ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第250号
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環境漫画家 習志野市 つやま あきひこ
ちば環境情報センターの皆様、お世話になります。18年前から会員になり、色々とご迷惑をお掛けしている環境漫画家のつやまあきひこです。このニュースレターでは「がんばれ!地球マン」を連載しています。
18年前までの会社員時代に、日本全国のごみ焼却場で莫大なごみを直視した経験とこれから環境教育が小学校で始まることを知ったことから、「環境問題の解決の根本は環境教育だ」と思い、子供たちは漫画が好きだから、自分が得意な漫画を活かしたいと考え、児童環境漫画家を志しました。
漫画家になって最初の3年間、とても多忙を極め、仕事場からほとんど3年間、出ることが出来なかったのですが、(こりゃ、出だしから調子がいいや)と思い突っ走っていたら、4年目に体調を大きく崩し、ぶっ倒れてしまいました。
その後は仕事量を減らしたのですが、また仕事部屋に閉じこもり気味になり、2013年に倒れてしまいました。
それで気づいたことが2点。
1点目はそれまで忙しすぎて本ばかりに頼って、仕事部屋で環境漫画を創作していたのですが、フィールドワークをしないと本物の良質な環境漫画は生み出せないと気づいたこと。
2点目は自分の体調を壊したら、なにも意味がないと気づいたこと。です。
20世紀の漫画家は仕事部屋に閉じこもり、命を縮めてまで創作をするのが主流でした。有名な手塚治虫さんや石ノ森章太郎さん、藤子・F・不二雄さんらも60歳くらいで皆、亡くなられています。
21世紀の漫画家はそうじゃいけないとボクは体験を通じて痛感しました。
外に出て、日光を沢山浴び、森林浴をし、ゆったりとした気持ちでフィールドワークや子供たちと一緒に自然体験をしながら健康的に漫画を描かなくてはならないと思います。
今後はそうしていこうと心に誓いました。
ちば環境情報センターの活動で、谷津田で子供たちと一緒に自然観察漫画講座などもやりたいと考えています。
これからも色々と失敗をし、ご迷惑を掛けたり、ご心配をお掛けすることもあるかと思いますが、健康に配慮しつつ全力で頑張ろうと思いますので、今後共、何卒、宜しくお願い致します。
千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子
たぶん1964年9月のことだったと思います。6月に新浜鴨場のサギのコロニーで、生涯忘れられない鳥たちとの出会いをした後、新浜の探鳥会に参加した時のことでしょう。その時初めて、干潟のシギ・チドリを見ました。それまでも潮干狩りで稲毛などの干潟に下りたことはあったのですが、鳥に気づいたことはありませんでした。ただ一面に泥色をした干潟が広がっているだけ、と思っていたのに、のぞかせてもらった望遠鏡の画面の中には、泥と同じような色をした鳥たちがたくさん、せわしく餌を漁っていました。細長い足と嘴、大きな黒い目。教えていただいてよく見ると、大きさも、嘴の形も、種類によって違っています。
だんだん種類の見分けができるようになってくると、何千キロもの距離を渡ってきているという不思議さ、珍しい種類を見つけた時のうれしさ、ともかく面白くてたまらなくなりました。
春の江戸川放水路。心地よいそよ風を感じながら、田おこしをした田んぼの畔に双眼鏡を向けると、色あざやかな夏羽に変わったキョウジョシギやムナグロが。河口近くの干潟では信じられないほど長い嘴をしたホウロクシギやダイシャクシギが体長と同じくらいもある嘴を上手に操って、カニをつまみ出していました。ホウイーン、と哀愁を帯びた澄んだ声が風に乗って。
夏の埋立地。白く乾いた道がどこまでも続き、暑さでだんだん頭がぼーっとしてきます。キリッ、キリッと鋭い声で鳴きながら、コアジサシが攻撃してきました。誤ってコロニーの中に踏み込んでしまったようです。広大な埋立地が次々にできていたこの時期は、裸地でしか繁殖しないコアジサシにとっては天国だったのかも知れません。遠くでピューイという涼しげなキアシシギの声も聞こえました。やっとの思いでたどりついた丸浜養魚場の涼しい木陰では、みながスイカを割って待っていてくれました。静かな水面には、赤い頭をしたオオバンのヒナが親に連れられて泳いでいました。
新浜に雁が渡来していたのは1964年までで、私が通うようになってから後は姿を消してしまいました。雁の群れが鳴き交わしながら飛ぶ姿や休息している姿(雁が休んでいたのは、今の保護区では「竹のトンネル」があるあたり。もちろん埋め立て前のことです)を新浜で見たことはありません。
大半が乱場(銃猟ができる場所)だった新浜では、狩猟期に入るとハンターさんは見かけても、カモは近づきやすい場所には入らなくなりました。遠い海苔ひびの間に見え隠れしていたり、沖合いで水面からめくれ上がる黒煙のようにスズガモの大群が舞い上がるのを目にすることはありました。今は冬場の常連になっているカモメ類は、簡単に餌がとれる漁港などに多く、新浜で数が増えたのは餌付けを始めてから後。オオタカやノスリ、ハイタカなどの猛禽類は樹木が育った1990年以降に増えたもので、開けた埋立地で見られたのはハヤブサ類やチュウヒが中心です。埋立地や田んぼでは、コミミズクをよく見かけました。
冬の時期のお目当ても、ハマシギやシロチドリといった越冬するシギチドリ類でした。驚いて一斉に飛び立つと、方向を変えるたびにまっ白な下面が輝くのです。そして2月、春一番が吹くころになると、きまって春告げ鳥のツルシギが姿を見せてくれました。枯草色の風景の中で、朱塗りのお箸のようなツルシギの赤い足が美しかったこと。今ではどこでも稀なツルシギは、1970年代までは普通種のひとつで、数羽から数十羽(一時数百羽になったこともある)が春は2月から5月、秋は9月から11月まで滞在してくれました。 (写真撮影:山口誠)
千葉市緑区 網代 春男
2018年2月8日から11日まで台湾を訪れ、ボランティア活動に参加しました。
茂林は高雄から山に向かって入った奥地にあります。先住民ルカイ族が暮らす山間の谷でマダラチョウの仲間が冬季集団越冬をします。この蝶の保護活動です。
蝶の集団越冬というとやはりマダラチョウの仲間で北米大陸に生息するオオカバマダラが冬季メキシコに移動しての集団越冬が有名です。蝶がびっしりと隙間なく木の枝などにぶら下がっている写真を見た方もいらっしゃるでしょう。この蝶は長距離移動することでも有名で中にはカナダでマークした個体がメキシコで確認され、移動距離3,000Km超えなんて記録もあります。
茂林で集団越冬する蝶もマダラチョウの仲間ですが,ここでは数種のマダラチョウの仲間が山間の谷に集まってきて越冬します。その数は百万頭を超えると言うことです。
世界で2カ所の集団越冬地のひとつで台湾では国宝級の自然現象と言っています。
気温が低く動けなく、ただ、とまっているだけのメキシコの越冬蝶の姿と違って台湾は気候も温暖で、蜜を吸う花も冬季で少ないとは言いながらあります。太陽が出て気温が上がると蝶が乱舞するところはメキシコと異なり華やかで壮観です。
国際ボランティアと称している通り、カナダ、インドネシア、タイ、台湾、日本などからの参加がありました。中国語,英語がメインの言葉、山口大学から台湾へ語学留学している学生6名も参加していて日本から行った里山活動団体のわれわれに中国語や、英語を訳してくれました。今回招いてくださった高雄師範大学の劉先生は筑波大学へ留学されていたこともあって日本語も堪能、宿泊所へご自宅からお茶のセットを持って来ておられ毎夜振舞ってくださるなど、ずっと付いていてくださって心強い限りでした。
ここで行った活動は蝶を捕えてマーキングをして放したり、蝶が冬季吸蜜する植物を植えたりといったことでした。
捕虫網を振り,片端から蝶を捕え,後翅裏面にMT 2.9(台湾・茂林2月9日の意)と書いて、大きさを計測して放します。渡りのルートやどこへ行くのかなど調べるのです。
ホリシャルリマダラ、ツマムラサキマダラ、マルバネルリマダラ、ルリマダラ、ウスコモンマダラ、コモンマダラなどが主体でしたが他にもいろいろの蝶が生息していて捕獲対象外のものを含めると20種ばかりを記録しました。冬季というのに驚くばかりの多さでした。
貴重な自然や固有の動植物をボランティアで守ろうという活動はどこででも見られる保護活動です。
台湾は九州ほどの面積に3,000mを越える山が286座もあります。最高峰は玉山3,952m(日本統治の頃の新高山)、富士山より高い山が7座もある山の島です。
先住民ルカイ族の住むこの地は山間の環境の中にあって生活の手段に乏しい地です。
茂林の特筆するところは保護活動と先住民の生活を支える活動を組み込んでいるところでした。世界に2カ所しかない蝶の集団越冬を観光資源として国を挙げて先住民を支えようとしていました。
茂林紫蝶3D視聴舘では集団越冬する蝶の生態の解説、ビデオの放映、イベント会場などが設備され蝶の谷を茂林紫蝶幽谷と称して中心的施設になっています。滞在中の活動もここから始まりました。
茂林国家風景区でミュシェラングリーンガイド3っ星に台湾で唯一推薦された観光スポット。いくつものエコツアーコースが用意されていて、そのひとつを歩きましたが遊歩道が整備され、日本の箱庭的景観と違いスケールが大きく雄大でなかなかのものでした。
私たちは民宿に泊まりましたがパンフレットによればいくつもの遊客センターが作られています。先住民の集落や文化に触れることも出来ます。
そうした施設では先住民の方達が働いています。 夜には先住民のダンスや餅つきなど皆が参加する形の催しもありました。
昼食に主催者からお金を渡され、そのお金を持って先住民が出している屋台で食べたいものを買って食べるという日もありました。
今回の台湾行きは茂林で過ごす2日間の宿泊費食費について外国人は主催者持ちというものでした。主催者からはその費用の出所や反対給付を求めるような言葉は一切なく、ただただ楽しく過ごさせてもらいました(私たちは1日目の終了時刻間際からの参加でしたので前段で説明があったのかも知れませんが)。 今回の旅で感じたことは蝶の保護活動と観光資源として先住民の生活を支えるという地域が抱える課題を同時に解決しようとする姿でした。それは徹底していて、その本気度は並々ならないものに感じられました。 ニュースレター248号3月日発行でボランティアによる自然環境の保全活動は地域の社会的課題を解決するものでないと維持が困難になってきたことを記したばかりでした。 日本でもトキの里やコウノトリの里ではトキ米、コウノトリ米などで保護と地域への還元がかみ合って成功している例はあります。 いずれも国家的事業ともいえるもので保護活動と地域的課題との協働は成り立ちやすいように思えます。ただ、これらは生物1種のみの保護活動です。 振り返って下大和田の谷津は私たちがごく狭い範囲ですが田んぼを維持し残された動植物を保全しているだけですが環境省は生物多様性保全上重要な里地里山に選定しました。 重要で貴重だと認めるだけで地域に還元する援助や施策は何もありません。500ヵ所選定された重要な里地里山はボランティア頼みでは次第に消えてゆくでしょう。地域を支えようという台湾の本気度と日本の有り様の違いは衝撃的でした。 国が生物多様性保全上重要な里地里山と選定してもそれだけのこと。県も市も何らの具体的な動きもありません。トキやコウノトリのように一種のみでなく多様な動植物が生息する環境を国、県、市は連携して重要とするなりの対応を本気になって示して欲しいと痛切に感じたことでした。 【発送お手伝いのお願い】ニュースレター2018年6月号(第251号)の発送を6月6日(水)10時から事務所にておこないます。 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。 |