ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第238号
目 次
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川崎市 高橋 克行
1.はじめに
千葉市に石炭火力発電所の立地計画があることで、小西さんに大気汚染の専門家の立場での見解を,という原稿を頼まれました。でも、ここでは石炭火力の是非についてあえて記すことをしません。また、私は石炭火力の建設に関して,利害関係がないかといえば全くないわけではありません。実際,市原の建設計画が断念されたことで、見込んでいた収益を失っています。一応,中立的な立場で原稿を書いていきますが、読者のみなさんはこのことをご承知おきいただいたうえでお読みいただければと思います。
2.千葉市の黒い粉じん問題について
まずは,ニュースレター第236号で小西さんが紹介していた「黒い粉じん問題」についてです。千葉市中央区臨海部にお住いのみなさんから黒い粉じんに対する苦情があり,千葉市が実態を調べたそうです。
今回、 この記事を書くにあたり千葉市のウエブサイトで報告書や専門委員会の議事録を読んでみました。第一印象は非常にていねいに調査が行われたな、ということです。また評価も客観的に行われています。専門委員会の座長の思いがにじみ出ていると感じました。ただ,客観的すぎて一般の人からみると,セリウムって何?セシウムとどう違うの?という思いがあるのではないでしょうか。もうちょっと解説を付け加えても良かった気もします。もっとも、解説を付けたとたんに、読者に予断を与えることになります。それを避けるためにも,極めて行政的な報告書になっているので、そこは良しあしです。
では、誤解を恐れずに解説をしてみます。まず調査の方法ですが、あまり聞きなれない降下ばいじんというものを調べています。皆さんがよく耳にするPM2.5は空気中に浮かんでいる粒です。でも大きな粒になると、これは重たいですから、風に吹かれて巻き上がったとしても、いつか落ちてきます。こうして自然に落ちてくる粒を降下ばいじんと呼んでいます。今回、 問題としているのはベランダなどにたまった黒い粒ですから、この調査方法は適切と思われます。
次に、調査をした場所ですが、一般環境と苦情者宅の両方で調査が行われています。今回、対象としている降下ばいじんと、PM2.5の滞空時間を考えると,当然のことながらPM2.5の方が長い間空気中に浮かんでいます。長い間,空気中に浮かんでいるということは、ここで発生した粒も、よそで発生した粒も良く混ざり合って広い範囲で均一になるということになります。一方、降下ばいじんはいったん舞い上がった後にある時間を過ぎると落ちてきますから、落ちてくるところと、落ちてこないところがでてきます。そのような粒が落ちてくるところがいつも決まっているのか、それとも、どこにても落ちてくる可能性があるのかを調べる必要があります。その意味ではこの調査で選んだ地点も適切であると言えます。
最後に、この結果をどのように読み解くかです。初めにも触れたように、客観的にコメントするのは難しいですね。特に今回、検出されている成分に鉄(Fe)が含まれています。鉄はどこからやってくるのでしょうか?それを考えるには人類や地球の歴史を考える必要があります。私たちの周りには鉄でできた品物があふれています。また、子どものころ磁石で砂鉄を集めたことがあるでしょう。つまり、鉄は珍しい物質ではなく、どこにでもあるものです。だから黒い粒の中に鉄が含まれていたとしても、砂が飛んできたのかなと想像することもできます。ただ,積極的に鉄を集めているところ、鉄の製品を作っているところは、通常の環境よりも鉄がたくさんありますから、それだけ鉄が飛び散りやすいということは想像できます。それから調査結果を見ると,降下ばいじん量の多いところはどうも限定されているようです。臨海部に集中しているのはこれは誰の目にも明らかです。臨海部から比較的近いところにあった鉄が巻き上がって、それがある程度決まったところに落ちてきている、と受け取るのは自然のことのようです。
専門委員会ではこれらの調査結果を受けて、引き続き監視を行っていくことと、情報の発信、共有を図り、市民、事業者、行政がそれぞれの役割や対応の検討を促進させる必要があることを提言しています。
3.石炭火力発電所について
石炭火力の問題は有害物質の排出よりも,二酸化炭素の排出が多いことが問題と思います。小西さんが書いているように,二酸化炭素の排出量を他の発電用の燃料に比べてみると、石油に匹敵し、LNGの2倍です。でも、LNGのたったの2倍で、べらぼうに多いという印象はありません。独り言を許してもらえば、そこに目くじらを立てるのはいかがなものかという思いもあります。すべての火力発電所を停めるという選択は、いまのところ「ない」と思われますし、かといって原子力や風力・太陽光は現実的に利用できそうでしょうか。これらは哲学とか宗教(ここで言う宗教とは,文字通りの宗教ではなく,何を信じるかというイデオロギーのことを指します。念のため。)の違いのように感じます。
ここでは二酸化炭素は他の人に任せて、石炭火力発電所から排出される大気汚染物質,窒素酸化物や硫黄酸化物、ばいじんについて考えてみましょう。
素朴に物を燃やすと、その物に含まれている物質の酸化物が発生します。その中には人間や動植物に影響を与える物質もあります。窒素酸化物や硫黄酸化物はその典型的な物質です。ただ、これらの物質は多くの技術者の努力の甲斐があり,排出を抑制することができます。窒素酸化物や硫黄酸化物は化学反応を利用した脱硝装置や脱硫装置を使って煙突から出ていく量をかなり減らしています。また、ばいじんは集じん技術が発達していますから、集じん装置を通すことで10000分の1くらいまで減らすことができます。さて、石炭を燃やす場合に特に心配しなければならない物質の一つに水銀があります。水銀にはガス状の水銀と、固体の水銀があります。固体の水銀は私たちの誇る集じん技術によりあまり問題にはなりませんが、ガス状の水銀は簡単ではありません。この場合、どういう対策をするかというと,水銀があまり含まれない石炭を買ってきて燃やすという方法がとられます。きれいな石炭を使うということです。当然のことながら、きれいな石炭は値段も高いので、私たちの電気代にも響くことになります。
もっとも、このような対策をしたところで、水銀や窒素酸化物の発生をゼロにすることはできません。これは、どこまでなら許せるかという民意、政治の世界の判断になります。よくある、安心・安全とかいう議論ですね。
4.石炭火力発電所建設に対する行政意見
では、行政ではどのような判断がされているのでしょうか。
この記事を書くために千葉市の石炭火力発電所建設の環境アセスメント手続きのうち最初に行われる計画段階の環境配慮に対する考え方を調べてみました。環境配慮に対しては、国民、都道府県知事・市町村長、国等が意見を述べることができます。
この中で影響力が大きいと思われる環境大臣意見を提出したときの定例記者会見のメモを環境省ウエブページで読んでみました。山本大臣は石炭火力発電所に関してかなり否定的な考え方を持っています。その主な理由は二酸化炭素の排出に対する懸念です。
最も多くの大気汚染に関する注文をつけた千葉県が提出している意見をみてみますと、次の8項目が述べられています。1)排ガス処理について、2)大気調査、予測、保全措置について、3)浮遊粒子状物質について、4)微小粒子状物質について、5)水銀について、6)石炭燃焼由来の有害物質について、7)石炭粉じんの飛散対策について、8)混焼するガスについて、です。3)、4)及び7)が粒子状物質についてなのですが、3)と4)は直接、局所的な地域に影響する問題ではないように思います。また、5)の水銀と、6)の有害物質もわが国の技術で排出が抑制されるように管理されると思われます。むしろ
7)の石炭の再飛散の方が近くの住民にとっては問題と思います。これについては「石炭の揚炭から保管に至る設備の仕様計画を詳細に明らかにするとともに、密閉構造を採用しない設備については、石炭粉じんの環境保全対策を改めて検討し、飛散のおそれがある場合には、調査、予測及び評価を行うこと」となっています。この記事の前半でとりあげた黒い粉じんのところでも述べたように、風で巻き上がった石炭の粒は発電所に比較的近いところに落下してくると思われます。
5.最後に
「石炭火力発電所と大気汚染の関係で心配なことは何か」という記事の結論は、「あまりない」です。それは先にも紹介した環境大臣意見の「概要」に,温室効果ガスの排出のことへの懸念が示されている一方で、大気汚染物質のことはあまり詳細に触れられていないことからもうかがえます。
発電のエネルギーが火力なのか、再生可能エネルギーなのかという議論よりも、物資にあふれ、便利すぎる生活の見直しの方が、よっぽど大事なことだと思う、ということを述べて、この記事を締めくくりたいと思います。
北総生き物研究会 金子是久
1.はじめに
大正時代に千葉県(東京湾側)の海岸砂丘に記録されていた酒蔵の主な廃業理由として、以下のことが挙げられる。
1) 人々の嗜好の変化(洋酒(ビール・ワイン等)による廃業。
2) 1923年の関東大地震で建物が倒壊し、再建が困難となり廃業。
3) 企業整備令(1942年公布)又は米不足による廃業。
4) 沿岸地域の工業化で地下水が多量に採取され、地下水が不足し廃業。
今回は、3)企業整備令(1942年公布)および米不足による廃業の理由について詳細に調べた。
2.調査方法
調査地の酒蔵情報については、関係資料の他に、酒蔵のご子孫から聞き取りを行った。
3.結果および考察
第二次世界大戦中の酒造原料米の不足により、国は、企業整備による酒造業の区分を行った。清酒製造業は、第三種工業部門(指導整備:法律ではなく政府の指導で、主に中小企業を対象に企業整備を行う)に指定された。千葉県では、企業整備前の清酒蔵元は104工場であったが、その内、68工場が操業工場に指定され、生き残りを許された。存続率は65%であり、全国的には比較的高い値であった(鈴木1997)。
調査地における酒蔵のご子孫の聞き取り調査および過去の資料によると、小川安右衛門氏(幕張町(現:千葉市花見川区))、高梨廣璋氏(椎名村(現:千葉市緑区))、地挽幸之助氏(椎名村(現:千葉市緑区))、時田甚太郎氏(五井町(現:市原市))、岡崎源衛氏(巌根村(現:木更津市))、桑田長兵衛氏(金田村(現:木更津市))、加野平三郎氏(北条町 北条(現:館山市))の酒蔵が企業整備および米不足により廃業したと推察される。
上記の酒蔵の当主の家の記録が残されているので以下に紹介する。
小川安右衛門氏の酒蔵は、千葉県市鳥瞰図(松井天山(1929))には、昭和4年の酒造りの状況が描写されていたことから、昭和初期までは酒造業を営んでいたが、その後、企業整備または米不足により廃業したものと考えられる。
高梨廣璋氏の酒蔵(椎名村(現:千葉市緑区))は、海岸砂丘ではなく、丘陵地斜面に位置した酒蔵であったが、以下の記録がある。この酒蔵は、最盛期には千石(1升ビンで10万本)の酒を造っていた。そして、明治31年(1898)の『国の誉』には居宅図が紹介され、レンガ造りの煙突に接した建物には「清酒醸造場」と記されている(図1)。この酒蔵が醸した「高千穂」という銘柄の酒は、明治42年と大正4年には日本醸造協会から美味しい酒として表彰されている。しかし、昭和17年(1942)に戦争が激しくなり、米が自由に入手できなくなったために酒造りを止めた例もある(おゆみ野の歴史を知る会編2004)。
地挽幸之助氏の酒蔵は、天保三年(1832年)の創業で当主の地挽幸之助氏より4代前から酒造業を営んでいた。また、地挽家は村内有数の資産家でもあった。ご子孫の話によると、終戦前後まで酒造業を営んでいたとのことである。おそらく、企業整備または米不足による廃業と考えられる。
時田甚太郎氏は、同地方における需要者の多くが灘の酒を飲んでいることを遺憾とし、新たに杜氏や職人を招き、醸造の器具等の完備、倉庫の増築など醸造法を改めた結果、灘酒を愛飲していた者も争って購入するようになり、さらには、多額の精醸酒を輸出した。しかし、昭和15年に企業整備により廃業となり、その際は、かなり抵抗があったものと考えられる。 岡崎源衛氏の酒蔵は、代々酒造業を営み、酒は、風味絶佳にして世間に愛され、商売は繁盛していたとのことであったが、このようなお酒を造っていた酒蔵でも、昭和14-15年の企業整備により廃業したとのことである。近隣にあった桑田長兵衛氏(金田村(現:木更津市))の酒蔵も同じ時期に企業整備により廃業したとのことである。 加野平三郎氏の酒蔵は、戦前まで酒造業を営んでいたが、その後、廃業した。企業整備による廃業と考えられる。現在、ご子孫は、他の地域に移住とのことである(移住先不明)。 このように、先祖伝来の家業を突然強制的に失うという前代未聞の事態に、各地でトラブルや悲劇が発生し、転廃業者の中には、祖先に申し訳ないと自殺した者、失意の余り精神に異常をきたした者もいたとのことである(鈴木1997)。 引用文献 1) 鈴木久仁直著(1997)ちばの酒物語~酒づくり・心と風土の歴史~. 千葉県酒造組合. 2) 亜歴山篤爾儒魔(1898)国の誉.国光社,東京. 3) 松井天山(1929)千葉県市街鳥瞰図解説.聚海書林. 4) おゆみ野の歴史を知る会編(2004)おゆみ野風土記 ~ おゆみ野の昔と今~.
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編集後記 : 今回は石炭火力に対して異なるご意見を書いて頂きました。読んで下さる方がそれぞれお考え頂き,議論を深めていければと思います。まばゆい新緑の中、今年も谷津田の米づくりが始まりました。水路や畦の手入れなど、多くの仲間の陰の力があってこその活動です。 mud-skipper♀ |