ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第269号
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千葉市美浜区 熊野 志功
こんにちは。くまのシコーです。シコーは、千葉県生物学会のフィールドワーク「貝を拾って、見えること」に参加しました。
ごつい名前の団体ですけれども、名物先生や博識な方や普通のおとなや子ぐまたちも来ていました。生物学は、アマチュアが活躍できる数少ない分野のようです。そんなに筋金入りでなくても、和んだり元気をもらったり、幼いうちから自然への感性をみがいたり、自然との関わり方や自然保護について考えたりする、いい機会だったと思います。
訪れた場所は、千葉ポートパークの浜といなげの浜でした。人工の砂浜です。千葉ポートパークは、まわりが工業地帯と工業港で、いなげの浜は、埋立地の住宅の先に造られました。
人工海浜に落ちている貝には、特徴があります。さまざまな時代、さまざまな地域の貝が混じっているということです。各地の砂がまかれて各地の貝、浚渫(しゅんせつ)による東京湾の底の貝、地層に含まれる貝化石、黒潮に乗って流れてきた貝のほか、最近では温暖化の影響により南の貝も見られます。
最初に、元高校の生物の先生で貝の専門家である、毛木仁先生より、お話をいただきました。違いが分かることが大事、とおっしゃいます。似ているけれども違う場合もある、けれども違いを見抜くのは難しい、だから、一見同じように思える貝がらでも複数集めることを勧められました。
最干潮時刻を少し過ぎたころ、千葉ポートパークの浜に出ました。引き潮で、浜が現われているところがありました。そこでは、砂にいくつもの穴があって、小さいけれども生きているアサリやシオフキがたくさん出てきました。小さなカニもいました。昔アサリがたくさん取れたと聞いているところで、またアサリが取れるようになるのは、とても嬉しいことですね。
次に、いなげの浜に行きました。日本で最初の人工海浜です。最近、海岸線をまっすぐに直してから、全長1.2km、幅30m、厚さ70cmにわたって、オーストラリアの真っ白い砂を敷いたそうです。工事完了直後でした。
ここでは、生きている貝には出会えませんでした。それでも、地引網を何度か仕掛けたところ、セグロイワシやクロダイの稚魚などが数匹かかりました。 海で生き物を見つけるのは、本当に喜びです。みなさんは、大型リゾートの浜と、生き物がたくさんいる浜とで、どちらが理想ですか。シコーは、きれいな貝がらがいくつも落ちている、生き物だらけの海が好きです。
さて、拾った貝がらは、県立千葉西高等学校の生物教室で分類しました。こんな貝を拾いました。千葉ポートパークでは、アサリ、ハマグリ、シオフキ、ホンビノス、カキ、ナミマガシワ、コウロエンカワヒバリ、ホトトギス、ウスカワシオツガイ、フミガイ、ツキガイモドキ、モシオガイ、タマキガイ、ミルガイ(破片)、マテガイ(破片)、シマメノウフネガイ、イボキサゴ、アカニシ(破片)、バイガイ(破片)、オオヘビガイです。稲毛の浜では、アサリ、シオフキ、バカガイ、ホンビノス、マテガイ、ハイガイ、アカガイ、カキ、ミドリイガイ、ムラサキイガイ、ナミマガシワ、ツキガイモドキ、モシオガイ、エゾタマキガイ、ワスレイソシジミ、ヌマコダキガイ、ウチムラサキ(破片)、フネガイ(破片)、イボキサゴ、アカニシ、ウミニナ、アラムシロ、トクサガイ、イボヒメトクサ、カニモリガイ、レイシ、ツメタ、ツノガイ、バイ(破片)、オオヘビガイでした。(つづく)
北総生き物研究会 東京都北区 金子 是久
1.はじめに
人々は、古くから海岸砂丘を漁業や山間地との物流拠点として利用するために「まち」として整備し、海岸砂丘の自然を活用していた(生態系サービス)。しかし、高度経済成長期以降、工業化・宅地化等の沿岸開発が進行・拡大したことにより、自然の海岸砂丘は人工整備され、人々の自然の恩恵を受ける機会が大きく減少した。本報告では、千葉県の東京湾側の沿岸域を対象に高度経済成長期以降の沿岸開発の変遷状況(自然海岸→京葉工業地帯)を踏まえ、今後の社会情勢変化に伴う海岸砂丘の再生について検討した。
2.調査方法
調査地は、高度経済開発期の沿岸開発により環境が大きく変化し、その変遷状況を把握できる千葉県の東京湾側の沿岸域とした。千葉県京葉臨海工業地帯の開発は、千葉県企業庁臨海事業部(1976)、その地域の社会情勢変化は、高城(2014)の資料を参考にした。
3.京葉工業地帯の現状と今後の課題
千葉県臨海(京葉)工業地帯は、高度経済成長期以降、世界最大級の都市隣接型の工業地帯として日本の経済発展に大きく貢献した。しかし、近年、目まぐるしく変わる社会情勢の中では、下記に記述したように従来の方法では対応できなくなりつつある。
4.今後の社会情勢変化への対応案
【 現在~今後の社会情勢 】 ・人口減少、少子高齢化の進行(生産労働人口の減少)、経済の衰退、財政の逼迫 ・インフラ(住宅・道路・鉄道等)の老朽化とそれに対する維持管理が困難な状態 |
⇒ | 【 まちの中心部の再活性化の推進(拡大・縮小政策) 】 コンパクト化で空いた土地は、短期的な収益となるテーマパーク等の商業施設整備よりも、その地域本来の自然を再生することで、災害時の防災・減災(Eco-DRR)の推進、自然の観光地として活用(工業国から観光国への転換)が理想とされる。 |
5.京葉工業地帯の現状と今後の課題
1) 中長期的な国内需要の縮小・グローバル競争の激化
→ 社会構造の変化(少子高齢化、若年層の車離れ)、地球温暖化対策の省エネ技術向上、天然ガス等への燃料転換、ASEAN地域での競争激化による厳しい経営環境。
→ 大手製造業の国内生産縮小・合理化、安い人件費を求めた海外への移転。
→ 増加する生産設備の休止・停止の大手企業(住友化学・三井化学・新日鐵住金)、遊休地の拡大(高城2014)。
2) 施設(1970年代)の老朽化
→ 現在の企業の財政状況では、再整備は難しい。
3) 大規模災害からの防災・減災対応の必要性
→ 大地震等による津波、高潮の発生、近年、多発する観測上記録的な大型台風によるライフライン(水道・電気)の停止を防止する必要がある。
6.今後の課題
上記の社会情勢変化に伴う臨海工業地帯内で遊休地が増える中、今後の課題としては、行政・企業・地域住民・学識者等が連携し、海岸砂丘の再生(グリーンインフラ)、災害時の防災・減災機能の充実(Eco-DRR)、観光資源の活用等を進めることで、工業国から観光国への転換等の新たな社会経済システムの構築を図り、第2次高度経済成長につなげることである。
引用文献
千葉県企業庁臨海事業部(1976)京葉臨海海域開発要覧:9-18.
高城華楠(2013)京葉臨海部に立地するグローバル製造業の今後の展開方向.ちば経済季報夏号:1-21.
我孫子市 為貝 和弘
「農業と太陽光発電を両立!」というテーマで開催された11月の「我孫子サイエンスカフェ」。私は太陽光発電にも植物光合成にも関心があったので、参加してきました。
講師は、公立諏訪東京理科大学工学部機械電気工学科教授の渡邊康之氏で、信州農業を革新しようという意欲の元、研究を推進している方です。
従来型のソーラーシェアリングは、畑や水田の上にソーラーパネルを設置し、農業と発電を一緒にこなそうという方式です。これについては昨年PV-NETで千葉県匝瑳市にある施設の見学会があり、実際に現場を見てきました(確かラッカセイを栽培していたと思います)。
しかし今回の太陽光発電は、農業用のシースルーOPV(有機薄膜太陽電池)をビニールハウスに貼り付けて、植物の光合成に必要な光は透過(赤色域と青色域)し、それ以外の光(主に緑色域)を発電に使用するという農作物栽培と太陽光発電の両方を実現しようとするソーラーマッチング方式です。そして最新のタンデム型シースルーOPVでのエネルギー変換効率は、17.3%(通常の太陽光発電に使用されているシリコンに迫る値)にもなっています。
実際にシースルーOPVを見せてもらいましたが、写真にもあるように薄くカラフル(どの色のものが植物の生育に適しているか実験する為)で、大量生産(プリンターで印刷可能なので)できるようになれば非常に低コストになるそうです。
屋外での耐用年数は5年程度とのことでしたが、ビニールハウスの張り替えが4年ごとくらいで行われている事を考慮すれば、それに適した耐用年数ということに
なります。
植物工場(柏の葉に千葉大学の実験施設があり、放送大学の授業で学習・見学してきました)への利用もできそうで、将来的に非常に期待できる技術だと感じました。ただ、緑色域の光も光合成に全く利用していない訳ではなく、葉の裏側で反射してくる光は利用されているという事なので、屋外ビニールハウスで比較するとシースルーOPVを貼り付けた方が収穫時期が若干遅れるようです(最終的な収 量は同量)。
但し、懸念されるのがプラスチックです。前日に「ちば環境情報センター」の学習会「海洋ゴミとマイクロプラスチックについて考える」を受けてきたばかりでしたので、より強く感じたのだと思いますが。このパネルのベースはプラスチックですから、耐用年数を過ぎたパネルをどう処理するかが問題になります。ビニールハウスのビニールを張り替える時に交換するという事なら、回収もかなり高率で実施できる可能性があり、リサイクルという点でも期待できるのではないかとは思うのですが。
まあ、リデュースという事から言えば、パネルをプラスチックではなくCNF(セルロースナノファイバー)等の代替材料で作成するというのも一案かもしれません。
千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子
2019年11月23日、「行徳野鳥観察舎新築工事について」の説明会が地元で行われました。11月下旬着工(11月27日起工式とのこと)、来年6月竣工予定。
「無限大型」の斬新すぎるデザインと手狭さが気になって仕方ないのですが、いよいよ工事開始。雨風がしのげれば、形よりは中身。活用を望みます。
さて。1967年に「新浜を守る会」が発足した時、新浜の大切さをまとめた「新浜資料」では、渡来しなくなったマガンに加えて、オオバンの急減と消滅の可能性が書かれていました。当時、新浜は日本での繁殖地の南限にあたっており、繁殖のために広大な沼沢地を必要とするこの鳥は、埋め立てによって生活の場を奪われていたのです。新浜鴨場を別とすれば、妙典の蓮田(オオバン池)は1973年当時に残されていた唯一に近い繁殖場所でした。(対岸の原木方面ではもっと後年まで繁殖が続いていたようです。)
オオバンクラブで観察していても、オオバンは沼沢地のみに適応した鳥で、広大で水中にも周囲にも植物が豊富な豊かな湿地の指標となる鳥、と印象づけられていました。お仲間のバンは、それこそ水陸空を制するオールマイティで、沼の近くの畑を荒らしたり、トウモロコシの茎にのぼって実を食べたり、という姿も見られ、都内の小さな池などにもいることから、オオバンほど特殊化しておらず、いろいろな環境に適応できるから将来も心配ない、と思っていたものです。
ところが、21世紀に入ってしばらくしてから、東京湾でアオサを食べるオオバンが急増したことが目立ちはじめました。60年前の常識では、オオバンは淡水湖沼の鳥で、海に出ることはまずなかったものです。50年近く前のオオバンクラブ当時、干潟や江戸川放水路でオオバンを見かけることはありませんでした。2010年代になってからでしょうか。2019年の現在から10年か、もうちょっと前からか、三番瀬で100羽をこえるオオバンが越冬していると聞いて仰天したものです。この傾向は東京湾にとどまらず、全国規模になっているように聞いています。新浜でも、1980~1990年代にかけてほとんど消滅していたオオバンが、冬鳥としては復活・増加しているのです。
反対に、バンのほうはどこでも少数派になりました。消滅には至らないまでも、もともとあまり多くなかったものが、更に少なくなり、目につかなくなってきました。
オオバンクラブの時代にも、晩秋から冬は100羽以上のオオバンが水面に群れているのはふつうに見られました。おそらくもっと北から渡ってきたものでしょう。繁殖時期にもなわばりを持たずに群れ行動をしているグループがあり、チョンガーグループと呼んでいたものです。
オオバンの繁殖は、ここ20年来行徳では見られていません。一方、冬鳥としての急増は、海に進出したことが主な原因ではないかと思います。わずかな年月の間に、オオバンの中にどのような変化が起きたのでしょうか。
1980年代から急増したカンムリカイツブリ、東京湾周辺で繁殖・定着しかけたオカヨシガモ、九州で越冬し、越冬地が一時期どんどん東進して茨城県にまで達したツリスガラ。同じ時期、ヨーロッパでもツリスガラ(別亜種)の繁殖地が北上し、イタリアからドイツに達した、と、ドイツでの繁殖を見つけられた方(観察舎来訪)に伺いました。お名前は伺っていないのですが。
三番瀬に定着し急増したミヤコドリなども不思議です。最初の一組の越冬から、家族がふえ、血縁のものたちが増えたのかもしれません。私が鳥を見はじめてからのわずか50~60年間に見られた大きな変化だけでも、セイタカシギやオオタカ、都会地のツミ、コゲラ、エナガ、1960年代のハクセキレイやチョウゲンボウの建造物営巣開始など、多々あります。こうした変化・変動こそが、むしろ生物界の常態なのかもしれません。
単純に、この環境が消えたためにこの鳥が減った、この環境が復活したためにこの鳥が復活した、と言うことでは割り切れない、生きもののたくましさ、不思議さを感じます。
【発送お手伝いのお願い】ニュースレター2020年1月号(第270号)の発送を1月8日(水)10時から千葉市民活動支援センター会議室(千葉市中央区中央2-5-1 千葉中央ツインビル2号館9階)にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。 |