ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第218号
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柏市 上田 真佐江
つくばエクスプレス「柏の葉キャンパス駅」や国道16号線のほど近くに広がる「こんぶくろ池自然博物公園」。総計18.5haのうち、湧水池であるこんぶくろ池と弁天池を含む12.5haのエリアには遊歩道が整備され、残りのエリアも自然博物公園として整備中です。
周囲は柏の葉スマートシティーとして開発が進む新しい街、大学、工業団地などがある開かれた場所ですが、この森に一歩足を踏み入れると、鳥のさえずりが響き、夏でも爽やかな風が渡り、秋は多様なキノコにも出会えます。ノウサギやタヌキ、キジもすんでいるんですよ。
この森の特徴は、珍しい湧水池があること、また、その湿地の周辺には、普通なら冷温帯で観察される種(ズミなど)の群落が存在していることです。
関東から九州あたりの低地帯は気候分布でいうと暖温帯ですが、こんぶくろ池自然博物公園には、冷温帯(北海道南西部~東北の低地帯、および関東~九州の山地帯)に分布する植物の群落があるのです。
「市民の力で湧水自然を守る・柏市こんぶくろ池物語」(千葉日報刊行)によると、縄文時代の頃、北総台地の植生は冷温帯のものであったと考えられています。現在でも、こんぶくろ池周辺で、冷温帯の気候であった頃の湿地性植物が生き延びているのは、湧水周辺が局地的に涼しい環境だからという理由だけではないようです。
まず、馬や人が謀(はか)らずも他の植物の侵入を防いできました。この地域は古墳後期時代(4,5世紀)以降、長期にわたり牧として利用された記録があります。つまり、こんぶくろ池周辺の平坦地は牧場として利用され、馬による食害にあい続けたので成長力が強い植物の繁茂が防がれてきました。また、江戸時代にはこんぶくろ池の周辺が領主直轄の御林として管理され、夏季と冬季は村人による手入れが行われ、クヌギやコナラを薪炭として利用し下草刈りをした記録があります。このような手入れが、冷温帯の植物だけでなく、希少種の保全に役立ち、多様な生物を育んできたのかもしれません。牧場の名残かノジトラノオ、トモエソウなどの草原性の貴重な植物もあります。明治以降、牧場はサツマイモ畑、飛行場、ゴルフ場などへと姿を変えてきました。
次に、水質も植生に影響を与えています。こんぶくろ池周辺はわずかなうねりをもつ台地(標高15~19m)です。池の湧水は、関東ローム層に浸透した雨水が、下層の常総粘土層に浸透せずに、浅い地下水位が地上に顔を出したものです。降った雨がすぐに出てくるので養分が乏しい水質となっているこの池では、繁殖力が旺盛なヨシなどが繁茂して他の植物を駆逐し背の高い群落を形成するような状況が見られません。
柏の葉スマートシティーの横には、こんな個性のある森が広がっています。
【参考】
1.こんぶくろ池自然博物公園ハンドブック
(NPO法人こんぶくろ池自然の森 作成)
2.こんぶくろ池自然博物公園 公園案内
(NPO法人こんぶくろ池自然の森 作成)
3.市民の力で湧水自然を守る・柏市こんぶくろ池物語
(NPO法人こんぶくろ池自然の森とアドバイザー会議 著 千葉日報社)
2015年8月16日、千葉市緑区下大和田の谷津田で、第179回 下大和田 谷津田プレーランドプロジェクト 兼 米作り講座「かかしづくり」(主催:ちば環境情報センター)が実施されました。
参加者の檜原啓輔さんから感想が寄せられましたので、掲載いたします。
千葉市稲毛区 小学校3年生 檜原 啓輔
8月16日、ぼくはカカシ作りに行きました。
前の日まで広島のおばあちゃんの家にいましたが、カカシ作りをとても楽しみにしていたので、がんばって早起きしました。
カカシ作りは初めてだったけれど、南川さんに教えてもらいました。カカシ作りの前に、米つぶが、いねにどれくらい出来ているか調べるために、みんなで米つぶの数をかぞえました。
まず、数えるいねをきめて、いなほがいくつあるかかぞえます。 次に1つのいなほをえらんで、ひとつのいなほに米つぶがいくつついているかかぞえます。やってみたら思ったよりけっこう簡単でした。 1つのいなほに、米つぶは100個以上ついていました!お母さんとぼくでほとんどやりました。弟はついてきているだけでした。
カカシはこの米つぶを鳥たちにたべられないように、みじかく言えば守るために作るのです。 カカシ作りは竹を切るところからはじめます。ぼくは木は切ったことがあるけど、はえてる竹を切るのははじめてです。竹を切るのはコツがあります。のこぎりを引くときに力をこめるのです。これも南川さんに教えてもらいました。長い竹を2〜3メートルに切ってはこびます。竹をはこぶのは弟もちゃんと手伝いました。『よかった、ちゃんとできるんだ』と思いました。
南川さんのアイデアでカカシの手は細い竹をえらびました。十字に組んで、持って来た服を着せて、中にわらやふとんをつめました。顔は青色にしました。ちょっと気持ち悪いけど、ぼくが好きなマンガのおじいさんの顔にしてすごく気持ち悪くなりました。鳥たちも、たぶんこわがると思います。カカシが手に持つ武器も作ればよかったなあと思いました。
みんなが出来上がってから記念写真をとりました。そのとき!田中先生が走ってくるときに転んじゃって1ミリも見えなくなりました!田んぼに落ちちゃってドロドロです。みんなで笑ってしまいましたが、けがしなくて本当に良かったなと思いました。
カカシ作りは本当に楽しかったです。
山武市 中村 真紀
この家に暮らして1年が過ぎ、多少の汚れと末っ子長男のイタズラ書きが目につくようになってきました。
今、考えていること。
すごく住みやすいなというのと、正直、私達には背伸びし過ぎたかなぁということ。金銭的にはしばらく厳しい状況が続続きますが、そこら中にあふれている木の温もりや家中どこにいても聞こえる賑やかな子供たちの声、床に寝転んで見上げる吹き抜けの天井なんかは、やっぱり気持ちいいです。
そして私達夫婦はこれからもずっと、この家で仲良く幸せに暮らしていきたい。 今の国の動きを見ていると、ものすごく不安になることがあります。エネルギー政策にしても安全保障にしても。でも私たち一人一人は、国が指し示す方向に「NO」をいうだけでなく、自分たちで行く道を選びとる力を持っていて、その力を生かしていくには、今自分に出来る小さなことの力を信じ続け、横の人たちとつながっていくことが大切だと思っています。
私はこの家を環境問題に関心がある人とない人の接点の場にしたい。この平和がず~っと続いて、世界中に広がっていきますように。
長い間、ご愛読ありがとうございました。
哺乳類研究者 香取市 濱中 修
<野生哺乳類の保全とは>
和田一雄さんは、その著書『ニホンザル保全学 猿害の根本的解決に向けて』(2008年;農山漁村文化協会)の冒頭で、「保護とは人間が対象とする自然を一方的に守るということであり、保全とは自然と人間の関係を調整することである」と述べています。ニホンザル(以下「サル」)は、もちろん保全の対象です。日本在来種の野生哺乳類は、すべて保全の対象です。
<住民の価値観の変化によるサルの受難>
人間との関係において、自然は人里、里山、奥山の3つに区分されます。奥山とは、ふだんは人間が踏み込まない深山幽谷の地のことです。サルは、基本的に奥山で暮らしてきた動物です。江戸時代後期に活躍した絵師の森狙仙には、野生のサルを描くために、奥山に分け入って、サルといっしょに暮らしたという伝説があります。
千葉県は、早くから開発が進み、江戸時代には、ほぼ全域が人里と里山になっていました。この通信の7月号に書いたように、庚申信仰が全県に広まっていたために、サルは里山に生き残ることができました。自然に対する畏れの気持ちが、サルを絶滅から守ったのです。
近世まで、人里に現れたサルは、奥山に追い返すというのが、猿害対策の基本でした。近代に入っても、この考えかたが維持されます。
猿害がでれば、ただちにサルを駆除するというように変わるのは、1970年代からです。現在では、日本全体で、毎年1万頭を超えるサルが駆除されています。
奥山とよべる自然がほとんどなく、里山にサルが暮らす房総では、猿害が恒常的に起こります。駆除されるサルの数が、最近では毎年千頭を超えます。全国で駆除されるサルの1割は千葉県のサルなのです。全国平均より、突出して多いといえます。
私は、サルの専門家ではありません。最新の調査資料も入手していません。ですから、正確なことはわかりません。でも、私は、千葉県のサルの数が増えているように感じません。私には、サルと共存しながら、被害を減らすという保全の視点が希薄なまま、やみくもにサルが撃ち殺されているという印象しかありません。
<マツ林の消失とリスの減少>
リスは、人間に迷惑をかけることなく、里山でひっそりとくらしてきました。リスは、いろいろなフィールドサインを残していきます。1980年代までは、リスのフィールドサインを、千葉県全域で見つけることができました。千葉 県北部では、最近、それが見つかりません。リスがいなくなったのです。
江戸時代末期、北総台地の斜面は、どこもマツ林に被われていました。赤松宗旦の『利根川図誌』などから、そのことがわかります。
リスは、マツ林にすむ動物ですから、そのころ、千葉県北部にたくさんすんでいたと考えることができます。
1980年前後、全国的に「松枯れ」が問題になります。北総台地の斜面を被っていたマツ林も、このころに枯れ、雑木林に変わりました。マツ林が消えた原因は、マツを薪(たきぎ)にすることがなくなって、マツ林が手入れされなくなったことです。 マツ林は、千葉県北部の原風景の1つでした。これが消えたことで、リスもいなくなりました。
<農村の荒廃とイノシシの増加>
千葉県では、1990年ころから、イノシシが増えだし、農林業に被害がでるようになりました。千葉県の里山には、昔もイノシシがすんでいました。しかし、現在のような大きな被害はありませんでした。
千葉県の農村地帯は、人口が急激に減少し、高齢化も進みました。その結果、休耕田が増え、放置されてヨシが生い茂る草むらになっているところが目立つようになりました。森林は、下草刈りや間伐などの管理が行われなくなり、見通しが悪くなったところが多くなりました。イノシシが増えた原因は、このような人里と里山の変貌です。
間伐などを行い、森林の中の見通しをよくすること、森林と農地との間に幅10メートルほどの空間をつくること、農地の近くに背の高い草が生い茂る草むらをつくらないこと、この3つを行えば、イノシシは、人里に出てこなくなります。イノシシは、おくびょうなので、人間から丸見えのところには、いられません。
イノシシによる農作物被害を、もっとも効果的に減らす方法は、農村に活気が満ちていたころの原風景を取り戻すことです。
<里山の自然の変化を理解する>
千葉県のサル、リス、イノシシは、どれも私たちの祖先といっしょに、里山でくらしてきました。人間社会の変化にともなって、里山の自然が変化しています。そのことが、今、これらの動物に大きな影響を与えています。それを正確に理解することが、野生哺乳類保全の第一歩になります。
千葉市では、谷津田の自然の多様な生態系や自然的景観を保全するため、平成15年度「千葉市谷津田の自然の保全施策指針」及び「千葉市谷津田の自然の保全に関する要綱」を策定し、保全を進めてきました。その後平成23年度に一度見直しを行いましたが、事業開始から約10年が経過し事業の進め方の見直しが必要となったとのことで、今年新たに「谷津田の保全と活用に関する事業の進め方(見直し)(案)」を発表し、6月26日から7月25日まで市民意見を募集しました。
見直し案は、市のホームページで見ることができます。
https://www.city.chiba.jp/kankyo/kankyohozen/hozen/shizen/yatsuda-minaoshi.html
当会のメンバー数人も意見を提出しましたので、順次ご紹介させていただきます。
NPO法人 ちば環境情報センター代表 小西 由希子
千葉市緑区 網代 春男
当地域の集水域は広く、また、森林面積も大きく、千葉市民の水がめを支える鹿島川の源流域のひとつできれいな水を供給する大変重要な水源になっています。ついては集水域全体を早期に協定地域に組み込んでいただきたいと願っています。協定を結びたいと考えている地域が集水域をカバーしていないことに危機感を持っています。
この取り組みはいち環境保全局だけの取り組みの範疇を超えて他の関連部局とも共同で取り組んでいただくべきものです。いや、ことの重要性から千葉市だけの取り組みの範疇を超えて印旛沼対策をしている千葉県とも共働で対応すべき事柄とも言えます。千葉市、千葉県共同で予算措置を取るなどして急ぎ保全を図っていただきたく願います。縦割りでそれぞれの所が、ちまちま対策を講じるのではなく関連するところが力を合わせてダイナミックに物事を進めていただきたいと願います。
また、この地域の一部は過去の宅地開発の頓挫から仮登記がされたまま放置されているところがあります。企業の所有地ではありますが企業側も動けない状況が続いていて、荒廃が進み、メダカやカエル、トンボなど谷津田の生物多様性も劣化しています。これらの地域についての重要性にかんがみ千葉市としてこのように保全したいと考えているということを企業側に働き/かける時期に来ていると考えます。少なくとも保全協定の提案程度の接触は持っていただきたいと考えます。
貴職が谷津田保全に本気に動き出したと誰からも認められるような案が仕上がることを期待しております。
発送お手伝いのお願い ニュースレター2015年10月号(第219号)の発送を10月 7日(水)10時から事務所にておこないます。 |
編集後記: 雑誌自然保護9・10月号に、安保関連法案に反対する緊急声明を発表したとの記事がありました。戦争は甚大な自然破壊を起こす行為で絶対に避けなければならないと。ユネスコの世界遺産やエコパークは、第二次世界大戦の反省から発足したものだということです。 mud-skipper♀