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ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第268号 

2019.11.6 発行  代表:小西 由希子

目   次

  1. うみがめとわたしたち  at  上総一ノ宮
  2. 海岸砂丘における生態系サービス  9
    海岸砂丘を活用した人々の暮らしと生態系サービスとしての評価
  3. 新浜の話22   ~オオバンクラブ~

うみがめとわたしたち at 上総一ノ宮

たまあーと創作工房主催 長生郡一宮町 こまちだ たまお

 ウミガメ調査のお手伝いをするきっかけはずばり「娘の夏休みの自由研究」。教え子の妹さんが8年もの時間を費やしながら研究を続けており、ご一緒にとお声がけいただいたのだ。それから、一宮ウミガメを見守る会の皆さんとご一緒することとなった。
 宿題と同時に夜の海を歩きながら「カメと会わねばならぬ」ミッションが課せられた。ウミガメの甲羅に発信器をつけるというのだ。
 夜の徘徊、3回目の2016年8月10日の夜半、人海戦術で各浜を歩いていく。30分ほどで「いたよ!」という奇跡の連絡。現地に集合する。
 こんなに大きいんだあ・・・。ウミガメが九十九里浜、我が町の海岸に来ることも知っていた。知っていたけれど実物を”見る”と違う。大きさも驚いたが 発信器をつける作業の際、大きな力で砂を手で払う、すると10m以上はは砂が飛ぶ。そのぐらい力が強かった。そのエネルギーに魂が奪われた。すごい!!
それからウミガメの調査のお手伝いを仕事の合間に僅かばかりではあるが行い、そして、ウミガメで学んだことを教室・たまあーと創作工房のこども達などに伝えている。

<ウミガメの実態>
 九十九里浜は日本での最北端の産卵域だ。ちなみに日本が太平洋の中で北限、ゆえに九十九里浜は地球規模で見て貴重な産卵区域となる。
 九十九里浜でのウミガメの産卵時期は6月から8月頃まで。暗いうちにカメは上陸し産卵場所を探し産む。のが通例。時々朝まで時間がかかるかたもいる。人の気配・あかりがあると上陸しない。あかりは影響の少ない赤い色に変えて調査をしている。上陸したウミガメは産卵場所が決まると後ろ足で約60cmの深さに穴を掘り 約100から120個ぐらいのタマゴを産み落とす。最後は砂をかけて平らにし海へ帰る。
 子ガメは産卵日から約60日後で孵る(脱出する)。1日の気温が1番下がったとき(明け方頃が多い)に砂の中から出てくる。約30cmぐらいの砂の厚みを子ガメたち総動員で地上に向かって砂をかき分けて崩し落としていき地上である砂浜へ出ていく。その様を脱出という。その後、海原に旅立つ。

<一宮ウミガメを見守る会の活動について>
【周知活動】
 千葉県にウミガメが産卵に来るのですか?と仰せの方はまだ多い。私も産卵地であることは知ってはいたけれど実態までは知らず、実際に調査のお手伝いに入ったことで目から鱗、背中に甲羅となった。
 イベントなどの出店、小学校などの環境教育活動でお話をさせて頂くことで周知を図っている。私が活動拠点にしているたまあーと創作工房でも一宮ウミガメを見守る会のご協力のもとあーと合宿などでの夜の活動時にウミガメの調査に出ることで周知活動の一環としている。
周知活動アイテムとして
●2017年コープみらい助成金による「ウミガメと私たちat 上総一ノ宮」・ウミガメと出会ったときの対処など記載、裏面ウミガメ塗り絵(下図)

●2019年損保ジャパンSAVE JAPANプロジェクト助成金による、ハンドブック「北限のアカウミガメ」デザイン(有)R Plant 牧野奈穂さんを制作し各イベントなどで配布している。(希望の方は文末、問い合わせ先にご連絡下さい。)
日頃の活動
・5~8月までの産卵調査

 浜辺を歩き上陸痕が無いか調べる。約7㎞の一宮町の浜辺を手分けして早朝に歩く。上陸痕から産卵が確認されるようだったら産卵調査をする。
 この辺りかなと砂を戻したと思われる箇所に、細い探査用の棒で砂を突き、すっと入る場所を見つけ手でそおっと掘る。
 タマゴが出てきたら産卵確認をし、ウミガメ研究者からの依頼があった場合はタマゴを1個保存しのちほど研究所に送付する。
産卵場所を埋め戻し周囲に浜辺で拾った漂着竹、木などを差しロープを張って囲いとし、「ウミガメの巣」とする。囲いの棒には年月日、地点名、発見者名を記入し看板を立てて終了となる。
・子ガメの脱出調査
 産卵日から約60日後で子ガメは脱出をする。気温が低くなる頃まで明け方歩き脱出を確認をする。
・カメの巣の調査
 秋風が吹き始め子ガメの脱出期間が終えた頃、全ての巣を掘り タマゴの数を計測する。
 空のタマゴ(孵化したもの)、未孵化の卵、無精卵、脱出出来ずに巣(砂)の中で死んだ子ガメの数などをそれぞれ計測する。
・年間を通じて
 死着(死んだ状態で漂着した)のカメの数も調査対象になる。発見後、NPO法人エバーラスティングネイチャー(ELNA)に報告し解剖調査依頼をする。また、日本ウミガメ協議会にも報告する。
 場所・種類・性別・大きさ・胃の内容物などを調べることでウミガメの生態を得るデータになる。
・年間の上陸回数、産卵回数などを日本ウミガメ協議会に提出する。日本全体のウミガメの調査のデータになる。なお、2017年度は上陸44回、うち産卵24回、  2018年度は上陸6回、うち産卵2回。2019年度は上陸、産卵共に5回であり、上総一ノ宮のみならず日本全体の産卵数が減っている現状である。

<環境保護を考える>
 ウミガメは大きく移動する生き物である。ゆえに生態がわからない部分がまだ多く、そして、地球環境の影響も受けやすいといえる。絶滅危惧種に入っており環境保護を語る上で重要な生き物にもなっている。
 昨今注目されている プラスチックゴミ問題から目線を向けると 上陸の際に浜辺に打ち上げられた漂着ゴミに苛まれ 産卵をやめてしまう(上陸痕のみ)場合等も考えられる。
 子ガメが孵るときも同様に漂着ゴミが邪魔をし 波間までたどり着かない例もある。
 海洋の漂流ゴミをクラゲと間違えてウミガメが食してしまう様子を撮影したような画像が出回っているが食す可能性もあるがゴミとクラゲを見分けるだけの能力をウミガメは持っているとのことを日本ウミガメ協議会松沢慶将会長さんは仰せであり、ウミガメだけがゴミ問題のスケープゴート扱いになることは避けたいところでもある。
 その他にも環境保護の観点から申せば、
・砂浜の浸食による産卵場の減少
・浸食をとめるために設置された蛇籠による浜辺の自然環境破壊 
・車の砂浜への進入などによる子ガメの移動困難
・海岸での外灯・自動販売機などの明かりが強いことのことなどで、親ガメが産卵を避ける(人や天敵のいない暗い場所で産卵をする)、もしくは子ガメは明るい光に向かっていく傾向があり外灯は子ガメが海に旅立つことを妨げていたりする。
なども掲げられる。
 地球温暖化のこともゴミのこともカメにとっても死活問題だが同様に人間にも大きな問題であることは変わりない。出来る人が出来ることから小さい力でも地球に配慮して生活していくことで,地球環境保護につながれば良いと切に願うのだ。
 一宮ウミガメを見守る会はボランティアで活動しています。
会員を募集すると共に一緒に調査をしてくださるかた、活動へのご寄付を募っております。

 入会金500円、年会費1000円、
 賛助会員の会費は、一口2000円から、何口でも納入可能です。
 ゆうちょ銀行:10530 96472551 
 イチノミヤウミガメヲミマモルカイ
 問い合わせ:一宮ウミガメを見守る会 渡部明美09018077139
     kameakemi777@yahoo.co.jp まで。皆様のお力添えをどうぞよろしくお願いします。

海岸砂丘における生態系サービス  9
海岸砂丘を活用した人々の暮らしと生態系サービスとしての評価

東京都北区 金子 是久    

1.はじめに 
 人々は、古くから海岸砂丘上に漁村・港の沿岸都市「まち」を形成し、海岸砂丘による生態系サービス(自然の恩恵)を受けていた。しかし、都心部では、高度経済成長期以降、工業化や宅地化による大規模な沿岸開発により、自然海岸砂丘は広範囲に破壊され、人々が自然の恩恵を受ける機会を減少させた。本報告では、首都東京の近隣にある千葉県東京湾側の沿岸域を対象に、開発前の沿岸都市での人々の暮らしについて調査し、本来の海岸砂丘の環境・機能、それを活用した経済効果による生態系サービスについて評価した。

2.調査方法
 千葉県東京湾側の沿岸環境は、高度経済開発期以降に激変し、社会情勢変化を把握しやすい場所と判断したことから、今回の調査地とした。環境・産業については、松井(1929)、鈴木(1997)、漁村・港の整備については、千葉県(1996)の資料を引用した。また、経済規模の指標としては、中心性指数(商業的活動による経済規模を指標として1891年の千葉県の各町村ごとの商業税額と同年末の現住戸数を用いて算出した)を用いた(黒崎1990)。

3.漁村・港の沿岸都市「まち」の整備

 千葉県北部の葛西・幕張・千葉地区は、平安~室町時代にかけて漁村・港が整備された。木更津以南は、徳川家康が江戸に入居した頃(安土桃山~江戸時代初期)に整備が開始され、江戸初期から後期にかけて拡張した(図1)。

 

4.大規模開発前の経済規模
 明治~昭和初期の調査地の中心性指数(商業施設による経済規模)は、醸造業(酒、醤油等)が存在した沿岸都市(◯)では、中心性指数のランクの高い傾向がみられたことから、開発前においては、醸造業が経済規模に大きく影響していたと推察される(図2)。

 

5.大規模開発前の主要産業
 幕張町の主要産業をみると、第二次産業では、醸造業(酒、醤油等)、貝灰製造と海岸砂丘や海の資源を活用した産業が発達し、1つの「まち」で生活必需品が揃い、独立していた(図3)。また、図の掲載はないが、検見川町、八幡町でも同様であった(松井1929)。

 

6.調査地における大規模開発前の海岸砂丘と人々との関わり
1) 江戸初期以降、海岸砂丘上に漁村・港の沿岸都市「まち」が整備された。
  関西から漁師が移住したことで、地域の漁業技術を発展させ、生活を向上させた。
2) 海岸砂丘は、以下のとおり、人々が生活しやすい立地条件である。
 ① 海岸砂丘の淡水層による豊富な湧水・地下水により生活用水を確保しやすい。
 ② 淡水層を利用したことで醸造業(醤油・酒造り)が発達した。
 ③ 調査地は、潜在的に海域から陸域にかけて砂丘→湿地→砂丘→湿地が交互に繰り返す海岸砂丘であり、特に湿地部では、主食の米の生産場に利用しやすかった。
 ④ 魚介類・海藻類等を食料(主菜・副菜)として維持しやすかった。   
3) 首都東京(江戸)の人口増加に伴う魚介類・海産物の食糧供給
  開発前の沿岸都市は、地域の自然を活かした人々の生活の確保が地域経済の活性化につながり、環境と経済が両立した地域社会を形成していた。

※ 社会情勢変化に対する考え方については、次回号に開催予定。


引用文献
 1) 松井天山 (1929) 千葉県市街鳥瞰図.千葉県.
 2) 鈴木久仁直著(1997)ちばの酒物語~酒づくり・心と風土の歴史~.千葉県酒造組合.
 3) 千葉県(1996) 千葉県の歴史 別編 地誌1 総編 財団法人千葉県史料研究財団(編)、ぎょうせい.
 4) 黒崎千晴(1990) 明治前期、千葉県の中心地について.八千代国際大学紀要 国際研究論集、第3巻第3号:1-33.

新浜の話22 ~オオバンクラブ~

千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子  

 大学を卒業した1972年は、子供が生まれたこともあり、新浜にも葛西にも出かけることはなかったと思います。1973年になってからのこと。新浜を守る会で親友になった安達裕之さん(元東大教授)にしばらくぶりで会った時、今どうなっているか、見に行ってみようということになりました。安達さんは干潟や埋立地の底生動物調査をずっと手伝ってくれた上、結婚前は帰宅が遅い時、いつも自宅まで送ってくれたものです。翻訳や出版などでもお手伝いや叱咤激励をいただいています。
 一面に砂漠のような埋立地・造成地が広がる光景は覚悟していたものでした。道路がしっかり縦横に通り、東西線の開通後、建物やお店が着々とできていました。空き地のほうがまだ多かったものの、道と道の間に水がたまって湿地化しているような場所は、さすがにほとんど見られませんでした。
 ところが、江戸川放水路のほうにまわると、そこにはまだ広大な湿地が残っていたのです。かつては水田だったところですが、その当時は地盤沈下で田んぼはなくなり、蓮田や沼沢地、アシ原などが、地下鉄の操車場周辺に広がっていました。後に妙典土地区画整理組合がスーパー堤防として造成したところです。今の地名では妙典から塩焼のあたり。塩焼はほとんどが埋め立てられた造成地でしたが、妙典いったいは大半が蓮田や沼沢地でした。
 ここを見ておかなくては、ということになりました。今のようにネットやメールの時代ではありません。どうやって呼びかけ、どうやって人を集めたのか。何の厄介ごともなく、やってみようよ、という呼びかけにこたえて、すぐに学生さんを中心とした10名以上の人が集まりました。
 妙典の蓮田(後に「オオバン池」と呼ぶようになった)で、それぞれ持ち場を決めて、終日、ともかく見て気がついたことを記録する、というもの。30分ごとに5分休憩をはさむ、あとはともかく見る。ただそれだけの調査ですが、面白いことはいくらでも見つかります。大きくて目立つ上、数が多く、行動も派手なオオバンが観察の中心になりました。オオバンのなわばり行動や採食などを見ているうち、何を食べているか知りたくて、池の底の泥を調べてみた人もいます。どんな環境を好むかを見たくて、植物の種類を調べた人もいます。「オオバン池」全体の環境や生物を把握したい、というのが、共通の目標になりました。アーサー・ランサム全集にちなんだ「オオバンクラブ」がグループ名です。

 
市川市妙典の蓮田・通称オオバン池とオオバンの群
奥に江戸川放水路の堤防が見える
1974年8月15日 撮影:田中正彦

 調査を続けるうちに、どうしてもオオバンの個体識別がしたくなって、捕獲作戦を試みたり、個体識別用のマークを実験するため、上野動物園で飼育されているオオバンにテント地のタグをつけさせていただいたり。捨てられていたマイクロバスに、冬のさなか泊り込んだこともありました(マイクロホテル;おそろしく寒かった!)。東邦大学名誉教授の風呂田利夫さんが行徳駅から(妙典駅はまだなかった)一升瓶をぶら下げて歩いてきたのはこの時。
 当時のメンバーには尾崎清明(現 山階鳥類研究所副所長・日本鳥学会会頭)、百瀬邦和(現NPO法人タンチョウ保護研究グループ理事長)、茂田良光、原田俊司、小俣信一郎、服部正策、平川(お名前を失念)、二代目三人娘こと由井(現姓松田)蘭子、吉安京子、松田まゆみ等、そうそうたる方々がおられます。私を含め、どの方にとっても「オオバンクラブ」は貴重なよりどころになったようです。


【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2019年12月号(第269号)の発送を12月6日(金)10時から市民ネットワーク千葉県事務所(千葉市中央区中央 4-10-11アイビル4階)にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。

編 集 後 記

 今年も下大和田谷津田ごよみが刷り上がってきました。さっそく皆様にお届けいたします。毎年楽しみにしていてくださる方も多くうれしく思っています。どこそこで暦を見たよ、と言ってくださる方もあり、谷津田の豊かさを伝えるメッセンジャーとしても活躍してくれているようです。これからも活動への応援よろしくお願いします。  mud-skipper♀