ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第256号 

2018.11.5 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. お世話になったみなさま
  2. 鳥の巣箱つくり 
  3. コラム3 「リスとイタチの追いかけっこ」
  4. 新浜の話10 「千鳥猟」

 現在休館中で、今後の存続が危ぶまれていた市川市の行徳野鳥観察舎が、2020年度に再オープンすることになりました。ちば環境情報センターでは、行徳野鳥観察舎が地域の自然保護の拠点となっていることから、存続に向けての署名活動を行ってきました。2018年2月7日発行のニュースレター247号に署名簿を同封いたしましたが、たくさんの方から存続要望の署名をいただきました。ここに御礼を申し上げます。
 こうした活動に対して、ちば環境情報センターニュースレターに新浜の話を連載していただいている蓮尾純子さんから、お礼のメールが届きましたので紹介いたします。なお、メールは10月10日に発信されたものです。
                                       (ちば環境情報センター事務局)

お世話になったみなさま

行徳野鳥観察舎を愛する者一同 三木信行・蓮尾純子   

 行徳野鳥観察舎について、とてもありがたい展開になりましたので、とりもなおさず、メールで連絡できるみなさまへお知らせいたします。新舎屋建設の予算が正式に議会を通った時点で、メールと郵送でのご連絡をさせていただくつもりです。
 2015年12月28日の無期限休館より、間もなくまる3年を経過する行徳野鳥観察舎。11月上旬から解体工事が始まる予定で、近隣の方々への説明会も10月20日に行われるとのことです。

 

 この9月の市川市議会で、来年度中の再建へ向けての設計・諸手続きのための補正予算(今年度分)1400万円が承認されました。順調であれば、2020年度初頭には「市川市立」の新・観察舎が完成していることになります。願ってもないうれしい結論で、市川市のご英断に感謝いたします。
 おかげさまで、ご協力いただいた署名は10月1日現在で22030筆となりました。目的を達成することができて、心からうれしく思います。ここで、とりあえず署名活動の区切りとさせていただきます。もしお手持ちのもの等ありましたら、お送りください。10月31日をもって終了とし、11月にはこれまでのご署名すべてを県に提出して、市とのいっそうの協力をお願いしたいと思います。
 市川市では2016年6月の市議会で観察舎再開を圧倒的多数で決議していますが、その後なかなか進展が見られませんでした。本年4月に就任された村越祐民市長は市民との対話路線を進められ、観察舎再開についても当初からとても積極的で、議会や市役所もこれを支持しておられました。ありがたいことです。
 私たち「行徳野鳥観察舎を愛する者一同」の活動も、どこかの時点で幕引きをすることになるかと思います。目的を達した幕引きなど、なかなかできることではありません。何もかも、多くの方々の観察舎へのお気持ちのおかげです。ほんとうにありがとうございました。これからも、新しい観察舎の進む道をしっかりと見ていてくださいますよう。
 暑くて長い長い夏がすぎ、ようやくほんものの秋が来るようです。昨日からヒヨドリの小群の移動がよく見られます。季節の変わり目、みなさまどうぞお大切に。
   

鳥の巣箱つくり 

大網白里市 平沼 勝男 

 2018年10月21日、優しい秋の陽光の中、下大和田の森で木を切るのこぎりの音や、釘を打つ金づちの音が響いていました。この日CEICの活動で初めての試みである鳥の巣箱作りが行われました。
 参加者は応募していただいた3家族とスタッフ達です。全部で9個の巣箱を作成し、そのうち3個の巣箱を森に設置しました。シジュウカラやヤマガラの用の巣箱です。巣箱に使った木や、設置に使用した縄は森の中にあるものを利用しました。
 きっかけは毎月第3日曜日に行っている森と水辺の手入れの作業でした。斜面近くの、先が折れた木を倒したときに始まります。立派なサワラの木でした。幹の直径は40㎝。樹齢35年以上ありました。サワラは、昔は風呂桶などに使われたそうです。丈夫で水に強く、しかも良い香りがします。
 この木をこの場で腐らすのはもったいないと思い利用することにしました。チェンソーを使って縦に3つに分割しました。次に木の皮を剥きました。最初は鉈(ナタ)で、そのうち林業で働く人がやるような、刃物を使わずスギなどの枝を利用して木の皮を剥くやり方に挑戦してみました。

   

 最初はうまくいきませんでしたが、試行錯誤するうちに何とかコツを覚え、剥けるようになりました。クルッと剥いだ木の皮を見て我ながらすごいと感動。鉈で削るよりはるかに早く、しかも仕上がりが美しいのです。三本あるうちの二本はテーブルの材料にしました。最後の一本は長年の夢であった巣箱にしたいとこの時に思ったのです。運営委員会に諮り、巣箱造りが決定しました。
 問題は丸太状の木を板にしなくてはならないことです。下大和田には電機も製材機もありません。結局チェンソーで板に加工することにしました。休日を利用して作業をしましたが、これは体力的になかなか厳しいものでした。それでも何とか9枚の板を作りました。板と書きましたが厚さや形は凸凹で酷いものです。香りだけは素晴らしい板です。
 10月21日、応募してくださった3組のご家族とスタッフが下大和田に集まりました。設計図を渡し、簡単な説明をして、それぞれグループに分かれて工作開始です。言い出しっぺの私も実は巣箱作りは初めてです。自分のことはさておき、応募してくださったご家族のことが気になります。
 少し助言したり、質問にこたえたりしました。それぞれ試行錯誤をしながらでも楽しそうに工作しています。やはりどの家庭もお父さんが中心になっているようです。お子さん達ものこぎりで木を切ったり、釘を打ったり楽しそうです。同じ設計図なのですが、なぜか完成後はそれぞれに形が違います。これも愛嬌でしょう。
 巣箱に鳥が出入りする丸い穴だけはスタッフが開けました。直系27mmの穴です。これは都市鳥類研究会の越川重治氏の助言を頂きました。27mmの穴はシジュウカラやヤマガラの巣箱になるとのことです。これより大きいとスズメなどが巣をかけてしまいます。
 せっかくシジュウカラが巣をかけても、あとからスズメに追い出されては可愛そうなので27mmにすることにしました。越川先生にこの場を借りてお礼申し上げます。
 巣箱を木にかける縄は、ちば環境情報センターの網代春男さんのアイディアでシュロ縄を使いました。森の中にあるシュロの木の繊維を縄状にしたものです。縄を作成したのは網代さんです。縄づくりは大変な作業であったと思います。ありがとうございました。
 シュロ縄は水に強く、強度もあります。おまけに摩擦力が強く巣箱を取り付けるのに最適なものであることがわかりました。風雨にも耐えるでしょう。完成した巣箱を木にかけたときのご家族の皆さまはとても嬉しそうでした。シジュウカラたちが巣をかけてくれるのは来年の春でしょう。来年の楽しみが増えました。

コラム3 「リスとイタチの追いかけっこ」

哺乳類研究者 香取市 濱中 修 

 私たちの身のまわりでも、たくさんの野生動物が暮らしています。しかし、私たちが彼らに出会うことは、めったにありません。出会ったとしても、多くの場合、数秒間のできごとになり、その動物について、深く知ることはできません。
 野生動物がどんな生活をしているかを知るには、足跡など、動物が残していくフィールドサインを見つけて、ていねいに調べる必要があります。
 1990年(平成2年)6月17日は、日曜日で、前日までの雨がうそのように、雲ひとつない快晴でした。梅雨の中休みというのでしょう。
この日、私たちは、増尾(ますお)城址(じょうし)公園を調査するために、そこに集まっていました。柏市から、その自然誌を調査してほしいという依頼を受けていたからです。
 増尾城は、小高い台地の上に造られた中世のお城です。現在は、その城址が森林に被われた公園になっています。公園の隣には、芝浦工業大学柏中学高等学校があります。私たちは、そのグラウンドの隅を通らせてもらうことにしました。
 グラウンドで、リスの足跡を見つけました。イタチの足跡も見つけました。2種類の動物の足跡は、1メートルも離れていません。しかも、同じ向きに1本の直線の上に載るように付いていました。

   

 2種類の動物の足跡は、ほぼ同時に付いたもののようでした。どうやら、この日の朝早く、この場所でリスとイタチの追いかけっこがあったようです。イタチは、グラウンドに降りたリスを見つけて、その本能にしたがって、リスを捕らえようとしたのです。リスは、イタチに気づいて、一目散に逃げだしました。
 リスは、地面を走るとき、前足が後ろ、後ろ足が前になるように、地面に足をつきます。リスの前足は、親指がない4本指の手の形、後ろ足は、5本指の長い足の形をしています。だから、リスの足跡は“びっくりマーク(!)”を2つ、先端を少しだけ左右に広げて並べたような形になります。
 リスは、雨が降り続いて、軟らかくなった地面を走りぬけましたので、足跡が残りました。その日の朝は、水たまりが引いたばかりで、地面が滑りやすくなっていたのでしょう、リスの足跡は少しスリップしたように付いていました。追いかけられたリスのあわてぶりも、読みとることができます。
 イタチは、前足も後ろ足も5本指で、指先に鋭い爪が伸びています。だから、軟らかい地面をイタチが走りぬけると、手のひらと指、そして指先に伸びた爪の跡が残ります。
 このドラマの結末は、どうなったのでしょう。グラウンドのすぐ隣には、公園の森林があります。木の上では、リスのほうがイタチよりも、ずっとじょうずに動くことができますから、リスは急いで公園の木に登り、イタチの追跡から逃れたと思います。
 このころまで、柏市にもリスが住んでいました。柏市にリスがいるという知らせを、今は得ることができません。リスの生息地は、北総では急速に減少しています。

新浜の話10 「千鳥猟」

千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子 

 この9月28日から、観察舎駐車場斜め前の峯崎さんのお宅の解体が始まり、10日ほどで更地になりました。昨年1月に、このあたりで一番古くからお住まいだった峯崎さんの奥さんが亡くなられ、昔の新浜をご存じだった方がいなくなってしまいました。だいぶ前に先立たれたご主人の勇さんは写真家で古い写真をずいぶんお持ちでしたが1980年ごろの床上浸水でぜんぶだめになってしまったとのこと。
 嘉彪と私が1975年12月に観察舎に住み込みで働き始めたころは、この付近の住民は峯崎さん・小原さん(農園の)・児島さんの3軒と、新浜鴨場内の住み込みの職員さんだけ。当時は勇さんのご両親もご健在でした。お父様のお父上と、当時はまだ新浜鴨場におられた名物鷹匠の福田嗣夫さんのお祖父さまが、新浜鴨場を作られた(構造や造営に携わった)と伺っています。

 

 福田嗣夫さんは千鳥笛の名手でした。新浜鴨場では網を使ったカモ猟の他にも、伝統的な猟法を続けておられ、行徳や浦安の水田がぜんぶ埋め立てられてしまった1970年代初めまで、江戸川放水路や時には川向こうの田尻方面で千鳥猟が行なわれていたはずです。福田さんが退職された後は、シギが入るような田んぼもなくなり、千鳥猟もなくなりました。
 私が見せていただいた千鳥猟はこんなものでした。大学に入って、「新浜を守る会」をやっていた時期のこと、たぶん1968年の4月か5月だったかと思います。新浜を守る会でもずっと便宜をはかってくれた蓮尾嘉彪(山階鳥類研究所で標識調査をやっていた)が声をかけてくれました。まだ水田が広く残る妙典のあたりだったでしょうか。田起こし前の水田の一角に少し土を盛った台を作ります。そこから20m位のところに笹を立てて人が隠れる場所を作ります。
 小高い台にはおとりの剥製をいくつか立てて(たしか足はワラ束だった)、無双網をしかけます。剝製のところには生きたシギを何羽かつないでおきます。隠れ場に人が入り、他の人は少し離れた場所で畔を歩いて下りているシギを追い立てます。隠れ場の人(だいたい福田名人)は時に大声で勢子の人たちに指示を出し「場長をあっちに歩かせとけ!
 ○○はこっち!」、シギが飛び立って頭上にさしかかると、千鳥笛(笹竹の手製のもの)を吹き、おとりのシギのひもを引いて羽ばたかせます。うまく無双網の台にシギが舞い下りると、すかさず網を引いてシギを捕らえます。
 江戸川放水路の河口のところにもこうした台が作られていて、昔はこのあたりを「河口台」と呼んでいました。河口の干潟ではチュウシャクシギやオオソリハシシギ(鴨場の人は小尺と呼んでいた)が捕れたとのこと。田んぼではキョウジョシギが多かったと思います。私が見せていただいた時には、捕らえられたキョウジョシギの1羽にアラスカの標識足環がついていて、感動しました。
 福田さんの千鳥笛はみごとなものでした。飛びすぎようとしたシギの群れが笛を聞いて向きを変え、戻ってきて舞い降りるのを何度も見ました。千鳥笛だけでなく、クイナ笛とか色々あったそうで、峯崎家のお祖父さまも名人。どなたかと(たぶん福田名人のお祖父さまか)クイナが多く出てくるかどうかとの競争をやって、たしか峯崎名人が勝ったというお話も聞きました。奥様から千鳥笛をいただいたのですが、あれはどこに行ったのか。
 福田嗣夫さん。長身でいかにも軍人らしく、姿勢をまっすぐに保たれて、誰彼なしに雷を落とされたとのこと。乗馬姿はさぞ颯爽としておられたことでしょう。後にサギのコロニー調査などでも何度も鴨場にお邪魔しましたが、そのころは私も女の子のはしくれ。優しくしていただいたものです。

【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2018年12月号(第257号)の発送を12月7日(金)10時から事務所にておこないます。 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。

編 集 後 記

 千葉県弁護士会主催の東京湾石炭火力問題サミットに参加した。仙台パワーステーションの運転差止を求め提訴した原告の長谷川公一団長(東北大学教授)によると、今年9月神戸でも中止を求める訴訟がはじまっており、石炭火力発電所に新たに「訴訟リスク」が強まっているとの指摘もあるそうだ。  mud-skipper♀