ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第251号
目 次
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千葉市再資源化事業協同組合 船橋市 深山 貴道
昨年、中国がWTOに対して雑品の輸入規制を通知しました。今年に入ってから完全導入され、規制のかかった品物は一切輸出できない状況となっています。
家庭から排出されるものの中で、わかりやすい品目として雑がみが上げられます。今、古紙業界ではこの雑がみをどうするのか?が問題となっています。
規制のかかった古紙は「MIX」という品目でした。これは無選別古紙と言われるものであり、日本でいうところの雑がみを含みます。ちなみに新聞、雑誌、段ボール、それぞれに品目名がありまして、それらは現在も一応流通しております。
さて、このMIXを含めた雑品が問題となったのは、やはり中国国内の環境汚染問題が放置できないところまで行ってしまったことに尽きます。規制がかかった品目は、いわゆる雑品ですから色んな混ざりものが含まれていたわけです。
これらが中国内で再分別されてリサイクルされてきたのですが、日本も経験してきたように公害、環境汚染、健康被害がワンセットで起きています。しかも、その度合いが桁外れにやばいわけです。
明らかに環境対策が追いついていない中にあって、中国は製紙も粗鋼生産も世界1位になりました。しかし色々弊害や摩擦も起きており、数年前のG20でも叩かれていましたが、そういった部分も影響しているのでしょう。また、アメリカとは既に貿易戦の様相となっていますが、この影響も無視できません。
そして、中国に雑品を送ってきた日本や欧米にも問題があるのは言うまでもありません。
「MIX」とは無選別古紙、日本では雑がみですが、欧米は違います。資源物を分けて回収するのではなく、一緒くたに回収してから選別するというのが一般的なので、出来あがった「MIX」は日本とは別物といってもいいでしょう。言ってみれば紙以外の混ざりものだらけの古紙が欧米の「MIX」なわけです。牛の頭が出てきたって嘘のような話しまであるのが「MIX」なので。
では、日本は誉められたもんなのかい?ということですが、やはり問題はあるのでしょう。何しろ、日本の国内基準を満たせない代物があったのは事実ですから。とりあえず、古紙業界も含めたリサイクル業界は目下混乱中です。アメリカにいたっては5月~6月頭まで完全輸入禁止という中国からの通知で大混乱しています。これは、アメリカが取った政策への対抗措置なので仕方ありませんが、とばっちりを受けている日本やその他の国のことも考えてもらいたいものです。
この問題は国がちゃんと動いてくれないとダメでしょうね。日本だけの問題ではありませんから。国会がくだらん話しばかりやっていてどうにもなりませんが、経済や外交の重要性をもうちょっと考えてもらいたいものです。
流通はかなり深刻です。市況は急降下です。品質は問題ありです。
東京都江東区 中瀬 勝義
日時:2018年3月9日
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター
講演:「食卓の危機――遺伝子組み換え食品の現状」
講師:天笠啓祐さん (市民バイオテクノロジー情報室代表)
はじめに
種子とは、主食であり重要な食料、次の世代をつくる命の源。その種子を支配する多国籍企業による食卓の危機が危ぶまれる。
1.種子問題の原点は緑の革命
・第2次世界大戦中、メキシコで緑の革命(高収量品種の開発)が始まり、財閥による食糧支配の道が開かれた。トウモロコシ、小麦にロックフェラー財団が生産はしないが資金を出した。
・ 稲については、フィリピンの中の米国とも言われる国際稲研究所が取り組んでいる。
高収量品種とF1品種:趣旨の権利が農家から奪われ、企業支配が始まった。
2.緑の革命から遺伝子革命へ
・種子の支配者:穀物メジャー、巨大財団、多国籍化学企業
支配の手段として知的所有権:生命特許、遺伝子特許、遺伝子を制するものが種子を制する。
3.遺伝子組み換え作物の栽培面積
1996年170万ha、2006年1億ha ,2016年1.85億haに拡大している。
因みに日本の国土の広さは3780万ha, 世界の農地は約15~16億ha.
主要栽培国:米国、ブラジル、アルゼンチン、インド、カナダ。
日本人が世界で一番高い割合で食べている現実を見直そう!
4.遺伝子組み換え食品による健康被害
世界規模で拡大する子供への影響:アレルギー、発達障害と農薬の因果関係。
遺伝子組み換え食品に用いられる主な農薬:グリホサート、ネオニコチノイド
5.多国籍企業による食糧支配戦略
モンサント社による種子支配:世界の種子の27%、大豆の80%以上。
ゲノム編集:目的とした遺伝子の働きを壊す技術。目的以外も壊す可能性が高く、危険。巨大多国籍企業の買収・合併が続く:バイエルン+モンサント、中国企業、ダウ+デュポン
6.主要農作物種子法廃止の問題点
多国籍企業に種子市場を明け渡す政策だ!従来は各県が種子を開発してきたが、できなくなる!
7.種子は皆のもの
特許が種子支配をもたらした → 食糧支配をもたらした。
種子は皆のものだ → 伝統的な種子を守る → 有機農業こそが未来を切り開く!!
多国籍企業の種子支配・食糧支配を阻止する要:市民の健康・地域自治・農家と消費者が連携!
【所感】アメリカはどんな国よりも病気が多く、その原因に遺伝子組み換え食品が挙げられる。米国では20年以上も遺伝子組み換え食品を食べているという。アレルギー、糖尿病も増大している。お金儲けが全ての経済社会から脱皮しない限り、人類は生き残れない感がある。
千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子
日本野鳥の会東京支部(現在は「日本野鳥の会東京」)では、1956年から新浜 で「ニュー・イヤー・カウント」を実施していました。当時、若手のリーダーとして東京支部をけん引しておられた故高野伸二さんたちが、イギリスやアメリカで行われていた行事にならって提唱されたのではないでしょうか。支部の行事としてのカウントは、この時から現在に至るまで、60年以上にわたって継続されて
います。
この他に新浜では春秋の渡りの季節にも探鳥会が行われており、また高野伸二、北川捷康といった方々がシギ・チドリを中心に鳥の数を記録されていました。探鳥会の記録は当時の「東京支部報」に、またその他の数の記録は当時の「野鳥」(日本野鳥の会機関誌)に掲載されています。
ニュー・イヤー・カウントでは「高野さんと中西悟堂先生が相撲をとった」 等、当時の報告が書かれています。埋め立て工事はまだ始まっておらず、古きよき時代の様子がうかがわれます。
1966年から3年間にわたって、柳澤紀夫・広居忠量・宇山大樹・故熱海浩・今野紀昭・故木藤幸雄・草野壮平・松尾武芳・由井正敏といった方々が「新浜カウントグループ」(現在は「新浜倶楽部」)として、毎週の新浜の鳥のカウントを行われました。
メンバーの多くは、特にシギ・チドリの識別の鬼とも言うべき塚本洋三さんや、高野伸二さんの薫陶を受けた人たちで、日本のトップレベルのバードウォッチャーと言ってよいでしょう。しかし、カウントグループが活動していた当時の新浜は、まさに埋め立て工事の真っ最中でした。と言うよりも、みるみるうちに進んでゆく開発の中で、せめて記録を残したい、というやむにやまれぬ気持から、鳥のカウントが始められたと言うべきでしょう。
当時高校生だった木藤(現四宮)楡里、北元(現鈴木)裕子、古川(現蓮尾)純子、故藤村仁、等も、メンバーに加えてもらっていました。識別力はまだとてもとても、という状態でしたが、書記役や、わかりやすい種をどれか一つ、といったやり方で手伝わせてもらっていたのです。新浜学校の校長先生こと塚本洋三さん(この時はミシガン大学に留学中で日本にはおられず)仕込みの識別方法を叩き込まれました。それでも、ハシボソガラスとハシブトガラスが時々わからなくなってしまう私は、ずっと劣等生のままですね。
1969年から1973年にかけては、田久保晴孝、松田道生、小沢典夫、小沢重雄、蓮尾純子、故浦野栄一郎(かかわった人はたくさんいました)といったおもに学生メンバーを中心に、新浜からもっと範囲を広げた「東京湾カウント」が行われました。この時の結果はまだ生データのまま、段ボール箱に入っています。これも早くエクセル入力をしなくては。
1970年代のはじめ、東西線で通勤しておられた大浜清さんは、車窓から目につく白鷺類を数えておられました。面白いデータだと思うのですが、結果をまとめられたというお話は伺っていません。
1975年ごろから、おそらく田久保晴孝さんの提唱ではないかと思うのですが、探鳥会で記録された種類だけでなく、概数を記録するようになりました。新浜探鳥会そのものも、1976年ごろからは月例としてほぼ毎月開催されています。概数とはいえ、観察された鳥が1羽なのか、100羽以上いたのか、ということがわかるようになり、数量のデータとしてとりまとめが可能になりました。種類だけの記録よりも格段に精度が上がり、価値が生じるようになったわけです。
大網白里市 平沼 勝男
遅れてバスを降りると、全員が空を見上げていました。写真を撮っている人もいました。瞬時に上空に鳥がいる、きっと猛禽類に違いないと思った私はあわてて三脚にニコンを取り付けてΣ500mmを空に向けました。
いた!猛禽類がいます、しかも数羽。シャッターを夢中で押しました。途中で露出補正が必要なことに気が付き、あわてて補正をしてさらにシャッターを押しました。幸いに猛禽は我々の上空を行ったり来たりして去ってゆきましたが、その間に十分な枚数を撮ることができました。
しかし撮り終えた時点でこの猛禽類の正体がわかりません。撮ることに夢中になりすぎました。バスから先に降りていた人たちは既に移動を始めていました。先頭集団にいたガイドの方が私を呼びます。近づいていくと図鑑を用意してくれていて今の鳥のことを教えてくれるのだとわかりました。
その図鑑でガイドが示していた鳥の名前は漢字で『熊鷹』と書かれていました。私は驚くとともに興奮しました。クマタカに出会えたのです。日本から台湾にわざわざ一昔前の重たいジッツォの三脚を持ってきた甲斐があったとこの時思いました。
台湾に来なければ一生クマタカの写真など撮れなかったかもしれません。それにしても山中とはいえ大型バスが発着するような場所で、クマタカ数羽が飛んでいるなど日本では考えられません。台湾の自然の雄大さ、濃密さを思い知らされました。
私が台湾茂林国際ボランティアワークショップに参加した理由を白状しますと、世界的に有名なマダラチョウの保護や保護活動をする人たちとの交流を深めることではありませんでした。安いお金で日本とは違った自然が楽しめる、珍しい鳥が見られるなどといった実に不純な動機でした。
しかし、先のニュースレターで網代さんや岡村さんからのご報告にあったように、台湾の自然保護活動の人たちや集まった国際的なボランティアの人たちとの交流、地元の少数部族の歴史や文化に触れることが出来たことなど、私にとって全く予期せぬ収穫がありました。
国籍・人種・宗教・年齢、様々な人たちの集まりでしたが、短時間で言葉も通じないにもかかわらず不思議と一体感が生まれていました。解散時に寂しさを感じたのは私だけではなかったかと思います。貴重な体験でした。(つづく)
2018年5月12,13日の2日間、下大和田谷津田で「田うえ」 (主催:ちば環境情報センター)を実施しました。参加者の玉木心(しん)さんから感想が寄せられましたので掲載します。(編集部)はじめての田うえ体験
苗がきれいに立つと、気もちがよくて、気合いが入ってきました。泥に足がはまらなくなってきて、うえるスピードがあがってきて、楽しくてむちゅうになりました。 自分では、おいしくなるよぉに、うえられているなと思いました。次に来る時には、どれぐらい大きくなっているのかなー。早く、食べてみたいなーと思いました。お家の庭でも作りたいな、作れるのかな、四年生になっても、また田うえをやりたいなと思いました。あじろさんが、畑は虫とたたかわないとだけど、田んぼは、たたかわなくていぃから、こっちの方が気持ちよく作れるんだと話してくれました。 わたしは、生き物を大切にしていたり、生き物のことを考えて、お米作りをしていて、ステキだなと思いました。お米ができた時、苗たちは、どんなすがたになっているのか、楽しみです。
【発送お手伝いのお願い】ニュースレター2018年7月号(第252号)の発送を7月6日(金)10時から事務所にておこないます。 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。 |