ちば環境情報センター  ニュースレター

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第271号 

2020.2.7 発行  代表:小西 由希子

目   次

  1.  お手軽でサスティナブルなエネルギー生活
  2.   COP25報告    Vol.2
    ―それでも私たちは立ち上がる。COP25会場に鳴り響いた市民の警鐘-
  3. 下大和田 田んぼの水草(2)-オモダカのなかま-
  4. 20年目の谷津田観察会に参加して
  5. 新浜の話25 ~大草原の小さな家~

 お手軽でサスティナブルなエネルギー生活

大網白里市 品田 智美 

 昨年秋に千葉で続いた災害は九十九里浜にほど近いマンション暮らしのわが家でも、上階からの水漏れ、停電、断水を経験。でもこの災害は2つのサスティナブルなエネルギー生活を意識してきた私の背中を押し、3つめを始めるきっかけとなりました。
 台風15号の停電時、仕事柄「家でパソコンが動かせる電気さえあればなんとかなる」と身にしみ、急遽台風19号が来る前に、初心者むけ4点セット(100Wソーラーパネル、12Aチャージコントローラー、20Ahバッテリー、300Wインバーター、ケーブルなども含め3万8千円くらい)を購入。元リケジョとはいえ素人の私。試行錯誤しながら工作し、以前からやってみたかった系統連系接続のないオンサイト利用で太陽光発電のある生活を実現。防水のソーラーパネルをベランダに設置し、使用していないエアコンの配管穴を通して残る3点は室内に配置しています(下写真参照)。

 

 合計で300Wまでの家電であれば同時に使用できます。もちろん小規模なシステムなので、雨や曇りの日が続くと「電気貯まってないな」、と感じるのはご愛嬌。それに私のマンションは東向きで日当たりもさしてよくない環境下。少しでも使えたら儲けもの、という感覚で使用しています。ささやかですが、複数台のタブレットとスマホへの充電をするくらいの電気は雨でも曇りでも十分に確保。
 晴天時にはスマホ用スピーカーで音楽を聞きながらパソコンで仕事しても、バッテリーが減りません。日常に必須の電子機器を太陽の電気が満たしてくれる気持ち良さと、停電への安心感はかけがえがないもの。
 過去実行してきた工夫の1つはアンペアダウン。引っ越すとだいたいブレーカー容量を半分くらいにします。基本料金も下がるし同時に使う電気製品を気にして省エネになるので一石二鳥です。ちなみに、自宅は冷暖房全て電気の60m2くらいで20A契約です。冬季はうっかりすると時々ブレーカーが落ちることもありますけれど、契約容量が小さくなれば電力会社は発電所を減らせます。
 2つめはパワーシフトで、再生可能エネルギーを重視する千葉電力と契約しています。アンペアダウンは屋内ブレーカーの取り替えが必要ですが、パワーシフトはそれすら必要ありません。屋外の電気メーターを事業者がスマートメーターにいつのまにか取り替えてくれるから。webサイトに簡単に必要事項を入力して申し込むだけで、明細表は毎月メールでもらえて管理もラクラク。
 火力や原子力に固執し続ける東京電力にお金を払いたくないため、千葉に転入した際にすぐ切り替えました。電気料金がさほど変わらないなら、気分のよい電気を私は選びたい。災害後に、「電気は使えていますか?」と確認の電話をくれる親切にも驚きました。
 お手軽なエネルギーのサスティナブル、2020年になにか1つ始めてみては?

COP25報告 Vol.2
―それでも私たちは立ち上がる。COP25会場に鳴り響いた市民の警鐘-

国際環境NGO FoE Japan 高橋 英恵 

 主要議題を次回に引き継ぐ形で閉幕したスペイン・マドリードでの国連気候変動枠組条約締結国会議(COP25)。今回は、交渉を左右したと考えられる市民参加権利剥奪を伴った大規模抗議を紹介します。

 抗議の発端となったのは、気候危機に正面から向き合おうとしていない交渉の状況でした。交渉現場から聞こえてくるのは、既に気候変動による損失と被害に苦しむコミュニティへの無配慮や、国際炭素取引のルールから人権保護制度や女性の権利の尊重を取り除こうとする議論等、気候危機をさらに加速させるとともに人権を踏みにじるような内容でした。

 このような交渉状況に危機感を覚えた気候正義を求める市民団体、若者、女性、先住民族、労働組合等が連帯し、抗議の意思を表明するアクションを企画。

 

 そして、第二週目の水曜日14時40分、各国閣僚が交渉を実施する会場の前で、笛の音が響き渡りました。この合図の下、抗議参加者らは、本来の開催国であったチリを含む南米等で頻繁に採用される鍋やフライパンを叩いて注意を引く“cacerolazo(カスロラゾ)”という抗議スタイルに倣い、持参したカップ等を使って音を鳴らし、最後の交渉に向かう各国閣僚に人権を無視する市場メカニズムへの反対、損失と被害への資金援助の強化を訴えようと試みました。しかし、会場警備の強い指示の下、外へ移動。
 会場外に追い出され、会場警備の抑圧的な態度が強く感じられる中であっても、人々は動じずに声を発し続けました。人々から発せられたのは、気候危機を回避するためには社会的公正の実現が不可欠であること、女性への不公正や姉妹が受けた暴力への怒りと悲しみ、先住民族が代々管理してきた土地・森林・水が利益のために奪われつつある現状、未来への危機感、そしてそれでも立ち上がるという市民の歌でした。そして「ここで発せられている言葉は、世界で苦しむ何百万もの人々を代表している」と口を揃えました。

 抗議への総参加者数は約320人。抗議参加の有無にも関わらず、交渉の傍聴団体はこの日の会場の出入りを禁じられました。翌日から再入場を許可されたものの、抗議首謀者とされた市民3名は期間中の入場を制限されました。

 金銭的に限りのある途上国側市民団体の多くが帰国した閉幕予定日翌日の土曜日もなお、会場に残っていた市民社会は連帯し、人権を無視する市場メカニズムへの反対、損失と被害への基金創設、今の利益ではなく未来の世代を考えよと、”People Power, Climate Justice(人々の力が気候正義をもたらす)”と、訴え続けました。

 

 一時は気候変動対策強化から大きくかけ離れた方向に交渉が進んだものの、気候変動対策を後退させるルールは合意には至らなかったのは、このような市民社会による相次ぐ抗議の影響ともいえます。しかし、安堵できるわけではありません。最後の最後まで会場で繰り返し叫ばれた ”People Power, Climate Justice”が、さらに増してグラスゴーで響くよう、気候正義の下での人々の連帯が求められています。

下大和田 田んぼの水草(2)-オモダカのなかま-

水辺の植物同好会 (文)山田 寛治 (写真)梶野 敬二 

 下大和田の田んぼにはオモダカ、ウリカワ、ヘラオモダカなどがたくさん生えています。みなオモダカのなかまです。夏に可愛い花をつけるのですが、稲田に多く生えるのでお百姓さんには嫌われています。

1. 春~夏、

 田植えが終わって春遅く、稲の間からオモダカ、ウリカワ、ヘラオモダカなどが芽生えてきます。田んぼの底土の中に前年から埋まっていた根茎から芽が出てくるのです。 
 オモダカは典型的な水田雑草です。矢尻形の葉が特徴で、高さ50㎝ほどにも生長します(図1)。夏には白い花が開花し結実します。
ヘラオモダカも夏に大きく生長し、葉を茂らします(図2)。

   

2.秋、地中に塊茎を形成する
 秋になると、オモダカは根際から細い送出枝を伸ばして先に塊茎を形成します(図3)。冬には植物体の本体は枯れて消えてしまいますが、塊茎だけは地中に埋もれて越冬し、春になると芽を出します。塊茎は地下10㎝ほどの深さにあるので除草剤では退治できなくて、そのため強害草といわれるのです。
3.塊茎は食べられる?オモダカの栽培品種にクワイがあります
 ウリカワやオモダカに比べ、格段に大きな塊茎(直径3~5㎝)をつくります。芽をつける塊茎を「めでたい」と言ってお正月のお節料理に使うのです(図4)

   

20年目の谷津田観察会に参加して

市原市 南川 忠男  

 2020年1月5日の第240回目の谷津田観察会に野鳥を撮影するのが趣味の近くの友人と参加しましました。240回目は22名の参加で鹿島川の合流部まで行きました。前年の台風で一帯が水浸しになったのが下流の木の枝に引っかかっている枯草の高さで分りました。土水路が崩壊したり、倒木でいまだに水位が通常より40cmは高く、合流部までは3割くらい泥道でした。長靴がはまり、立ち往生の子供もいた。網代さんの案内で多くのメジロを見ました。アオジの腹の黄色が美しかった。猛禽類のノスリがいたので、小さい鳥はでてこなかったようです。

 

 2000年の2月に谷津田見学会という名で始まり、その4月から観察会の名で今まで20年もの間、1回も休まず、継続された主催者の網代春男さんの努力に感謝申し上げます。90歳になる年には60回を足して第300回となります。すごい偉業だと思います。今年の定年退職を機にできるだけこの観察会に参加しようと計画しています。


 2020年1月11日に下大和田実施した、どんど焼きと昔遊び(主催:ちば環境情報センター)で行われた「谷津田の小川でボートレース」で2位になった小橋力輝君から感想が寄せられましたので、掲載いたします。 

ボート ゴー ゴー          千葉市 小学二年生 小橋 力輝

 ぼくは、きょ年から竹とんぼがほしかった。それで、ボートレースにさんかした。 バチャ、バチャ、バチャ、という音を立てて、ぼうをつかって、ボートをすすめて行った。 「はぁ。」とつかれて、すこし休んだけど、たまたま水の力でぼくのボートが早くすすんで行った。「やったぁ!」と思ったけど、口に出さずに、ぼうで「えいやぁ、えいやぁ。」とボートをたたいた。 二位になった。竹とんぼがもらえた。とばし方も教えてもらったし、最高だった。

新浜の話25 ~大草原の小さな家~

千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子  

 1975年、行徳保護区の観察小屋に住み込む管理人を探しているという話を聞きました。行徳近郊緑地特別保全地区の造成工事は1974年度に終了し、市川市開発課から千葉県自然保護課に移管されていました。
当時の行徳では、旧街道沿いに広がった古くからの家並を別として、広大な造成地上には人家もまばらでした。大きな公園などの施設に住宅を建て、職員を住まわせて管理をさせる、というところが何ヶ所もありました。行徳駅前公園、湊排水機場、そして今の観察舎位置。他にもあったはずです。住み込む人間に管理者としてじゅうぶんな給与が出るわけではないけれど、家賃はただ。原則としては市川市の職員家族に入ってもらって、鍵の開け閉めや、必要時の連絡などをやらせる、というもの。
 戻って嘉彪に話したところ、思いのほか乗り気になりました。経緯や鳥のことを知らない人が入るよりは、自分たちが入る方が断然よいのではないか、やってみようよ、と。あちこちにお願いして推薦をいただき、当初は「管理のおばさん」として私一人だったところを、なんとか嘉彪も併せて(この年に日本野鳥の会事務局を退職していたので)、というところにこぎつけました。
当時、今の福栄4丁目かもめ自治会の住宅地は、一面の草原になっていました。かつての思い出深い丸浜養魚場が埋め立てられた一角です。丸浜養魚場の残りの部分は一段低い造成地で、江戸川左岸広域下水処理場用地になっていました。住宅用の造成地には既に道路が敷設され、たしか戸建ての区割りもできていたと思います。電柱や電線はまだなく、住宅建設が始まったのは、それから3年ほど経ってからのことでした。行徳野鳥観察舎(旧館)となる観察小屋は保護区の海に面した一角にぽつんと建てられたプレハブ2階建。1階が2DKの管理人住居、2階部分が観察室で、トイレと外階段がありました。
1975年12月1日。真新しい青竹の垣根と、支柱がついた何本かの庭木に囲まれた新居。引っ越し荷物を満載した軽トラックで私たちが到着したのは、約束に2時間も遅れた時刻でした。慣れない道の混雑もありましたが、何より荷物の積みこみに時間をとられました。最初からの遅刻のばつの悪さ。待っていてくれたオオバンクラブからの友人たちの笑顔に救われました。
陽光の降りそそぐ6畳間で、何人もの市役所の担当の方々から嘉彪が次々に鍵を渡されている間、私は大きな赤猫のチャコを抱きかかえ、3歳の公裕を隣に座らせてかしこまっていました。
 あわただしい引継ぎが終わって、役所の方々が引き上げ、公裕を連れた主人と友人たちは引っ越し第二弾の荷物運びに出発。私ひとりがぽつんと残されました。静けさの中(まだ湾岸道路は通っておらず、塩浜団地の造成工事もこれから)、押し寄せる冷気と不安。ところが、耳慣れないキイキイというかん高い声が聞こえてきました。すぐ目の前の導流提に止まったチョウゲンボウの雌に対して、雄が急降下をくりかえす求愛を始めていたのです。その瞬間、不安は消えてしまいました。新しくはじまる暮らしがどのようなものになるのか、見当もつきませんでしたが、その瞬間から、何があっても後悔はすまい、というふてぶてしさが身についてしまったようです。
大草原の小さな家の暮らしがスタートしました。


【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2020年3月号(第272号)の発送を3月6日(金)10時から千葉市民活動支援センター会議室(千葉市中央区中央2-5-1 千葉中央ツインビル2号館9階)にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。

編 集 後 記

編集後記: 1月末、孫と散歩途中フキノトウを見つけた。蕗味噌はほろ苦く春の味だったが、あまりにも早い。ニホンアカガエルの産卵も今年はほぼ終わったようだ。秋の大雨や台風被害と同様、気候変動による影響が目に見えて迫ってきている。温暖化防止に向けた行動に真剣に取り組まなければいけない。   mud-skipper♀