ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第263号
目 次
|
市川市 小田 信治
はじめに
千葉県生物学会第499回定例会・調査研修部主催の野外調査研修会に参加しました。当日は、快晴に恵まれたものの、北海道では39.5度と5月の記録史上最高温度を記録し、千葉でも31度の酷暑となりました。また、トランプ大統領が調査地近くの茂原カントリークラブで安倍首相とゴルフのため、調査地に向かう千葉市方面からの沿道には、100m毎に警察官が立っているという、記憶に残る日でもありました。研修会の概要は以下のとおりです。
1.研修会の概要
・日 時:2019年5月26日(日)10:00~15:00
・場 所:いちはらクオードの森(千葉県市原市柿木台)
・内 容:房総丘陵に生息する両生爬虫類調査、種の見分け方、分布特性について学ぶ
・講 師:小賀野大一氏(千葉県野生生物研究会)
・参加者:15名(内小学生1名、中学生2名)
2.調査地について
調査地は房総半島の中心部に位置し、千葉市内からは内房線五井駅から小湊鉄道に乗り換えて月崎駅で下車、いちはらクオードの森まで徒歩で約15分、約2時間弱を要します。いちはらクオードの森は、市原市が学習塾クオードを経営する㈱集学舎とネーミングライツに関する協定を結び、市原市民の森をこの名称としたものです。面積は約117haでゴルフ場1つ分の規模があり、園内にはキャンプ場、バーベキュー広場、芝生広場、東屋、トイレ、駐車場等の施設が完備しています。園地の中央には、ため池や湿地、小川、沢等があり、周りを山に囲まれて、カエルやヘビ等の生息場となる自然環境に恵まれています。
3.調査について
講師の小賀野さんは、元高校の生物教員で、千葉県野生生物研究会を主催され、1995年から県内高校生物教員有志の方々と千葉県内の両生爬虫類の調査や保全活動を行ってこられました。10時の集合の後、小賀野さんから、千葉県内で見られる両生爬虫類の概要について解説がありました。
小賀野さんによると両生爬虫類は、鳥類や昆虫類に比べて、種数が少なく、比較的観察もし易いので、頑張れば誰でも専門家になれるとのことでした。私も前職の建設会社で、都内の寺院の改修工事の際に、アズマヒキガエルが産卵のため集合する池の保全対策を行うため、カエル個体に電波発信器を付けて調査をしたことがあり、都市部に生息するアズマヒキガエルの生態に関する新たな知見を得て、その魅力に取り憑かれたことがあります。
調査は沢沿いに歩きながら、渓流の石の上で美しい声でなくカジカガエル(♂)を観察し、砂防堰堤のため池では、モリアオガエルやヤマアカガエル、ツチガエル、アカハライモリなどが確認されました。
次の湿性植物園には、モリアオガエルの卵塊である泡巣が多く見られるとのことでしたが、銀杏の木に産み付けられた泡巣が1つだけ確認できました。途中の砂防堰堤では、コ、コ、コと鳴くモリアオガエルの声を聞くことができました。さらに、上流のため池に向かう渓流の沿いのルートでは、我々が通る度に、水に飛び込むツチガエルを見ることができました。小賀野さんによると、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」のカエルは、ツチガエルではないかと専門家は考えているとのことで、なるほどと納得しました。爬虫類については、シマヘビとヒガシニホントカゲが確認されました。気温が高いせいか、爬虫類はあまりみかけませんでした。
今回の調査で、両生類8種、爬虫類3種が確認されました。千葉県内の在来の両生類は12種なので、4分の3の両生類を確認することできました。なお、ウシガエルやミシシッピアカミミガメ等の外来種は確認されませんでした。
下表に確認できた種を記載します。
おわりに
調査は14時頃終了し、小賀野さんから提供していただいた「千葉県の両生爬虫類確認表」により、参加メンバーで、種の確認を行いました。その結果は前項のとおりです。また、カエルの声の録音を使った鳴き声の紹介をしていただき、たいへん興味深く聞きことができました。カエルは声で調査ができるので、車と録音機を使った広域の調査ができるとのことでした。
今回、カメは確認されませんでしたが、千葉県内の在来種のカメ目は、アカウミガメとニホンイシガメで、陸水域ではニホンイシガメだけです。近年、ニホンイシガメが減っており、環境省レッドリストでは「準絶滅危惧種」のカテゴリーに入っています。これはメダカの「絶滅危惧Ⅱ類」よりも緊急性が低いですが、クサガメ(外来種)との交雑やアライグマによる捕食被害が問題になっています。千葉県はまとまった生息地として太平洋側の北限地域にあたる貴重な生息地で、小賀野さんの千葉県野生生物研究会では、北総地域で2011年よりニホンイシガメの保全活動を行なっているとの説明がありました。下大和田でもニホンイシガメを見かけることがありますが、今後、保全について考える必要があると思います。
千葉市稲毛区 グラフィックデザイナー 森口 ゆかり
プラスチックに含まれる有害物質
東京湾ではイワシやサバ、二枚貝の体内からもみつかり生態系全体への広がりが考えられるマイクロプラスチック(5ミリ以下のプラスチック)は私達が食べたとしても排泄されますが、付着している化学物質は油になじみやすく、生物の脂肪に高濃度に濃縮されて悪影響を及ぼすと懸念されています。
プラスチックが石油から加工される際に含まれる様々な添加剤は、環境ホルモンなどの有害物質も含まれ、破片になっても残っています。さらに、海を漂ううちに海水中に溶け込んでいる低濃度の分解されにくく有害な化学物質を取り込み、高度に濃縮していきます(図1)。
多く見つかった加工前のレジンペレット
マイクロプラスチックが砂浜にどのくらい存在するのか、砂浜でゴミの量の平均的な場所を選び、40㎝×40cm×深さ1㎝の土の中から肉眼で見える範囲で採取しました。
街中でのポイ捨てやゴミ箱からこぼれ落ちたり、下水からあふれ出たりしたプラスチック片と、港の積み荷や工場でこぼれ落ち海に流れ込んでいると推定されるレジンペレットの、2種類に分けて並べてみると、ニュースでは見かけないレジンペレットが思いのほか多く存在していることが分かります(図2)。
生活用品の欠片は各地で見られ、南部地域では発泡スチロール片や漁具の割合が多い傾向にある一方、工場の建ち並ぶ港付近では、普段見かけないレジンペレットが大量に散乱していたのには驚きました。中でも千葉ポートパークのビーチプラザでは、手の掌に山盛りになるほどで、私たちの暮らしの中での努力だけでなく、企業の協力なくして海洋ゴミ問題は解決できないと感じました。
固められたゴミが崩れる砂浜
千葉県南部の相浜海岸では、駐車場から砂浜をのぞき込むと、堤防側に土で固められたゴミが地層のような幅のある段差になり、一部はひび割れて崩れかけているのが見えます。その上を通りぬけて降りた先の砂浜は、足の踏み場もないほどの大量のごみが覆い、波打ち際には、積もったゴミにふさがれて漂着しきれないゴミが波間を漂っていました。潮が満ちてくると強い波が堤防付近のゴミの塊を崩し、再び流れ出そうでした。その海岸には、海鳥がえさをついばむ姿があり、海水浴場だったとは思えない現状に、強い危機感を持ちました(図3)。
つづく
参考資料:
東京農工大学 教授 高田秀重「International Pellet Watch」海岸漂着プラスチックレジンペレットを分析した地球規模のPOPsモニタリング
千葉市緑区下大和田で実施中の「谷津田の米づくり」に参加されている2組の方から、感想が届きました。 初めて作業に参加して感じたことや、田起こし(5月4日)後の谷津田運動会で優勝した感想です。 以下に掲載いたします。 |
先日はお世話になりました。こちらこそ、貴重な体験をさせていただき、感謝しております。
特に新鮮に感じたのは、当日、作業が始まる前はスマホに興じておられたお子さん方が、作業が始まったとたんにスマホをやめ、田作りや自然に集中して向き合っている姿でした。自分の体を通して、生命の循環を知ることで、何をえるのでしょうか?
参加されたお子さんたちの姿をみて、未来に希望を感じ、そしてその希望を生み出すためには、大人がまずは舵をとって導くことも大事なことなのだろうな…と思いました。
ただただ「スマホやめなさい!」「勉強しなさい!」とガミガミ叫んでいるだけの大人になっていはしなかっただろうか…。と大人としての己を反省いたしました。網代さんはじめ、スタッフの方々は一流の指導者ですね!またぜひ参加いたします!よろしくお願いいたします。
レースの日偶然田んぼに行こうとお父さんに言われて、いとこと弟とお父さんの高校時代の同級生といっしょに行きました。そしてざっ草ぬきなどをして昼ご飯を食べた後レースがあると言っていたので、嫌がるいとこと父をきょうせい参加させて出場しました。予想外なてんかいに決勝まで言ってしまったので本気でやったらなぜかほかの2チームより速くてリードしました。
このまま逃げ切ろうとしましたが最後の最後で他のチームが盛りかえしてきました。やばいと思ったぼくたちは、ついに本気中の本気になって見事に逃げ切って優勝しました。優勝したらたいわん産のえん筆を貰いました。その後記念に一枚ピースをしながら写真をとってもらいました。だけど速く走りすぎたので服にどろがついてしまいました。
千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子
1968年1月、千葉県によって「行徳地域問題審議会」が召集されました。これまでもこうした審議会が持たれることはあったのですが、行政の関係者、地元の代表、学識経験者が委員となるものでした。この時初めて、自然保護関係の人間が委員となりました。日本鳥類保護連盟から高野伸二氏、そして新浜を守る会の会長として荒垣秀雄氏。荒垣先生に会長をお願いしたのも、こうした経緯の布石ということになります。ブレーンは朝日新聞の青木営治さんと思います。
荒垣先生がとても気に入って、何度も話しておられたエピソード。「会長を引き受けなかったら、承諾するまで三人娘が家にテントを張って泊まり込むというんだ」実はこれ、まっ赤なウソ、というより荒垣先生の創作。会長をお引き受けいただきたいというお願いのため、荒垣先生のご自宅にお邪魔したことは確かですけれど、先に書いたように、あっさりとご承諾いただいたのですから。女の子をからかったり、ダシに使って喜んでおられたのか。それとも人前で話されるうちに、ご自分でも本当にあったことと思われるようになったのかもしれません。
1月から3月まで審議会は何回開かれたのか、これも資料が手元になくてわかりません。月1回より多かったか(5回くらいだったか)と思います。3月に次のような答申が提出されました。これこそ資料に当たるべきなのですが、未確認です。図書館に行って市川市史第7巻をみれば済むことなのに、さぼりました。
●新浜鴨場を含む約83ヘクタールを近郊緑地特別保全地区とし、内陸性湿地帯を造成する。 →これが現在の行徳近郊緑地特別保全地区になります。 ●将来の埋立計画に鑑み、1000ヘクタール程度の干潟を確保する。 →三番瀬が埋め立てを免れたことにこの答申が生きたかと思います。 |
自然保護側からの代表として出席された高野さん、荒垣さんはさいごまで粘られて、日本鳥類保護連盟から出された陳情書の「1000ヘクタールの鳥類保護区」を主張され、答申は両論併記ということになりました。
ちなみに、当初は新浜鴨場敷地のすぐ前を通る予定の湾岸道路が海側に500mほどずらされて、今の保護区となったわけですが、これは1967年11月に放映されたNHKの現代の映像「人か鳥か」の中で、市川市の計画として既に紹介されています。
1968年3月にこの答申が出されたことで、「新浜を守る会」の活動は実質的には終了したと言ってよいでしょう。1年間ほど、前年同様の活動は続けているのですが、無我夢中で動いた前年とは様子が異なっています。もはや、事態は私たちの手の届かないところに進んだと言えばよいのでしょうか。このころ「全国自然保護連合」が「自然破壊黒書」として出版された「自然は泣いている」、その続編の「終わりなき闘い」の中に書かせていただいた文章(これも手元にありません)を見ると、当時の私たちの気持がわかります。保護区が確保されてほっとした、喜んだ、という心境には到底なれませんでした。
私たちは何をしたかったのか。「新浜と呼ぶかけがえのない自然が、誰も何も知らないまま消滅しようとしている。それでよいのか、と知ってもらいた かった」ただそのために無我夢中で動いてきたのです。その一角に、15分も歩けば通り過ぎてしまえるような狭い保護区域が造成され、それが言わば「免罪符」として各地の干潟などの開発工事にも使われるようになった―そのことに対する痛恨のきわみ、が当時の気持です。
【発送お手伝いのお願い】ニュースレター2019年7月号(第264号)の発送を7月8日(月)10時から事務所にておこないます。 発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。 |