ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第248号 

2018.3.7 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 谷津田の今後を考えるワークショップが開催されました
  2. 新浜(しんはま)の話2 「出会い」
  3. 復活 お魚の話 4 ~銚子のサバ~
  4. ちょっと良い本の紹介千葉県いきものかんさつガイド

谷津田の今後を考えるワークショップが開催されました

千葉市緑区   網代 春男 

 

 千葉市環境保全課自然保護対策室主催の千葉市内の谷津田で活動するボランティアを対象にした標記講座(平成29年度スキルアップ講座)が開かれました。

【日 時】平成30年1月25日 13:00-16:00 於;千葉市総合保健医療センター会議室

【講 師】日本自然保護協会高川晋一氏、藤田卓氏

【テーマ】谷津田の今後を考えるワークショップ~15年先の未来に向けたみんなでつくるアクションプラン~

【目 的】市内の谷津田においてみんなが行っている稲作や生物調査、森林管理、自然観察会などの保全活動を今後も継続していくために、仲間づくりや後継者育成のやり方について考えていくことが非常に重要になる。次の時代に向けて、どのように次の担い手を育成していくか、実際に15年先を見据えたアクションプラン(行動計画)を作成することで、「いま自分たちは何をすべきなのか」、「何ができるのか」を皆で考える。高川講師から今日のテーマの進め方の前に最近考えていることの話があった。

【要 旨】深刻化する里山での「地域絶滅」
 草原性環境が失われている。ノウサギが急速に姿を消している。大草でも草原性の普通種がこの10年で消えている(クサボケ、オカトラノオ、タカアザミ、ヤクシソウなど)草原が森林になってしまっている。
 モニタリング1000里地調査などでボランティアの活動で自然環境を調査、維持してきた。とても良い環境で大事にしていたところが産廃で埋め立てられ消えていった。(動いたけど防げなかった。) 

 深刻化する「社会課題」 
・生産人口の減少、集落の消滅…国家財政の破綻。
・低所得層人口割合の増加、母子家庭の大半が年収200万以下、若年層の非正規雇用増加。
・2度以上の温暖化は避けられない、豪雨・土砂災害の増加、超積乱雲の発生倍増。
・鬱病患者の増加、自殺者数年間3万人、20代の死因の50%。
・ボランティア活動は定年退職者が担ってきたところが多いが定年年齢が60歳から65歳になり70歳代でも意欲のある人は働いてもらうようになる。人材が集まらなくなる。
・これからはボランティアに頼るだけでは守られない。
・里山の資源が社会課題の解決に繋がることが重要。
 他所での成功事例の紹介もあった。木を地域通貨で購入して浴場施設の燃料を薪に変えてもらった。燃料を他所から購入するのではなく地域から調達、地域に還元するシステムを作った。

【ワークショップ】
 4名程度のグループ分け(所属団体でまとまる)をして考えたことを付箋に書き出し、模造紙に貼り付ける。ちば環境情報センター2名(田中勝利、網代)は、越智はなみずき台団地2名と組んだ。
① テーマに行く前に頭の体操で、地域の自然資源の新たな活用で「木を切る」に絞ってアイデアを箇条書きで書き出した。
② 地域の社会課題の書き出し。
③ ①②を関連づけて15年先の谷津田を残すアクションプランを考え書き出し。
以上をチーム毎に発表した。

【まとめでの高川講師の話】
 沼田眞先生の提唱した自然保護の定義=Nature and Natural Resource Conservation
「自然を常により豊かに保ちながら、その平衡を破ることなく、これを高度に活用し、豊かな状態のままこれを次の世代につたえ、遺す」の意であること(自然保護≠自然の保護)。
 これからの「自然保護への社会的要請」。
自然資源を守り・活かしながら 地域社会の課題の解決に貢献すること。今日はひとまず、思いを巡らせた。ヒントをつなぎ合わせるなどしてアクションプランの構想を高めて欲しい。

【網代の所感】
①で「木を切る」に限定したために、②の社会的課題と結びつきにくかった。
 どのチームも木で薪を作る、炭を焼く、キノコを栽培するなどや大学との連携(労働力確保)の程度のもので時間の制約もあり質疑や全体での討論もなく社会的課題に繋げるところが弱かった。15年後谷津田を残すアクションプランという点までは議論が深まらなかった。
 高川講師はまとめで今日はひとまず思いを巡らせた。それをヒントに今後考えて欲しいと述べていたが、まさに大事な課題であり真剣に今後議論を深めたいところであった。

【網代が付箋に書いたこと】
① 木を切る(資源の活用)…人工林は溝ぐされ病に冒されている。材として活用出来る部分は材に、できない部分は燃料で活用。キノコ栽培。雑木林に栗を混ぜて形成する
② 地域の社会課題…谷津田環境を将来に向けて安泰にする(改変されないように)。地域住民が貴重で重要な谷津田とまでは考えていないのではないか → 転用の恐れ。子どもの自然離れ。
③ アクションの構想(①②をヒントに)…地権を得る手立て、得た後のシステム構築、行政の本気度。子どもの自然離れ 教育のあり方 問題大きすぎ。こどもを小さいうちから自然になじませることが重要。ちば環境情報センターで取り組んでいる米作り 教育委員会、学校との連携を続ける。教育委員会⇒学校3年生を募集⇒こどもを自然に馴染ませながら親の労力で田んぼを維持。この方式を続けることで現在の範囲の田んぼ維持は将来も可能。→ 社会的課題に対応している。
 病気の材の活用…病気の部分を取り除いた部分は製材のパートナーを得てDIAの材として活用。→ 地権者へ還元する。
 病気の部分は燃料として薪、チップで活用…置いて貰えるところを探す。野菜の無人販売典の置かせて貰う。新しい情報手段で販売。キノコの栽培、栗を山林内に増やす。わずかながら地権者に還元可能。キノコの植菌体験、キノコ狩り体験 → 自然の中で遊びながら。参加費を地権者に還元できる。
 栗の木を山林内に増やす…栗拾い体験 → 自然の中で遊びながら栗拾いシーズンの何日かは参加費を地権者に還元できる。ニホンリスの餌の確保(保護)に繋げられる。

付記:地権取得の件をチーム内で話合っているときに高川講師が回ってきて50年間行政が借り上げ、税金を8割だか9割だか免除する制度がある。とのことだった。   

新浜(しんはま)の話2 「出会い」

千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子 

 私が初めて新浜に行ったのは、1964年6月、高校1年のことでした。上野の科学博物館主催、故吉井正先生の指導による新浜鴨場内のサギのコロニー見学会です。その後、新浜鴨場に入ることも、コロニーの見学という機会もまずなかったことを考えると、ほんとうに恵まれていたと今にして思います。
 初めてというのに集合時刻に遅れ(総武線本八幡駅集合でした)、科学博物館に電話して教えていただいたバスに乗って、「湊新田」のバス停で下りました。度胸だけはよかったのでしょう。遅刻のくせはいまだになおらず、毎朝のラジオ体操に1、2分遅れて、元気にみなさんにご挨拶。これも度胸?
 湊新田のバス停からほんの数軒家並を抜けると、一面の水田がひろがっていました。水田の中に盛り上がった「島」(現在も弁天公園として一部が残る)の横をすぎると、彼方に黒々とした新浜鴨場と丸浜養魚場の松林が見えました。

 

 踏みしめる道ははずむ芝土。かたわらは幅2mほどのクリーク「堰(せき)」。道も堰も今も残ります。ふたをされ、存在すらわかりませんけれど。当時の堰は道よりも大事な交通路でしたが、海苔網や収穫した蓮根を積んで行き交うべか舟は、1、2年の間に軽トラックにかわりました。
 アシに止まって鳴き立てている小鳥がオオヨシキリだと自分でわかったうれしさ。1㎞ほど先の新浜鴨場の林では、点々と止まった白い花のような白鷺が、たえず舞い上がったり舞い降りたりしています。風のなかにコロニーのなんとも言えないざわめきと、においがまじってきました。
 門の手前あたりで、無事に一行と合流することができました。新浜鴨場の本溜(もとだまり)に通じるくぐり戸を1歩入ると、そこはまったくの異世界でした。本溜とは冬にカモを呼ぶための池で、そこから幅1mちょっとの水路がひかれています。切り立った水路の両岸には40㎝ほどの低い土手があります。冬のカモ猟では、おとりのアヒルを使ってこの細い水路にカモを誘い込み、驚かせて飛び立つ瞬間、左右の土手に隠れた人たちが、大きな捕虫網のようなたも網を使ってすくいとります。
 本溜も水路も、メダケのやぶで仕切られています。このやぶの至る所にサギが巣をかけていました。大中小の白鷺類3種とアマサギ、ゴイサギが計数千つがいも繁殖していたのです。サギの巣は小枝で作られた粗末なもので、卵は種類によって濃淡はあるものの、美しい空色をしています。ふ化したてでまだびっしょりの小さなヒナ、白い毛がふわふわに乾いても、基本はちっともかわいくないヒナ、そして人におびえて逃げ出そうとする大きいヒナ。
 サギのヒナはまさにE.T.そのもの。緑色がかった皮膚が見え、羽毛がつんつん飛び出していて、顔は河童。大きなおなかが目立ちます。近づいた人に「ギャアーッ」と威嚇の声を上げ、もらった餌(消化しかけたカエルや魚)を吐きかけます。ふと気づくと、枝に首を吊ったようにぶら下がって死んでいる赤黒く変色した死体。巣から落ちたヒナは必死に首を枝にひっかけ、足を持ち上げて上がろうとするため、力尽きると首つり死体のようになるのです。
 そこで見られたものは、サギたちの生と死そのものでした。その時まで、私にとっての鳥は、きれいでかわいい風景の一部のような存在でした。でもこの瞬間から、鳥は自分とまったく同じようにこの地上に生を受け、懸命に生き、そして死んでゆく仲間として意識されるようになったのです。
 この時の出会いを忘れることはできません。生きて行く意識を根本から変えてしまったこの日の体験。以来半世紀以上を経過しても、新浜との出会いは色あせることなく記憶に残っています。(つづく)

復活 お魚の話 4 ~銚子のサバ~

大網白里市    平沼 勝男 

(先月号からの続き)
 2017年、銚子漁港は水揚げ数量で日本一の漁港になりました。しかもこれは7年連続です。2017年の水揚げ数量は280,790トン。内訳はサバが130,688トン、マイワシが121,888トン。2魚種で9割を占めます。ちなみに全国2位は焼津港(静岡)153,508トン。圧倒的に銚子が上です。この全国1位の立役者はまさにまき網船団のおかげです。

   
   大中型巻き網漁業の様子(FRA NEWS vol51 2017.7より引用)

 サバ、イワシは大きな群れをつくる回遊魚です。まき網漁業は回遊する大きな群れを追い求めて大漁漁獲をする漁業です。銚子に集まるまき網船は詳しく言うと大中型まき網漁業(1そうまき)。1隻ではなく4~5隻が船団をつくり、魚の群れを巨大な網で巻いて漁獲します。下の図をご覧ください。網の真ん中にいる船が探索船。探索船が魚の群れを見つけるとその上にとどまります。

 
 
 大中型巻き網漁業の様子(FRA NEWS vol51 2017.7より引用)

 次に網船がレッコボートを海に降ろし、網を探索船の周りにぐるりと降ろして巻いてゆきます。網の長さは1,800メート、深さは200メートルもあるそうです。
 驚くのは水揚げ金額です。入札で取引されますが、ほとんどの船団が200トン以上、最大で400トンの水揚げ、平均で300トンくらいでしょうか。価格はキロ当たり70円から100円の価格でした。平均では80円くらいでしょうか。300トン×80円が1船団当たりのこの日の売上です。すごいと思いませんか。
 鮮度が良く、脂ものっているサバです。大変人気があります。しかも最近は海外に輸出されるようになりました。銚子の関係者によると、この日水揚げされたサバの7割は輸出に回るようです。行き先はなんとアフリカ。エジプトを始めナイジェリア、ガーナなどに輸出され食べられているそうです。もちろん日本国内でも全国に鮮魚としても出回ります。最近人気の缶詰原料にも。最近サバの缶詰が大人気だそうです。マツコ・デラックスさんの番組で紹介されたことが人気の火付け役になったとか。 (今回、筆者は許可を得て漁港内に入らせて頂いております。一般の方は許可なく入ることは禁じられていますのでご注意ください。)

 


      

ちょっと良い本の紹介
千葉県いきものかんさつガイド

    千葉生態研究所 我孫子市    浅間 茂 
 千葉県生物学会70周年記念出版として、子供たちのために書かれた本ですが、大人が読んでもワクワクするような本ができたと思っています。

  第1章 千葉県の環境といきもの
  第2章 植物を観察しよう
  第3章 動物を観察しよう
  第4章 自然観察スポット
  コラム
    千葉県の生き物、自然
    千葉県立中央博物館
    A5判,126ページ,オールカラー
編 集 千葉県生物学会
発 行 2018年2月18日         
発売所 たけしま出版
定価1080円(本体1000円+消費税)
編集部より:県内で活動する専門家が分かりやすく見所を解説しています。表紙絵は、ちば環境情報センター会員の有馬啓晃(ひろあき)さんが描いています。
            

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編 集 後 記

ニュースレター本文にも掲載されていますが「千葉県いきものかんさつガイド」が発行されました。現在、各分野で活躍している研究者たちが、小中学生向きに優しい文体で書いています。それでいて、専門的な話もしっかりと説明されており、写真やイラストも一級品です。多くの方に手にしていただきたい一冊です。      mud-skipper