ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第224号
目 次
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千葉市稲毛区 石橋 紘吉
1.ドンドン焼き
下大和田のわいわい広場で正月あけに「ドンドン焼き」を行いました。このドンドン焼きの由来は様々あるようですが、自分の故郷では「左義長」(サギッチョ)と言っていました。わが故郷は福岡県久留米市郊外の田園地帯の真ん中にあります。南に耳納連山、北に背振連山、東に宝満山、2㎞先に筑後川が流れています。
正月の15日、小学生高学年が中心となり、土手に穴を掘り太く長い真竹3本立て藁を巻きつけて夕方に火をつけます。しめ縄などの正月の飾り物も持ち寄って一緒に燃やします。灰の中に餅を入れ焼いて食べるのが楽しみの一つでした。
真竹は半焼けの状態で大人の人が切り割りして輪を作りそれを持って帰り玄関先に飾ると、魔よけや病気にならないと言われたものです。自分が中学生になる頃にはこの行事もしなくなりました。
2.モグラ打ち
このサギッチョの前日の14日は「モグラ打ち」を行います。女竹の先に藁を巻き縄で固く縛ります。早朝に庭先や畑の周りの地面を竹のしなりを利用して強く打ちつけモグラを追い出す農事の一つです。他家に負けまいと地面を叩くことで自分の土地からモグラを追い出すのです。
3.寄合
サギッチョの翌日?はお米やお金を持ち寄って当番の家で料理をしてもらい、この日は魚や肉をたらふく食べることができました。食事が貧しい時代では子供にとっては楽しみ一つでした。また田植え前には「ダブリュウ」といって水路に水が張られると水神様に豊作を願い笹竹を水路に立てお米・煮干・スルメなどを紙に包んでありました。大人の人は当番の家に集まり料理を作り会食し豊作を願いました。大人の代理で出席するとたら腹のご馳走(田舎料理)を食べられました。
4.お水取り
夏にはお水取りがあり4㎞はなれた高良山から清水を汲んできて(当時は車が無く大変)各家を回りサカキで水を玄関先にまき清めたものです。当番になると大変でした。高良山には有名な高良神社(創建は5世紀)があり筑後一帯は皆氏子で一年に一回お札が配られ神棚に飾ったものです。
5.お施餓鬼祭り
家の庭先に「お施餓鬼」の塔があり5月ごろ水路での水難が無いように近所の人が集まり、お坊さんを呼んで経をあげてもらい、子供は茹でソラマメやおにぎりをもらいこれも楽しみの一つでした。
6.相撲
秋には近郷の市町村の選手が集まり、神社の境内で相撲大会が開かれ、屋台なども出ていました。奉納相撲だったのだろうと思います。
7.秋祭り
十月の収穫が終わると鎮守の森でお祭りがあり娯楽の無い時代は子供にとって楽しみの一つでした。
8.おくんち
わが村の行事ではないけど隣町の行事で10月19日「おくんち」と言う祭りがあり、下宮から本宮まで約2㎞の道を太鼓、奴、稚児等の行列があり、前日、夜は夜店も出て楽しいものでした。本宮は北野神社といって京都の北野神社につながり創建は天喜2年といわれています。由来は忘れましたが、さば寿司・カマス寿司が名物でこれを食べないと秋祭りが終わらないものでした。
1~7までは既に廃れて行われなくなり、8は復活してコスモス祭りと抱き合わせて行われています。コスモス祭りは自分たちが始めたんだと町の人は自慢しています。娯楽も多様化し、農業も神に頼らず科学の時代で古き良き時代は帰ってこないようです。寄合も子供や大人に絆を深めいじめや不仲など縁遠いものでした。ドンドン焼きはあちこちで形は変っても復活されておりうれしいものです。皆様の子供時代はいかがでしたか?
生物が田んぼや川から消えていった最大の原因は農薬にあると思います。わが故郷の家の前は幅10m・水深1.5mほどの用水路があり、子供時代の最高の遊び場所で夏は8時くらいから夕方5時くらいまで何度も泳いだものです。疲れれば甲羅干しをしたり、雨が降ろうと釣りをやったりでした。魚影も濃く水中に潜って素手でフナなどを取ったものです。
農薬が大量に使われだすと遊泳禁止になり、まず肌の弱いドジョウ、ナマズ、ウナギなどがまず居なくなり、ほたるも居なくなりました。わが故郷はジストマといって肝臓を冒す寄生虫の生息地でした。自分もジストマに冒されて治療のため静脈注射を数ヶ月打ったものです。そんなこともあって薬剤散布が始められ、護岸は土からコンクリートに変っていき生物が棲めない環境に変っていきました。
護岸のコンクリート化は農家の水路維持の大変さの解消もあります。夏場は胸まで浸かって藻切り、冬場は川底に溜まった泥を高さ2mまで放り上げ川底払い作業があり大変なものでした。護岸のコンクリートかは必ずしも必要悪とは言えない面もあります。
大網白里市 平沼 勝男
海の駅と漁協の直売所
ミヤコドリの撮影もでき帰ろうと車に乗ったのですが、片貝港に隣接する敷地に道の駅ならぬ「海の駅」があることに気が付きました。建物の中に入ってみるとすぐにマイワシの群れが泳ぐ水槽がありありました。その奥は九十九里のイワシ漁の博物館となっています。
江戸時代は綿花の栽培が盛んになり、その絶好の肥料となるイワシを獲る漁業はこの地域の重要な産業だったようです。食べる目的ではなく、干鰯(ほしか)と言うものを生産して出荷していたようです。勉強になりました。もちろん地元の産品を販売するお土産コーナーもあります。私は「イワシゴマ漬け」を買いました。
また港湾のすぐ出たところの道路沿いに漁業者の直売所があります。JFと書かれた看板が目印で、片貝港にその日水揚げされたマイワシやカタクチイワシを買うことができます。
ここはおすすめの場所です。あいにくこの日は漁がなかったようで販売していませんでした。前回来たときはマイワシを購入し、天ぷらと刺身にして食べました。そのおいしかったことと言ったら、やはり鮮度は抜群でした。結構買いに来る人は多かったです。皆さんスチーロール箱などを持ち、キロ単位で買っていました。500g以上であれば売ってくれるはずです。その日の値段はキロあたり300円でした。
千葉市稲毛区在住 平田 和博
信号機のない横断歩道を渡る時、私達は車が来ないことを確認してから急いで渡る。車は止まらないからである。道交法では、車の運転手は一時停止して横断歩行者の安全を守る義務がある、と定めているのに。
欧米を旅行した時の経験だが、信号機の有無に関係なく、横断歩道を渡ろうとしたら走行中の車が一時停止した。当初は驚いたが、さすが自動車先進国だと感心した。
車が止まらないからと、日本ではやたらと信号機を設置する。都市の中心街では100㍍以下の間隔で信号機が設置されているし、中心部以外でも300㍍ほどの間隔である。このような信号機の多設は日本だけで、他国の人達は異常に感じるだろう。
信号機が多いと運転しづらいし、燃料の消費も多くなる。2000cc前後の自動車が1時間アイドリングすると、燃料1㍑消費されると言われている。例えば、千葉と船橋の間で10カ所2分間信号待ちしたら約0.3㍑燃料が無駄に消費されることになる。片道500台走行していると仮定すれば、往復路で300㍑のロスが生じる計算になる。もったいないことである。信号機を撤去出来ない現状では、信号待ちの間エンジンを止めるよう心がけたいものである。
哺乳類研究者 香取市 濱中 修
県北のヒメネズミは保護が必要
ネズミの保護などというと、違和感をもつひとがいると思います。ネズミということばで、“家ねずみ”を想像してしまうからでしょう。
千葉県北部に棲むヒメネズミは、確かに保護を必要としています。成田市周辺などのわずかな森林でしか、ヒメネズミの生息が確認されていないからです。
アカネズミとヒメネズミは、どちらもアカネズミ Apodemus 属に分類され、外見はよく似ています。しかし、この2種類は、棲息環境の範囲が、大きく違います。前号で述べたように、アカネズミは、森林から草原まで、いろいろな環境に棲んでいます。いっぽう、ヒメネズミは、森林だけにしか棲んでいません。
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ヒメネズミが少ない原因
今から約1万年前に、最後の氷河期が終わり、地球は温暖な気候に変わりました。その結果、海面上昇が起こり、千葉県北部の低地は、海底に沈みました。北総台地は、陸として残りましたが、温暖な気候になったにもかかわらず、スダジイを優占種とする極相の照葉樹林への遷移は進みませんでした。
台地の縁は、リアス式海岸となり、魚介類豊富な遠浅の海になりました。台地の上には、漁業で生計を立てる縄文集落がたくさん形成され、魚介類の加工などのために、燃料として大量の樹木が伐採されました。台地の森林は、樹木が大きく成長する前に伐採され、雑木林や松林など、二次林の状態で推移しました。スダジイの森林は、神々の領域と見なされた、わずかなところにしか形成されませんでした。
その後、海面は、現在の水準まで、しだいに低下し、千葉県北部の低地は、陸に変わっていきます。そのころ、稲作農業が西から伝わってきましたので、そこは水田に変わり、森林になることはありませんでした。
台地の上の森林は、薪炭林としての利用が続き、遷移は進みませんでした。この状況は、近世まで続きます。ですから、千葉県北部には、特別な場所を除いて、ずっとスダジイの森林がなかったのです。
ヒメネズミは、昆虫を捕らえて食べ、木に登り、枝先の果実などを食べて、生活しています。でも、冬には、これらの食べ物がなくなります。
クヌギやコナラ、照葉樹では、アカガシなどのどんぐりは、タンニンが多くて、食べられません。スダジイのどんぐりは、タンニンが少ないので、食べられます。ヒメネズミは、スダジイの森林がないと冬を越せません。
ヒメネズミが冬を越すには、広い面積のスダジイの森林があることが必要です。ヒメネズミがそこから分布を拡大するには、森林が連続していることが必要です。千葉県北部には、この2つの条件を満たしている場所が、長い間、ほとんどありませんでした。そのような歴史があるために、ヒメネズミが棲んでいる森林が少ないと考えてよいのです。
ヒメネズミの繁殖活動
ヒメネズミの繁殖活動のピークは、春と秋に2回あるとした論文があります。清澄山での調査結果をもとにしたものです。
私は、自分自身の採集結果から、千葉県を含めた本州照葉樹林帯で、ヒメネズミは、冬に繁殖活動のピークを迎えると考えています。
繁殖期に栄養価の高い食べ物があることは、とても大切なことです。これも、スダジイの森林がないと、ヒメネズミがいない理由の1つです。
ヒメネズミは、太い樹木の根元の樹洞などを、ねぐらにします。でも、そこはテンなどの捕食者に襲われやすい場所です。子どもは、もっと安全なところに産んで育てたい。冬、小鳥のために、人間が木の幹に設置した巣箱の中に、ヒメネズミが子どもを産んで育てていることがあります。
ヒメネズミ保護の方法
ある動物について、生息数が少なく、絶滅の心配があるというと、すぐに捕獲禁止にすればよいと考えるひとがいます。そうではありません。
ネズミは、私たちと同じ哺乳類で、知能が発達しています。“家ねずみ”の撃退を試みた経験があるひとなら、わかることです。わなに、簡単にかかったりしません。ヒメネズミが、捕獲によって、絶滅することはありません。
ヒメネズミが棲む森林を維持、管理することが、保護の唯一の方法です。実は、成田市周辺のヒメネズミ生息地は、空港になったり、宅地になったり、開発によって、大きく狭められています。残された森林を、よい状態で維持しつづけることが必要なのです。
貝のよもやま話 25
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ニュースレター2016年4月号(第225号)の発送を 4月 8日(金)10時から
事務所にておこないます。
発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。
編集後記: 編集後記:1月24日、強い寒気の影響で沖縄や奄美大島で雪が降りました。千葉市でも氷点下の日が続き、ニホンアカガエルの産卵も例年になく遅かったので、寒い冬かなと思っていたら、記録的な暖冬だったとか。今年の梅は花付きが悪く、華やかさがないように感じます。何かが違う冬でした。 mud-skipper |