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ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第261号 

2019.4.8 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 下大和田 田んぼの水草1 「サンショウモ」
  2. 原発事故2019_3_14千葉2陣判決
  3. 常民と野生動物 3「庚申信仰とサル」
  4. 新浜の話15 「新浜を守る会の波紋」

下大和田 田んぼの水草1 「サンショウモ」

水辺の植物同好会  山田 寛治(文) 梶野 敬二(写真) 

 20 年くらい前には千葉のあちこちの田んぼに見られたサンショウモが最近すっかり姿を消してしまい ました。私たちはサンショウモを探し回っていたのですが、なんと千葉市緑区下大和田の田んぼにたくさん見つかったのです。そこで網代春男さんにお願いして約 1 年間(2018 春~2019 春)田んぼでサンショウモの生長を観察させていただきました。その観察の結果を以下に簡単に報告します。

1. 春、発芽して茎をのばし分枝する
 サンショウモは水生シダのなかまで、1 年生の浮遊植物です。根は無く、水に浮いて生活します。田植えが終わって春遅く、泥の中に眠っていた胞子が発芽して植物体が浮き上がってきました(図1)。茎に葉がつく姿がサンショウに似ることからこの名がついたのでしょう。茎はどんどん伸びて節 ごとに分枝します。

   

2. 夏、分離して盛んに増殖する
 分枝して大きな株になると、分離していくつかの子株に分かれます(図2)。それぞれの子株がまた大きく生長し分離するので、すごい勢いで増えてゆきます。6 月ころにはまばらだった水面も 8 月ころにはびっしりと埋まります。

3.秋、胞子が形成される
 9~10 月ころ葉の裏に小さな胞子が形成され始めました。11~12 月には胞子も大きくなりその数も増えました(図3)。

   

4.冬、植物体は枯れ胞子は土中で越冬し、春になると胞子が発芽する
 12 月にはサンショウモの葉は枯れ、成熟した胞子は本体から離れて泥中で越冬し、春になると発芽し ます(図4)。下大和田の田んぼの自然環境が保たれて、これからも年々サンショウモが生き続けられるよう願っています。

原発事故2019_3_14千葉2陣判決

元千葉県弁護士会会長  松戸市 及川 智志 

 千葉地方裁判所民事第5部(髙瀬順久裁判長)は、2019年3月14日、福島原発被害集団訴訟千葉第2陣(以下、「千葉2陣」といいます。)について、不当判決を言渡しました。本稿執筆時において、全国で同様の訴訟が約30件提起され、そのうち10件で判決が出されています。そのうち8件で国の責任が問われ、そのうち6件で国の責任が認められているなか、千葉2陣判決は、国の責任を否定した2件目の判決です。しかも、その2件とも、千葉地裁が判決を出しています。

 千葉2陣の訴訟は、2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故により、福島県内から千葉県内に避難を強いられた原告6世帯19名が、本件原発事故を起こした国と東京電力を被告として、提訴したものです。原告らは、被告らの法的責任を明らかにするとともに、事故により被った損害の賠償として、総額約2億4000万円余の支払いを求めています。

 実は、千葉地裁では民事第3部が、2017年9月22日に全国で唯一国の法的責任を否定する判決(以下、「千葉1陣判決」といいます。)を言い渡していました。千葉2陣判決は、千葉1陣判決とほぼ同様に、福島第一原発の敷地高さを超える津波の到来の予見可能性を認めておきながら、人的物的資源の有限性等を強調した上で、結果回避義務や回避可能性を否定したのです。
同じ千葉地裁で、原告ら被害者の生命や身体の安全性を後退させる屁理屈を使って、再度国の責任を否定したことは、理不尽というほかありません。千葉以外の同種訴訟では、前橋、福島、京都、東京、横浜、松山の各地裁が国の加害責任を認め、これを断罪しています。これらの判決と比べ、千葉1陣及び2陣の判決は、異様というほかありません。千葉2陣判決が言い渡されたも飛びました。千葉1陣と2陣を担当した裁判長同士の「お友だち判決」「忖度判決」ではないかという評価もあります。言葉がすぎるのではないかとの指摘を受けそうですが、そう言われても仕方がないと思わせるほどの超不当判決です。

 東京電力福島第一原子力発電所事故から8年以上が経過しているにもかかわらず、本件原告の方々をはじめとして、ふるさとに帰ることができない原発被害者は未だに5万人ともいわれています。このような異常な状況は、史上最大の公害とされる本件原発事故の恐ろしさを端的に示しています。
原告団と弁護団は、国と東電に対し、原発事故避難者である原告ら全国の原発被害者(福島の滞在者も含む)を避難区域によって分断するような中間指針を改め、すべての被害者が再び事故前の平穏な生活に戻れるための実効ある損害賠償の枠組みを早急に構築するように強く求めます。

 そして、原告団と弁護団は、本件原発事故について国の責任を否定した理不尽極まりない千葉地裁の2件の判決を覆すため、決意も新たに、総力を挙げて闘い続けます。どうかご支援のほど、よろしくお願いいたします。

常民と野生動物 3「庚申信仰とサル」

 哺乳類研究者 香取市 濱中 修 

おこうしんさま
 「おこうしんさま」を知っていますか。「かのえさる」すなわち庚申の日の夜、もちまわりの当番になった家が、近所の人々を招き、決められた料理をだして、おもてなしをします。この食事会のことをいいます。干支は60日で一巡しますから、「おこうしんさま」は2カ月に1回行われていました。
千葉県でも、少し前まで農村部で「おこうしんさま」が広く行われていました。私は、1985年(昭和60年)に香取市府馬に移り住みましたが、そのころは、ここでも「おこうしんさま」が行われていました。
 「おこうしんさま」は庚申講ともいいます。元号が昭和のころは、高校日本史の教科書に、江戸時代(近世)の民間信仰の1つとして、庚申講が載っていました。眠ってしまうと、「干支で庚申にあたる日の夜は、体からぬけだした虫が天帝に人の罪をつげて命をちぢめるという庚申信仰は各地にひろまり、その夜は仲間が集まって眠らずに語りあかす庚申講がおこなわれ、庚申塔がたてられた」(1)とありました。平成元年の学習指導要領改訂で、庚申講の記述は日本史の教科書から消えました。
 教科書の記述を鵜呑みにしてしまうと、いなかの人々が迷信にとらわれ、古いしきたりに従ってきたように思われてしまいそうです。民俗学の視点でサルを研究した廣瀬鎭さんが、お住まいの近くで開催された「おこうしんさま」を取材しています。
 「庚申とよばれる民間信仰は、日本の民俗のなかでも常民の精神史を考えるうえで、その御利益の多彩なことからも興味がもてる。庚申の本尊については、青面金剛であるとか、猿田彦であるとか、えたいの知れない神とも仏ともつかないものなどといわれてきた。犬山市善師野の地に残された庚申講を訪ねてみると、人びとの心はそんなことよりももっと豊かであった。一夜(といっても夜十時くらいまでであったが)玉置嘉彦さん宅での庚申の宵のお勤めに参加すると、何とも楽しい雰囲気であり、地域社会の人びとの許された仲間意識にすっかり引き込まれてしまう。講は今日でいう心を通わせるサロンであった。講の人が全員集まると、老女が唱える般若心経に一同が唱和する。お勤めのあとは、仕出屋からの料理に加えて当屋にあたる玉置さん宅の心尽くしの御馳走がならび、お酒が供される。講中の方々に聞いても格別にサルの話など出てこないし、庚申の縁起など誰も覚えていなかった。だが、それでいて古ぼけた庚申掛軸にはサルがちゃんと描かれている。」(2)
 現代の「おこうしんさま」は、地域の結びつきを維持するためのコミュニティ活動なのです。
 

三猿の誕生
 江戸時代は、平和が続いて、民衆の暮らしが豊かになり、文化が花開いた時代です。鎖国によって、その文化は日本独特のものになりました。その中に今日まで伝承されているものがたくさんあります。
 庚申信仰もその1つです。本尊の青面金剛は、仏教神でありながら、インドにも他の仏教国にも存在しません。江戸時代に日本の民衆が創り出したものだからです。
 「おこうしんさま」が行われていた地域には、庚申塔が残っています。庚申塔の青面金剛は、鬼を踏みつけています。鬼の下段には、見ざる聞かざる言わざるの三猿がいます。三猿も、庚申信仰が創り出したものです。三猿の絵や彫像は、すべて江戸時代以降につくられたものなのです。三猿の誕生によって、サルは神仏につかえる尊い獣となりました。

庚申信仰がサルを守った
 市川市の姥山貝塚など、千葉県北部の貝塚からもサルの骨が出土しています。縄文時代、サルは千葉県全域に住んでいました。サルの分布域は、農業の時代になって、だんだん狭まっていきます。農業の発展とともに、サルが生活できる森林がなくなっていったからです。千葉県でサルが住む地域は、江戸時代には房総丘陵だけになっていました。
 「さるかに合戦」を始め、民話の中に登場するサルは、みんな悪者です。サル(ニホンザル)は農作物を食い荒らす害獣ですから、「わが民族に伝わっているサルに対する嫌悪の情が、歴史時代を通じて存在することも確かなこと」(3)なのです。
 庚申信仰はサルを神獣にしました。サルは、人々にとって、憎らしくても共生していかなければならない動物になりました。そのおかげで、房総丘陵のサルは、絶滅せずにすんだと思われます。

【引用・参考文献】
   (1)児玉幸多他『新日本の歴史』山 川出版社,1991年
   (2)廣瀬鎭『猿と日本人 心に生きる猿たち』 第一書房,1989年
   (3)廣瀬鎭『猿 ものと人間の文化史34』 法政大学出版局,1979年

新浜の話15 「新浜を守る会の波紋」

千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子 

 土地区画整理事業というのは、何年もかけて地権者全体の合意を形成し、公共用地を確保したり、造成事業の全体を賄い、統括して行くという壮大なものです。農漁業を中心に生活していた行徳地域の方々は、地盤沈下のために生活の基盤を失いかけて、区画整理事業にようやく活路を見出したところ。そこにいきなり横槍が入ったのです。地元の方々の困惑と憤懣はたいへんなものでした。
 国会請願を受けた事業認可一時差し止めは夏か秋か。あいにく、当時の資料は解体されて更地となった行徳野鳥観察舎を離れて他所に預けられていて、当分は見ることができません。1967年の何月だったか、行徳の地元の方々が、バスを連ねて、渋谷区南平台の山階鳥類研究所に「野鳥保護反対」の陳情に押しかけるという事態が起きました。そのころの私たちは、署名運動や写真展、大探鳥会の準備などに追われていたと思います。もちろん、日曜日には新浜のカウントに。

 

 10月10日の新浜大探鳥会。本八幡駅南口集合で、当時の日本野鳥の会東京支部の幹事さんぜんぶに協力していただいたものです。ところが、前日までの申し込みはたった一人。例によって学生会館で資料作りをしていて帰宅すると、そのお一人から参加できなくなったとのご連絡があった由。仕方ない、東京支部幹事全員の探鳥会でもいいか、と、当日出かけると、なんだか駅前がざわざわ。結局100名近い参加の大盛会になりました。
 1967年放映、NHKの「現代の映像」の「鳥か人か」では、地元の方々が、農具小屋にペンキで「野鳥を葬れ」と大書する場面があります。同番組中には、既に市川市が用意していた案、新浜鴨場との境界ぎわに通る予定だった湾岸道路を500m沖合にずらす(これが今の行徳鳥獣保護区)というものも示されています。
 以下、日本野鳥の会東京支部報1967年12月号から抜粋引用。

    【新浜を守る会より】  
 発足以来八ヶ月、この会も何とか軌道に乗ったようです。朝日の天声人語を担当された荒垣秀雄先生を会長にお迎えすることになりました。会長いわく「今までさんざん鳥をタネにもうけさせてもらったんだから、印税と思ってやらせてもらいますヨ。」十一月六日に新浜をご案内、講演をお願いしたり、ご指導いただいています。
 十一月八日には「野鳥保護地区・緑地保全地区設定反対市民大会」が開かれました。本八幡近くの市川市民会館はほとんど行徳の方達ばかりで満員の盛会、白はちまきとのぼりに圧倒されました。「‥‥‥断固反対します。」のくだりで満場が拍手。一時間あまりの間中、参加した方達は熱心に耳を傾けておられました。(野鳥保護反対の)陳情書と同じ内容でしたが、大多数が「野鳥保護の趣旨には賛成、だからご猟場を中心とした八十haの公園には異存はないが、千haも残せというのには断固反対。」という立場だったようです。
 意見発表に続いて市会・県会・国会議員等の激励があり「市川市行徳地区、南行徳地区に鳥獣保護区域設定、緑地保全地区設定に対し、絶対反対する。」の決議が満場一致で採択、万才三唱の後、解散となりました。
 何でも市川市で市民大会が開かれるのはこれが三度目とか。それだけ保護側の運動が効を奏したという見方もできますが、反対勢力の大きさに対しての「守る会」の組織の弱さをつくづくと感じさせられました。」


 <会費納入のお願い>

 日頃より当会の活動にご理解,ご協力いただきありがとうございます。新年度を迎え会費納入の時期になりました。2019年度会費の納入がお済みでない方は、同封した振り込み用紙の希望会員区分を○印で囲み、会費(正会員5,000円,普通会員2,000円,賛助会員10,000円/1口)をお振り込み下さい。
 宛名タックシールに会費納入状況が記載されていますのでご確認ください(行き違いの際はご容赦ください)。期間は4月から翌年の3月までですが、複数年度の納入も歓迎いたします。

  郵便振り込みの場合:郵便振替口座は00130-3-369499

  銀行振り込みの場合:千葉銀行本店 普通 
  口座番号3627678,
  口座名義:特定非営利活動法人 ちば環境情報センター
                                            代表 小西由希子

【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2019年5月号(第262号)の発送を5月8日(水)10時から事務所にておこないます。 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。

編 集 後 記

 以前谷津田で見られた生き物について地元の方からお話を伺った。昭和30~40年頃巣から落ちたリスを拾って育てた。外出時はいつもポケットにはいってきたと。まるでおとぎの世界のようだ。今年も米作りには柏市や浦安市からも参加がある。統一地方選挙の結果がでたが、自然環境の価値が一層高まる中、それを理解し保全する政策を打ち出す人がいてほしい。 mud-skipper♀