ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第230号 

2016.9.7 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 千葉ニュータウン事業地に残された豊かな生物多様性をまちづくりに活かす活動の結果報告
  2. 海岸砂丘における生態系サービス その2「自然の恩恵を受けた酒造り」
  3. 千葉県にすむ哺乳類19  アブラコウモリ
  4.  下大和田南川キャンプ

千葉ニュータウン事業地に残された豊かな生物多様性を
まちづくりに活かす活動の結果報告

 2013年に会員の皆様に署名のお願いをいたしました「奇跡の原っぱ」が残る千葉ニュータウン21住区保全に関して、継続して取り組んでこられた「亀成川を愛する会」事務局より、協力への丁寧なお礼と共にご連絡をいただきましたので、報告させていただきます。(事務局)

亀成川を愛する会 

 亀成川の支流である古新田川の源流域は、ニュータウン事業計画地となってから40年以上も宅地化が進まなかったため、谷津だった水辺は水辺の生き物のサンクチュアリとなっており、いったん造成された場所は日本各地で滅びてしまった草地が広がっていました。
 水辺については、①当会と日本トンボ学会の要望に応える形で、ニュータウン事業計画の実施主体であるURが、希少種保護のための専門家による検討委員会を設置したこと、②当会から印西市議会に提出した請願が議員全員の賛同を得られたことなどにより、当初は埋め立て予定だった池などが、谷津の生態系を活かした公園、緑地として残りました。
 これによって、2015年、当会では専門家の意見や関係当局との話し合いなどにより、「谷津に親しむ公園つくり」計画案を作成し、それに沿う形で、2015年度からさまざまな環境維持・復元のための活動に取り組んでいます。
 一方、いったん造成された宅地が放置されてできた「奇跡の原っぱ」については、2013年、公益財団法人日本自然保護協会とともに、UR(都市再生機構)、千葉県、千葉県企業庁、印西市に、「買い手がつかない場合には造成しないでください。未造成地に残る貴重な生態系をまちづくりにいかすための協議の場を作って下さい」という要望の署名活動を行いました。この活動には、美しい手賀沼を愛する市民の連合会や里山シンポジウム実行委員会や地元の市民団体などからも賛同をいただきました。また、時期を同じくして、日本生態学会、日本植物学会、千葉県生物学会から、要望書や意見書が提出されました。
 当会では、地元印西市にチラシ8万枚を各戸配布し、街頭署名活動5回、インターネット署名も行いました。これらの活動はマスコミの報道にも取り上げられ、テレビでは全国放送番組で4回、ヤフー,グーグルのネットニュースで各1回取り上げられました。また,毎日、読売新聞の全国版、共同通信による全国配信や地域版にも取り上げられたおかげで、全国から10,687筆の署名が集まりました。
 この貴重な署名簿を2013年9月25日に千葉県、URなどに提出し、2014年1月31日に回答が申し渡されました。結果は「当初の計画どおりに造成を行う」という非常に厳しい回答でした。
 そして、2016年春から、奇跡の原っぱと呼んだ場所の造成が本格的に始まりました。これは、2018年度にURがニュータウン事業から撤退するため、その前に宅地造成を完成させようというものです。
 亀成川を愛する会では、2015年3月、印西市議会に陳情書を提出するなど印西市への働きかけを続け、「奇跡の原っぱ」が消える前に、原っぱの希少種を守るための対策を取ってくださいとお願いしていたこともあり、2016年5月、当会と印西市関係課との話し合いの場において、以下のことについて決定したと告げられました。

  ①原っぱの希少種のあった表土の一部を、埋土種子保全のため別の場所に移動する。
  ②水辺の樹林地については、さらに2ヘクタールを追加し、印西市の都市緑地として残す。

 これは、皆さまの支援により、関係当局がこの地域の生物多様性の保全に動いた結果です。署名してくださった多くの皆さま、声をかけて集めてくださった皆さまをはじめ、市民団体、日本自然保護協会や関係学会の方々の大きなご支援に対して心からお礼申し上げます。
 残念ながら当初願っていた原っぱの保全は叶いませんでしたが、私たちは今残された自然を大切にして、育てていきたいと考えております。この地域の保全活動に、今後ともご協力とご支援をいただきますようお願いいたします。 

海岸砂丘における生態系サービス
その2「自然の恩恵を受けた酒造り」

北総生き物研究会 東京都北区 金子 是久 

1.はじめに
千葉県は、三方を海に囲まれ、海岸砂丘が帯状に分布している地域であり、現在は太平洋側(外房)の海岸地域を中心に酒蔵が存在している。しかし、大正時代には、東京湾側(内房)の主要な沿岸都市でも多くの酒蔵の記録があった(鈴木1997)。これらの酒蔵は、既に廃業しているが、酒造業を営んでいた時代は、海岸砂丘の生態系サービスを活用した酒造りを行っていたと推察したことから、上記の酒蔵環境(地形・土壌・土地利用・地下水深度とその水質)を調べた結果、酒蔵は、自然の海岸砂丘上に位置し、海岸砂丘の淡水層(地下10m)を仕込み水として使用し、自然の恩恵を受けた酒造りを行っていたことがわかった。
 今回は、船形町・那古町・豊房村・北条町・館山町(現在の館山市)にあった一部の酒蔵において大正時代の酒造りの様子がわかる詳細な資料を入手したことから、これらの地域の酒蔵について紹介する。

2.調査方法
 船形町・那古町・豊房村・北条町・館山町(現在の館山市)の酒蔵の情報については、千葉県酒造組合連合会(1925)、館山市史編纂委員会(1981)、北条税務署 大正13年改調 酒類製造免許臺帳、笹井(2016)の資料を参考にした。酒類製造場図は、北条税務署(1925)を用いた。また、調査対象の酒蔵当主の末裔からは、酒造りの様子やその廃業理由について聞き取りを行った。

3.土地利用変化と酒蔵のあった場所 
 調査対象地の過去(大正・昭和初期の時代)と現在(平成時代)の土地利用を比較すると、船形町・那古町は、現在も中心街が残されているが、多くの店が閉店していた。一方、北条町・館山町は、笹子(2016)の資料からも大正時代は繁栄していた様子がうかがえるが、その後、海上自衛隊の館山航空基地、道路、住宅、大規模商業施設の建設、地域住民の車中心の生活の進行により中心街は郊外に移動した(図1)。また、これらの地域の酒蔵は、大正時代で8件であり(表1)、その詳細な場所を図2に示す。中でも、秋山酒類醸造工場の創業が寛政年間(1789~1801年)と最も古く、丸力酒造の明治元年創業、青木酒造場の明治3年創業が続いて古かった。その他は、明治時代後期、大正時代に創業した。また、8件の内の6件の酒蔵で酒類製造場図を確認した。これらの酒蔵の酒造りの様子及び廃業した理由については、次回号に記載予定。

 

 引用文献
 1) 鈴木久仁直著(1997)ちばの酒物語~酒づくり・心と風土の歴史~.千葉県酒造組合.
 2) 千葉県酒造組合連合会(1925)千葉県酒造組合連合会報・創立20周年記念号.
 3) 館山市史編纂委員会(1981)館山市史.(株)国書刊行会.
 4) 北条税務署 大正13年改調 酒類製造免許臺帳.
 5) 笹子三喜男(2016)『明治・大正・昭和館山商店街地図』(平成28年2月刊行).
 6) 北条税務署(1925)明治44年~大正14年の酒類醤油製造場図面綴.

千葉県にすむ哺乳類19  アブラコウモリ

哺乳類研究者 香取市 濱中 修 

バット・ウオッチング
 旅先でのことです。市街地の中の公園をでると、そこは両側に歩道がある広い道路でした。道路の反対側には、ビルが立ち並んでいました。上空から黒いものが落下してきて、車道に落ちる直前にヒラヒラと舞い上がりました。アブラコウモリです。空はまだ明るかったのですが、日は沈んでいました。
 公園の空には、つい先ほどまで、ツバメが飛んでいました。私はアブラコウモリを見慣れていましたから、それと気づきました。こんなとき、都市に暮らす人々の大半は、コウモリとは気づかないで、小鳥と思って、見過ごしていそうです。
 アブラコウモリは、人家の屋根裏などをねぐらにしてきましたから、イエコウモリともよばれます。都会のビルには、屋根裏などありません。でも大丈夫、ビルには、外壁の上端などに、アブラコウモリが、ねぐらとして利用できるすき間があります。狭いので、たくさんは入り込めないのですが,アブラコウモリの絶好のねぐらになっています。
 アブラコウモリは、ツバメと同じように、人里で人間と共生してきた動物です。日本の野生哺乳類の中では、唯一、誰でも観察可能な動物です。


 
 無断転載禁止


 日没からの1時間が、アブラコウモリを効率よく観察できる時間帯です。池のある公園などが観察に適した場所になります。
 夏の日、日が暮れるとともに、アブラコウモリが現れ、絵のように、池の水面すれすれに飛んで、水を飲みます。暑い昼をねぐらで過ごして、のどが渇いているのです。
 池にはボウフラやアカムシがいて、カやユスリカになって、水面から飛び立ちます。アブラコウモリの食べ物は、こういう小さな昆虫です。
 アブラコウモリは、昨夜から半日、食事をしていないのですから、おなかをすかせています。水面の上を飛びながら、一心不乱に食事もします。昆虫は光に集まりますから、アブラコウモリは、食事のために、水辺の街灯のまわりも飛び回ります。日没直後は、のどの渇きと空腹を満たすために、アブラコウモリがもっとも活発に活動する時間帯なのです。
 夜のとばりが下りると、飛び交うアブラコウモリが、だんだん減ってきます。ねぐらに帰ったわけではありません。夜間にねぐらに帰るのは、乳飲み子がいる雌だけです。
 人間に聞こえる高音の上限は、振動数20キロヘルツ前後です。それ以上の高さの音を超音波といいます。超音波の声を出す動物がいます。人間には聞こえなくても、声を出している動物には、その声が聞こえています。コウモリのなかまも、そうです。
 バット・ディテクターという機械を使うと、超音波を人間に聞こえる低い振動数の音に変えてくれますので、コウモリの声を聞くことができます。
夜の公園で、バット・ディテクターのスイッチを入れると、コウモリの鳴き声が聞こえてきました。飛んでいるコウモリはいません。コウモリは、公園の木の中で、休んでいるようです。休息しているときの声では、コウモリの種類を判定できませんが、多くはアブラコウモリであると思われます。コウモリは、明け方にねぐらに帰りますから、明け方にも、空を飛んでいくアブラコウモリを観察できます。

コウモリのエコーロケーション
 校舎などに、コウモリが迷い込んでいることがあります。そういうときは、そっと近くの窓を開けておきましょう。
 鳥は、視覚に頼って生活していますから、透明な窓ガラスに気づかずに激突して、ときには、命を落とすこともあります。建物に入ってきたら、注意深く外に誘導する必要があります。コウモリは、そんな心配がいりません。
 音は、物体に当たると、反射して戻ってきます。戻ってくる音を、エコー(やまびこ)といいます。コウモリは、自分の声のエコーで、まわりをとらえます。エコーロケーションといいます。
 透明な窓ガラスであっても、エコーはかえってきます。窓が閉まっていれば、コウモリにはわかります。開いた窓を見つけて、そこから出ていきます。
 アブラコウモリは、45キロヘルツ前後の音をエコーロケーションに使います。この高さの音は、波長が7~8ミリメートルになります。カやユスリカの成虫の体長とだいたい同じです。エコーロケーションでは、音の波長に近い物体が、もっともよく認知できます。だから、アブラコウモリは、エコーロケーションで食物を探すことができます。

コウモリの種類数
 世界の哺乳類で、種類数がもっとも多いのは、リスやネズミのなかま(齧歯類)です。その次に多いのが、コウモリのなかま(翼手類)です。
 日本の陸生哺乳類では、コウモリのなかまが、一番種類数が多い。それは、千葉県でも同じです。しかし、アブラコウモリ以外は、捕まえてみないと、正確に種類を判定できませんので、その生活の様子がわかりません。だから、私には、アブラコウモリ以外のコウモリについて、お話ができません。
 


 下大和田南川キャンプ

東金市   小学4年 石井 孝侑   

 8月5日~6日、下大和田谷津田でキャンプをした。主催者は南川さんだ。参加者はぼくの家の他には檜原家。集合時間前の午後1時に谷津田に着いた。
 お風呂に使うすのこを作った。杉の木の板にくぎを打って作った。作っている途中、南川さんが到着した。早速南川クイズが始まった。ぼくたちはすのこ作りをやめ、クイズに参加した。そうなると大人がすのこ作りを始めた。キャンプのスタートだ!
 お風呂をわかすために、まきを拾って、火をつけた。お湯がわいてからテントを張った。南川さんのテントは、自転車の旅用のテントだった。テントを張り終えると、檜原家のテントで、南川さんが作ってきてくれたトランプをやった。名前は「カエルでドボン」南川さんのあっ勝だった。
 暗くなって、バーベキューをしていると、黄色いライトにカブトムシの雌が飛んできた。カブトとは一晩だけ一緒に過ごした。風の向きが変わって、カブトがいぶされると、誰かが大騒ぎをして大急ぎでケースを移動した。
 夕食後、再び「カエルでドボン」。それが終わるとお風呂だ。谷津田のお風呂はドラム缶風呂。ちょうどよい湯かげんのはずが、やさしいぼくの父さんはまきを入れて追いだきした。ぼくたちはにえた。忘れられないお風呂だ。
 お風呂の後は、夜の散歩をした。南川さんが星の説明をしてくれだけど、ぼくには、どの星を指して言っているのかわからなかった。一日の最後はキャンプファイヤー。楽しい一日だった。ぼくは9時半にねた。
 次の日5時50分に目が覚めた。南川さんは火をつけていた。大きなまきが5本位入っていた。ぼくはすぐに火の番をした。朝の散歩が終わると、朝食を食べた。おいしいピザだった。食後はまたまたГカエルでドボン」また南川さんのあっ勝だった。普通のトランプでじじぬきもした。僕は2位だった。
 トランプが終わると、枕とねぶくろ投げをした。2チームに分かれて、体に当てると1点、頭に当てると2点。南川さんはしんぱんだった。ぼくは、しゅうすけくんとチームを組んだ。武器は4つ。ぼくのチームはすぐに武器を取られてしまい弱かった。すごくあつかった。南川さんはしんぱんなのに、大汗をかいていた。
 休けいの後ぼくたちはもっとやりたかったのに、南川さんはなぜか田んぼの草取りをしていた。そして「いいかい、『南川さんが田んぼの草取りをしていた』とあじろさんに報告するんだよ」と2回言っていた。ぼくはそれを聞いて、「南川さんもぼくと一緒だな」と思った。
 ぼくは次の日、自然観察会で小西さんに報告したけれど、かん心のあじろさんに報告するのを忘れてしまった。南川さんはおこるかな?いや。南川さんはおこらない。ぼくは、また来年、南川キャンプに参加することにした。

フレンドシップキャンプへのご寄付ありがとうございました。

 今年も千葉YMCAさん主催で8/17~20日開催されました。福島県伊達市から小学校4~6年生40人が来葉し、千葉市の子どもたちと楽しい時間を過ごしました。皆様からのご寄付は福島からのバス代の一助にと、8/19ジェフ千葉のサッカー場でお渡しいたしましたのでご報告いたします。ご協力誠にありがとうございました。(ご寄付総額は60,961円でした。ちば市民放射能測定室と合わせて合計20万円をお渡ししました)

【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2016年10月号(第231号)の発送を10月7日(金)10時から事務所にておこないます。
 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。


 編集後記 : 毎月第1日曜日に実施している下大和田谷津田観察会、9月4日に第200回を迎えることができました。2000年2月から一度も休むことなく続けられたのは、谷津田と生きものが大好きな仲間たちのおかげと感謝しています。記念として「生きもの栞」を同封いたしました。撮影者は、毎回講師を務めている網代春男さんです。    mud-skipper