ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第255号
目 次
|
佐倉市 入江 晶子
種子はだれのもの?
今年4月、政府は戦後の食を支えてきた主要農作物種子法(以下、種子法)を廃止。これまで都道府県は、法に基づいて稲・麦・大豆の種子を安定供給するとともに、品種改良の研究開発を実施、地球の特性に合った優良な種子を奨励品種に指定し、普及を図ってきました。
しかし、その根拠が失われ、同時に制定された「農業競争力強化支援法」では種子事業への民間参入を促進。将来的に多国籍企業が日本の種子市場を独占支配するのではないかという警鐘も鳴らされています。現に野菜の種子では30年前に100%国産だったものが現在は9割が外国産に置き換わり、同じことが主食であるイネでも起こりかねません。
どうなる?千葉県の種子
千葉県では、県産米の9割を超える種子の原種、その元となる原原種を県主導で栽培し、奨励品種として県内に普及しています。代表的な品種に「ふさおとめ」「ふさこがね」があります。農家は公的な育種開発によって、良質で安価な種子を安定的に手にすることができています。
これに対し、民間品種の「みつひかり」や「とねのめぐみ」の種もみは、公共品種の4~10倍の価格で販売されているとのこと。農家や消費者の負担増は明らかです。
県の鈍い対応
種子法廃止に伴い、千葉県では条例より拘束力のない要綱・要領等を策定し、これまで築いてきた種子生産体制を維持し、有料種子の安定供給に努めるとしています。県内の米の民間品種の作付面積は、現在70ヘクタール程度(約0.1%)と推定されているためか、県の対応は鈍いと言わざるを得ません。民間参入がさらに進めば、地域の風土に合った300ともいわれる多様な在来品種が消失してしまう恐れがあります。
危機感を強めた新潟、兵庫、埼玉県では、県独自の種子を守るための条例を既に策定しています。北海道や山形県でも条例化を目指して動いています。
千葉県でも県民の共有財産である種子を守り、次世代に受け継ぐための条例が必要です。私も県条例制定に向けて、働きかけていきたいと考えています。
9月24日(月)、種子を守る千葉県条例制定を求める実行委員会の準備会が開催されました。千葉県の農業と食の安全を守るため、学習会開催や条例案の作成と県議会への働きかけなどを行い、種子を守る千葉県条例を制定することを目的にしています。実行委員会のキックオフとして、10月28日(日)には、山田正彦さん(元農林水産大臣、弁護士)を講師に、
「タネはだれのもの? 種子法廃止で日本の食と農が危ない」と題した学習会を開催いたします。是非ご参加ください。
日 時:2018年10月28日(日)13:30~16:00
会 場:ハロー貸し会議室千葉駅前(千葉駅交番前の横断歩道を渡ってすぐ)
資料代:500円
市川市 小田 信治
既に、岡村さん(249号)、網代さん(250号)、平沼さん(251号・252号)がニューズレターに寄稿されて、現地の様子と蝶や鷹などについて報告がありました。台湾の旅をふりかえってみたいと思います。
【概 要】
・日時:2018年2月8日(木)~11日(日)
・場所:台湾高雄市茂林
・名称:茂林紫蝶幽谷環境教育公民科學推廣活動
・主催:交通部観光局茂林国家風景区管理所
・メンバー(8名 敬称略):網代春男、岡村淳輔、小田総一郎、小田信治、鈴木道夫、横山武※、笹子全宏※、平沼勝男 (※:安馬谷里山研究会)
・参加者:台湾、日本、タイ、インドネシア、カナダなどから約40名、若い人が多いが、千葉からの高齢者参加で年齢も多様化した。
・行程:
2/8(木)12:25成田発(エバー航空)15:45高雄着、バス移動、18時茂林エコパークにて合流・夕食、21時美綠美濃民宿にて宿泊
2/9(金)午前:茂林エコパークにて蝶観察・捕獲・マーキングの実施、午後:茂林国家風景区散策、原住民村にて夕食、原住民文化体験イベント(餅つきやダンス)、21時美綠美濃民宿にて宿泊
2/10(土)午前:茂林エコパークにて蝶観察・捕獲・マーキング、午後:植樹活動(食草、蜜源植物)、蝶の切り絵制作、ディスカッション、15:30終了、バス移動、高雄市内観光、高雄師範大学招待所にて宿泊
2/11(日)7:00高雄発(エバー航空)11:25成田着(解散)
【経 緯】
・台湾との交流は、2012年夏に千葉の里山保全の現状を台湾の公園関係者や研究者が視察にきたときに始まります。日本側世話人であった風間俊雄氏(いちはら里山クラブ、故人)からの誘いを受けて、当会の小西由希子代表が2013年11月に台湾高雄市美濃で開催された里山イニシアティブのシンポジウムに参加しています(ニューズレター第199号参照)。
そのシンポジウムには今回の台湾ツアーに招待していただいた劉 淑恵先生が参加されていました。劉先生は、高雄師範大学の教授で、台湾茂林国際ボランティアワークショップを取り仕切る責任者ですが、筑波大学に留学され、卒業後は大成建設に就職し、帰国後に高雄師範大学の教員になっています。日本語はもちろん堪能で、我々の面倒をよくみていただきました。
・今回のツアーに小西代表はご家庭の事情で参加できませんでしたが、亡くなられた風間氏の奥様と劉先生の案内で現地を訪ねています。(そのために、私がツアーの団長を引き受けることになりました)
【旅の感想】
三泊四日、現地では実質二日間の慌ただしく、しかし充実した内容の旅でした。蝶や鷹などについては、先の号で網代さん、平沼さんが詳しく説明されているように、ルリマダラの乱舞と日本では奥深い山でしか出会えないような猛禽類を観察できたことは、驚きであり、大きな収穫でした。
茂林エコパークにはルリマダラの生態解説パネルが多くあります。その中に、ルリマダラが集団で北上し、高速道路を横切る際に発生するロードキルの保全対策として、道路の側壁を高くすることで軽減する内容のパネルがありました。日本では蝶のパスウェイの例はありませんが、アニマルパスウェイの研究開発に携わってきた者としては、非常に興味深いものでした。
国際ワークショップということで、多くの国の方々と交流できたことも成果でした。インドネシアの方のためにハラルフード(イスラム食)を用意するなど、スタッフにはご苦労があったのではと思います。
また、プログラムは蝶をテーマに自然観察、体験、交流、レクリーション等を効果的に織り交ぜてあり、よく考えられたものと感心しました。さらに、蝶を観光資源とすることで先住民の生活と自然保護を両立させようとする取り組みにも感銘を受けました。
山口大学の留学生にはたいへんお世話になり、元気をもらいました。リーダーの清水こみうさんは、我々が茂林エコパークに到着した時から高雄師範大学招待所まで付き合ってくれて、高雄市内観光では通訳と案内など、平成年齢71才の爺集団の面倒をよくみてくれました。
本ワークショップでも劉先生の指示のもと、主体的に会の運営を進めるなど、将来が楽しみな学生です。22才の愚息・総一郎と仲良くなって、お嫁さんにと思いましたが・・・。
その他、出国・入国では小トラブルもあり、団長としては少々呆れた珍道中でしたが、ここではやめときます。
今後、この旅での体験をCEICの活動に活かせればと思っているところですが、会の活性化には数年に一度はこのような刺激があると良いなあと思った次第です。
哺乳類研究者 香取市 濱中 修
シートン動物記の中の『バナーテイル 一匹のハイイロリスの物語 Bannertail,The Story of a Graysquirrel
』を、動物学者の今泉吉晴さんが、わかりやすく翻訳しています。
「バナーテイルは、家族といっしょに一日じゅうはたらき、ヒッコリーの木の下に、その木の子どもであるヒッコリーの実を、何百と、穴を掘って埋めました。・・・・・
」※
ヒッコリーは、北アメリカの東部に生育しています。ハイイロリスなど、北アメリカに住むリスのなかまは、冬に備えて、ヒッコリーの実を土の中に埋めます。ヒッコリーの実も、くるみです。
冬になって、「ハイイロリスが、いざヒッコリーの実を食べたくなったときに、たくわえた場所を見つける手がかりは、おおよその場所の記憶です。ハイイロリスは、このあたりと見当をつけて、あらためて、鼻でヒッコリーの実のにおいをさがしあて、掘りだして食べます。
ところが、ハイイロリスはたくわえた木の実のすべてを、さがしあてて食べるわけではありません。一部の木の実は、ハイイロリスの手を逃れて春をむかえます。それらの木の実は、どうなるでしょうか?もちろん木の実は芽をだし、小さな木になります。」※
こうして、ヒッコリーの 若木が、その親の木から離れたところで育っていきます。
北アメリカでも、リスのなかまがもつ貯食習性がヒッコリーの種子散布に役立っています。これは、シートンがいうように「ほんとうの話」なのです。でも、ヒッコリーは、リスのような動物だけに、種子散布をまかせているわけではありません。
ヒッコリーが生育しているのは、自然にできた沼や湖のまわりです。秋の実りの季節にも、嵐はやってきます。雨がたくさん降って、沼湖の水位が上がり、水がまわりにあふれだします。枝から落ちたヒッコリーの実は、あふれた水の水面に浮かんで、その上を吹く強風によって遠くに運ばれます。ヒッコリーも、オニグルミと同じように、種子散布に水も利用しています。
※ 今泉吉晴訳『シートン動物記8 ヒッコリーの森を育てるリスの物語 バナーテイル』福音館,2006年
千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子
行徳方面では、1965年に現在の千鳥町と高浜の埋立が行なわれたのが最初です。内陸部は区画整理事業によって耕作放棄地に縦横に道路がひかれ、やがてダンプカーが砂塵をけたてて走るようになりました。たぶん現在の南行徳1~4丁目のあたりと思うのですが、このあたりは海の埋立地と同じように「吹き上げ」方式で造成されました。浦安の堀江や富士見のあたりも、同じく吹き上げ方式で造成された場所です。
正確な年月や場所は、記憶で書いていますので、あまり自信が持てません。大規模な埋立工事はほんの数年で(たぶん正しくは1年のうちに)浅い海を陸地に変えます。地図も、記憶もとても追いつかない速度です。航空写真を集めてきちんと並べれば、埋め立ての様子が確実に把握できるはずですが、間違いは後で修正してもらおう、と無責任に。そのくらいのスピードでたどって行かないと、記憶のほうももっと怪しくなりますので。
カウントグループは、鳥が集まっている場所に少しでも近づいて、種類と数を確かめようとします。まだ十分に乾燥していない埋立地に入ることもよくありました。シギやカモの群れ、中には記録がごく少ない珍鳥がまじることもあるからです。カウントグループの調査場所は、ほとんど全部が埋立地とその周辺といっても言い過ぎではないかもしれません。
足場がしっかりした場所から鳥に近づこうとすると、ひざまでの長靴がぜんぶ埋まるほどの軟弱な泥地に踏み込んでしまうことがあります。抜こうとしてもう一方の足まで埋まってしまい、にっちもさっちも行かなくなることも珍しくありません。そういう時は、あきらめて泥の上にずっしりお尻をおろし、片方ずつ足を抜きます。必要なら長靴を脱いで掘り出すこともあります。私は幸いにその程度までしか経験していませんけれど、メンバーの中にはそれでも抜け出すことができず、必死に泥の中を泳ぐような状態で、命からがら脱出したという方々もおられます。考えてみたら、恐竜などの化石もそういう状況でできたわけですね。誰も化石にならずに済んだのはありがたいことかも。
たぶん南行徳のあたり(隣接の浦安・北栄あたりかもしれませんが)の吹き上げ方式の埋立地では、サンドパイプの上をおそるおそる歩いて横切ったものです。工事用の「安全第一」という看板が立っていて、安全第一と呼んでいました。けっこう高くて見晴らしがききました。泥から1~2メートルくらいの高さだったでしょうか。パイプの径は90㎝くらいで、丸木橋よりはるかに安定感がありました。工事の人に見つかったらきっと大目玉だったでしょうが、カウントをするのは日曜日なので、関係者に出会ったことはありません。
泥が乾く途中で、一面に干割れができていることもありました。ここまで乾けば、割れ目に踏み込まないかぎりは足をとられることはありません。でも、こうなるともう鳥は入らなくなります。はるか彼方、水と鳥が残るところをめざして、ついつい軟泥地に踏み込んでしまうのです。
「この人はね、ブルドーザーを2台も埋めちゃったんだから」。ずっと後、行徳鳥獣保護区の再整備事業で、私とおおむね同年配のオペレーターさんの果敢であざやかな重機扱いに目をみはっていた時に、請負業者さんに聞いたお話。たぶん1970年代、はて、場所はどこだったのやら。
1歩間違うと、ブルドーザーでさえ埋まってしまうような埋立地上や、その間にわずかに残った干潟の上で、1000羽、2000羽、15~20種をこすシギ・チドリ類が餌を漁っていました。新浜カウントグループが記録したシギ・チドリ類は、3年間で実に52種類に及びます。なお、珍鳥中の珍鳥、ハリモモチュウシャクやコシャクシギは、軟泥地ではなく、「新大陸」のまばらな草原で記録されています。
【発送お手伝いのお願い】ニュースレター2018年11月号(第256号)の発送を11月7日(水)10時から事務所にておこないます。 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。 |