ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第221号 

2015.12.7 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. マイ田んぼ ・ MY place
  2. 千葉市「谷津田の保全と活用に関する事業の進め方(見直し)(案)に対する意見」③
  3. 千葉県にすむ哺乳類11 ノウサギ
  4. 貝のよもやま話 23   -ヒナガイのはなし-

マイ田んぼ ・ MY place

千葉市緑区  田村 光範  

【マイ田んぼをやってみた感想をスバリ!】
         〓良かったこと〓
           ○夢中になれる趣味ができたこと
           ○子供や仕事以外で仲間ができたこと
           ○お米の自給自足ができたこと 
         〓困ったこと〓
           ○米作り中心の生活になってしまったこと
           ○天候が悪いと田んぼが気になってしまうこと
           ○一年があっと言う間に過ぎてしまうこと

【マイ田んぼを始めたきっかけは?】
 もともと子供と体験イベントに参加していました。(今でも)
 もっと深く田んぼ体験をしたくて、2年前にちば環境情報センターのお米作り講座に参加させていただきました。その時はまだマイ田んぼの存在も 知らずに・・・。そんな中、マイ田んぼのお誘いがありました。やるかどうか少し悩みました。はたして一人で出来るのか? 時間の都合はつくのか?大丈夫かなぁ? ウ~ム・・・
 でもせっかくのチャンスだし、まぁやってみるか!で始めたマイ田んぼですが、今ではすっかりハマってしまいました。

   

【お米の作り方はどこで教わったのか?】
 一つ一つの作業に、マニュアルなどはないので、本やインターネットで色々調べながらやっています。諸先輩方や地元の方などもアドバイスしてくれます。お米作りにはイベントでは体験できない作業が沢山あります。
 お米の漢字にちなんで、八十八の工程があるとか・・・。分からないことばかりで、いつも失敗ばかりしています。昨年などは調子にのって2段掛けのオダを組んだのですが、稲を全て掛け終わったところで重さに耐えきれず倒れてしまい、稲が全て泥の田んぼの中へ・・・なんてこともありました。

【お米作りは時間的にも体力的にも大変ではないのか?】
 マイ田んぼはイベントでは無いので、午前中だけとか自分の都合に合わせて作業しています。ただ、黙々とやっていると少しさみしくなるので、なるべくイベントにも参加するようにしています。
 また、お米作りは手間をかけても、かけなくてもそれなりに収穫できます。その年の天候にも左右されます。
 最後は神頼みですかね・・・

【お米はどれくらい収穫できるのか?】
 お米作りは収穫量が一年の評価になります。初年度は約250m2(2.5畝)で玄米91㎏、1反(10a)あたり6俵の収穫量でした。2年目の今年は田んぼ面積を増やして、400m2(4畝)で玄米105㎏、1反(10a)当たり4.4俵と収穫量が落ちてしまました。色々と秘密兵器を自作して挑んだのですが、初年度より手抜きをした分、残念な結果となりました。

【来年へ向けての抱負は?】
 お米作りの方法で、不耕起栽培というやり方があります。今年はよく理解しないでやってしまったため、大量の雑草が発生してしまいましたが、来年はこの方法に本格的に取り組みます。この方法は、冬の間は田んぼに水をため、糸ミミズに働いてもらうことで、雑草が根を張ることができないくらいのトロトロな泥の層をつくります。田んぼを耕さずになるべく自然に任せた方法なので、冷害や病氣などにも強い稲が育つようです。

【最後に・・・】
 これだけ耕作放棄地が増えていても、農家の方から田んぼを貸してもらうことは難しい現状があります。お米作りにハマって他県まで週末に通っている方もいるそうです。そんな中、千葉市内という好立地で田んぼを貸してもらえる事に感謝です!この下大和田の自然が少しでも守られていけるように、これからも楽しくお米作りに関わっていきます。

ここが私の MY place
 今年一年間の私の米作りをブログに記録しました。マイ田んぼの作業が少し分かりますよ。

     検索サイト : 下大和田 田んぼ Yahoo  

千葉市「谷津田の保全と活用に関する
事業の進め方(見直し)(案)に対する意見」③

千葉市緑区  高山 邦明 

 「谷津田の保全と活用に関する事業の進め方(見直し)(案)」を拝見し、小山町・下大和田で活動している立場で感じたところをお知らせします。

 私たちが活動している小山エリア周辺でここ数年で3軒の農家の方が米づくりを止めました。このうち、2軒の方の田んぼは私たちが引き継いで米づくりを継続していますが、現在のメンバーではギリギリのところで田んぼを維持している状況です。3軒めの方が今年から米づくりを止められましたが、そこまで対応はできませんでした。農家の高齢化と後継者不足は一般的に言われていることですが、それが急速に進んでいることを強く実感しています。同じことは下大和田地区でも同様です。
 谷津田の耕作放棄の現状について、少なくとも保全対象地域に関しては定量的に把握していただき、今後の施策を考える上の参考にしていただきたいと思います。定量的に把握することにより保全に向けたアクションをどのようなスケジュールで進めるべきかが明確になると考えられます。
 活動に関わっている者としては大きな危機感を覚えているところです。

うした状況で私たちの活動だけでは耕作放棄によって失われる谷津田の自然にブレーキをかけることは困難です。何とか系統的に保全に参加する人材を育成するような仕組みが必要と思われ、ぜひ、一緒に考えて行動していただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。     

「初めての稲刈り」

千葉市稲毛区 小学校3年生 青野 陽人 

 ぼくは十月二十四日に谷津田の田んぼで「稲刈り」をしました。初めての稲刈りで、楽しみでわくわくしていました。前に来たときよりも、稲が育ち、むね位までありました。
 田んぼに入ると、ぬかるんでいて思うように足が進まず、稲から稲までのいどうがたいへんでした。そして、かまがすべって、思うように切ることができませんでした。しばらくかると、つかれたので、たばねる方に回りました。かんたんそうに見えたけど、一たばの量や、稲を回してたばねるのがむずかしかったです。その稲は、大人の人がほして、さぎょうは終わりました。
 お米をむいて、色や、とく長にちなんだ名前がついていることがわかりました。
 きかいでやると楽だけど、手作業だと発見や楽しみがあって、すごく楽しかったです。

千葉県にすむ哺乳類11 ノウサギ

哺乳類研究者 香取市 濱中 修 

ノウサギと飼いウサギ
 ピーターラビットが有名なせいでしょうか、多くの日本人は、どの種類のウサギも、英語ではすべてラビットというと思っています。英語では、ウサギをアナウサギ rabbit のなかまとノウサギ hare のなかまに区別します。飼いウサギは、野生のアナウサギを改良した家畜ですから、ラビットですが、昔から日本にすむノウサギは、ラビットではありません。ヘアの一種です。

 

 以前は、小学校などでウサギを飼うことが普通に行われていて、飼いウサギの習性はよく知られていました。地面をそのままにして飼育舎を建てると、飼いウサギはすぐに地面に穴を掘ります。野生のアナウサギの習性が残っているからです。アナウサギは穴を掘って、地下に巣をつくり、飼いウサギと同じように、体毛の生えていない未熟な子どもを産んで育てます。
 ノウサギは穴を掘りません。草やぶなど、目立たないところに体毛の生えた子どもを産みます。ノウサギの母親は、授乳するときだけ、子どものところに戻ってきます。飼いウサギとは違って、ノウサギの母親は、子どもと過ごす時間がとても短い。

ノウサギは人里の動物
 唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞にあるように、ノウサギは人里にいました。かやぶき屋根の時代、ノウサギは「かやば」とよばれた採草地にすんでいました。放置された休耕田は、昔の採草地のようになりますから、そういう場所に足を踏み入れれば、今でもノウサギに会うことができます。
 天敵を見つけると、草むらの中のノウサギはじっと動きを止め、いなくなるのを待ちます。人間の気配を感じたときも同じです。それでも、相手が 近づいてきたとき、ノウサギは脱兎のごとく走って逃げます。ノウサギに会えるのは、ほんの一瞬です。
 ノウサギは畑の野菜なども食べています。でも、農作物を食い荒らす害獣として問題視されることは、あまりありません。

   

 出荷できる野菜には規格があり、規格外れの野菜は、畑のすみなどに廃棄されてしまいます。夜、ニンジンが廃棄された畑に、ノウサギが出てきたようです。畑には、ノウサギの歯形がついたニンジンと隣の雑木林へと続くノウサギの足跡が残されていました。
 都市の中に残されたわずかな緑地にも、ノウサギがすんでいることがあります。市川市は、大雨のたびに市街地が洪水に見舞われていました。北方町は市川市の中心部に位置していますが、洪水の被害をやわらげる遊水地として、少し前まで、開発が制限され、緑豊かな景観になっていました。そのころ、ここには確かにノウサギがすんでいました。
 2007年、ここの一角に大柏川第一調節池緑地が完成しました。その後、周囲の開発が一気に進み、今はこの町にノウサギはいないと思われます。

昔、ノウサギは害獣だった
 ノウサギは、鋭い前歯で植林した針葉樹の苗の先端を切断してしまいます。ノウサギは林業に被害を与える害獣でした。でも、ノウサギが害獣として、問題視されたのは、終戦から1970年代までです。10月号に載せたグラフを見てください。
 童謡の「お山の杉の子」は、敗戦間近の1944年に創られました。この歌の歌詞のように、戦争によって、日本は「はげ山」だらけになりました。「はげ山」にも、草や灌木は生い茂ります。「はげ山」は、ノウサギの繁殖に適した環境になっていました。ノウサギがたくさんすんでいる場所に、スギなどの針葉樹の苗を植えたのですから、苗がノウサギに食いちぎられるのは当然の結果でした。

ノウサギの足跡探し

 冬、雪が積もった翌朝は、野道を散歩してみましょう。ノウサギの足跡が見つかります。 走っているときのノウサギの一組の足跡は、後ろ足が前、前足が後ろになります。足跡を追うと、ノウサギの動きを読みとることができます。

 

 雪の夜、ノウサギは、やぶから走りでてきて、立ち止まり、周囲を見渡してから、向きを変えて、また一気に駆けていきました。雪に残された足跡は、私にそんなことを教えてくれました。


           

貝のよもやま話 23 
      -ヒナガイのはなし-

     千葉港ポートパークかもめのクリーン隊 千葉市中央区 谷口 優子 
  9月に鬼怒川が決壊した台風18号が去ってしばらくたったころ、九十九里浜の何箇所か海岸をまわってきました。横芝光町の栗山川河口付近には大量のペットボトルが打ち上がっており、かたわらには小学校で使うような黄色い絵具のチューブが落ちていました。洪水で流されてきたものなのかもしれません。薄青く、かさの大きさが30センチほどのビゼンクラゲが海岸のところどころに打ち上げられていました。数年前にはかさの大きさが1メートルほどもあるエチゼンクラゲが多数打ち上がったこともありましたが、最近はないようです。
 波打ち際には貝だまり(貝がたくさん打ち上がっているところ)がめずらしくできていて大型の貝がいくつもありました。その中に千葉県レッドデータブック要保護生物に掲載されているヒナガイを見つけました。千葉ポートパークなどにすむカガミガイに似た白くて丸い二枚貝です。大きさは8センチにもなります。放射状のピンク色の線があるのですぐ区別できます。ヒナガイは外洋に面した砂浜にすんでいます。この日はほかにベンケイガイ、サトウガイ(アーネスト・サトウにちなんでつけられた)、チョウセンハマグリ、フジノハナガイ、ヒメバカガイなどが採集できました。同じくRDB(レッドデータブック以下略)掲載種のワスレガイは九十九里浜のいずれの海岸でもみつかりませんでした。ことしの秋はヒナガイを4個体ほど合弁で(二枚合わさっている状態)採集しましたが、生きているものはありませんでした。
 しかしヒナガイがこれほど採集できた年は今までになく、少しずつ海の生物が戻り始めてきているという印象です。館山湾でも絶滅したオキアサリという二枚貝を80年ぶりに発見しました。
 貝がささやく自然の少しの変化をとらえていきたいと思っています。

ご寄付ありがとうございました

 ご報告が遅くなりましたが、8月にお願いしたフレンドシップキャンプにたくさんの皆さんが賛同くださり、89,000円をお渡しすることができました。
 今年も8/17~20福島県伊達市から44名の小学生が来葉し、千葉市の子どもたちと野外で思いっきり楽しい夏休みを過ごしたようです。ご協力誠にありがとうございました。             事務局
 

【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2016年1月号(第222号)の発送を 1月 8日(金)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。

編集後記: 今年も「下大和田谷津田ごよみ」ができました。子どもたちの笑顔と共に生きもののいのちのにぎわいをご堪能ください。ご希望の方は82円切手を同封し,宛先を書いて事務所までご連絡くださればお送りいたします。 mud-skipper♀