亜紀の地層が観られる海岸にはごみが多いことが気にかかった。 mud-skipper♀