ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第277号
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千葉県立若松高等学校 四街道市 入村 信博
貝類は、昆虫類の次に種類が多い動物です。カタツムリなどの陸に棲む陸貝はとても多様で、大きさが2㎜程から7cmを越えるものまでおよそ1000種類が日本で知られています。触角の数が4本でカラにフタがないグループと2本でフタの有るグループに分かれます。ここでは触角が4本の仲間を紹介します。
オナジマイマイ |
①カタツムリ カタツムリは海からきた
今から約6億年前に地球上に現れた貝類は、5億年もたってから陸の生活が気に入って生活するようになりました。陸に上がってからは、空気中の酸素をとるために「エラ」がいつのまにか無くなって、「肺」に変化しました。水の有る所から進化してきたためにやはり湿った場所が生活の場となりました。
②キセルカイ こんなスマートなカタツムリもいます
この仲間は「煙管(きせる)」たばこを吸うための道具に似た姿をしています。人々の身近な場所にいても、あま目立たない種類です。日本のキセルガイはすべて左巻きです。
③ナメクジ ナメクジはカラのないカタツムリ
カラを背負って這い進む姿こそカタツムリの魅力の一つです。このカラ(カタツムリハウス)は貴重な生活必需品であり、簡単に捨て去ることはできません。ところがカタツムリの仲間から異端者が出現しました。ナメクジの登場です。カラを捨てたナメクジはカタツムリより湿気の多い場所を選んで生活しています。ナメクジの仲間にはカラを捨てきれず、その痕跡(退化したもの)を体の中に残している者達がいます。コウラナメクジ類がその仲間で体は灰黄色をしていて頭部背中側に楕円形の笠のような板(肉板といいます)を備えています。
この部分は渦巻き模様をしていて、カタツムリの貝殻の痕跡と考えられています。カラが無いので乾燥は苦手です身軽になった裸の王様ナメクジにはカラを捨てた苦しみがあるのです。
④コハクオナジマイマイ
九州出身のカタツムリ、日本全国に進出
私が追いかけているカタツムリは殻の大きさ2cm以下、日本全土によくいるオナジマイマイに似るが、巻き始めの肉の色は黄色か白色、光沢がある。殻薄いため、軟体部のコハク色が殻頂部分では、とくにはっきりと見ることができる琥珀色のカタツムリで一度見ると、大変印象的なカタツムリであります。このコハクオナジマイマイが約30年前から千葉県館山で確認され(Okamoto,1992)、その後分布の北上が確認されています(Seki
et al.,2002、岡本、2003)。コハクオナジマイマイもオナジマイマイも、人のくらしと共に移動している種類です。比較的乾燥に強く、都市部での環境に適応できるという性質をもってはいますが、移動能力の乏しいカタツムリが数百キロメートル離れて分布することは不思議です。
千葉市花見川区 岡村 淳輔
新型ウイルス感染騒ぎは今秋には丸一年を迎えることになる。8月下旬の新聞に政府分科会報告にコロナの感染者数は7月27日から29日の間にピークを迎えたようだ、と発表があった。ここでは2月15日から新聞発表のデータに基づいて感染者数の推移をまとめ、データ解析を試みた。
図1は2月15日をスタートとして日々の感染者数をプロットした。(なお破線は5日間の移動平均線) データを取り始めて60日目頃にピーク(第一波)を示し、その後三密、手洗い、マスクの励行の効果があって感染者数は減少を示し、100日頃には終結と思われたが、再び増加の傾向を示し、現在第二波に突入している。
図2は日々の感染者数を累積したものである。第一波で感染騒ぎが収まれば緩やかなS字のいわゆるロジステイック・カーブになるところだった。図中の黒丸は変曲点を示し、ここで増加にブレーキがかかり、曲線の曲率が急変するところ(上に凸から下に凸のカーブ)となり、図1の曲線のピークに対応する点になる。
現在の第二波では毎日の感染者数の変動が大きく、ピーク値が把握しがたいが、政府の見解では七月末を第二波のピークとみている。このまま減少して収まることを望みたい。
さて第一波でコロナ感染騒ぎが終わったなら、我が国はその対応、処置法は世界に誇れるものだった。しかしそうはいかなかった。そこで図3,4に第一波における変曲点前後をとりあげ、反省を込め詳細に調べる。
ロジステイックカーブにみられる変曲点は、マラソンで言えば折り返し点みたいなもの。もし復路も同じペースでいけたならばゴールの目途はつくはずで、復路は変曲点を点対称にした形(図中の破線)になる。変曲点では感染者数は約8000人であり、終着では8000人の2倍の16000人が予想され、100日頃に騒ぎは終わるはずだった。しかし図3または図4にみられるように、復路では終末近くに規制の緩和か気のゆるみか、再び上昇の傾向を示した。一時は感染者数が30人未満のこともあった。このコロナ騒ぎのルーツはある国のわずかな人数から拡大したもの。そのうえ一見健常者とみられる不特定多数の感染者(?)が居て、コレラ菌を広めている。少ない人数といえども無視はできない。それゆえ相変わらず三蜜、手洗い、マスクの着用は免れない。
さて第二波は7月末にピークを迎え、今や減少を示している。試算ながら終結はデータを取り始めた2月15日から250から270日(10月下旬から11月上旬)、総感染者数は約76000人とみているがどうなるか。
早く終わらせられるか否かは我々の行動にかかっている。今後とも動向を見ていきたい。
佐倉市 小西 由希子
2020年7月28日、知人の聞き取りに同行させていただき印旛沼を訪れた。
北印旛沼の南、甚兵衛公園のすぐ近くに、岸が浅く直接沼の水に触れられる場所がある。
思ったより水はきれいで沼底が見える。捨て置かれた小舟の中にも周りにもマコモ、ヨシ、ミソハギなどがパッチ状に繁茂し、庭園のようで美しい。沼岸に流れ着いたナガエツルノゲイトウやオニビシの切れ茎、オニビシの種子をしばらく弄んでいたら、こんなものを見つけた(写真)。プラスチックのごみは、海だけじゃないことに改めて気づいた。
漁協組合長さんによると、組合員は215名、5年前と比べて100人減り高齢者ばかりだそうだ。漁獲は主にモツゴやエビ。フナやコイは釣り堀には売れるがあまり売れないとのこと。エビを釣り餌用にと大阪の業者がたくさん買っていくようになって値が上がったとも聞いた。
ここで昭和59年発行の「漁協三十五年の歩み」を見せていただいた。設立の経緯や伝統漁法・漁具の紹介などに加え、サラリーマンをやめて漁師になった若者や水の汚染を心配する小学生の感想が寄せられていて時代を反映しているのがとても印象深い。淡水真珠の養殖まで行っていたと伺い、元気のよかった当時が彷彿とされ、宝物のような一冊をお願いして譲っていただいた。
漁協で養殖しているシラスウナギは利根川河口でとれるが、千葉県産だけを養殖しているのは県内ではこの漁協を含めわずか2ヶ所だけと聞いて驚いた。漁業水産センターでは、生粋の千葉県ウナギを使った鰻玉丼とナマズの天ぷらをいただいた。ふっくらして美味。
新運営委員 市川市 小田 信治
このたび、理事を拝命しました。2017年に建設会社を定年退職して、日本環境アセスメント協会で3年、現在は建設コンサルタントに勤めております。出身は兵庫県ですが、就職で上京して以来、千葉で40年になります。当センターには、2002年に入会しました。近所の子と我が子4人のメンバーで、こどもエコクラブをやっていたときに下大和田のYPPに参加したのがきっかけです。谷津田で生き物と、多くの方々と触れあえる魅力に取り憑かれて18年、これからもよろしくお願いいたします。
新浜の話31 ~観察舎新館~千葉県野鳥の会 市川市 蓮尾 純子利用者の急増で手狭になったプレハブ2階建ての旧館。1978年の利用者は3万名をこえました。一方で、裏の「大草原」では住宅建設がはじまりました。観察舎のすぐ裏を住宅2軒分でよいから公園に、という願い。今であれば、バードウォッチングや自然観察も市民に普及していることですし、ふくろ小路になっている住宅地の災害対策等としても、通ったプランかもしれません。しかし当時、蓮尾ふたりは鳥の保護を訴えて、市川市にも千葉県にもいわば敵対した側。あっさりと認めてもらえるわけではなく、筋ちがいではある。 新館(1979年12月26日オープン。2015年12月から無期限休館、2018年3月に廃館・同11月から年度内でとりこわし)は鉄骨コンクリート3階建て、2・3階は望遠鏡44基を設置した観察室で、事務室・図書室が2階に。1階は展示室と視聴覚室になっていました。 ○小学校の1クラスが一度に望遠鏡を見ることができるように。 ○窓ガラスは素通しでも望遠鏡の画像が歪まないものを。 ○図書室・視聴覚室を備えて。 基本で出したプランはしっかり生かしていただきました。いろいろと欠点はあったものの、以後36年間よく働いてくれた舎屋だったと思います。中でも回転式で高さが変えられる椅子は修理の必要も一度もなく、空色・オレンジという色彩はともかく、実によくできたものと感心しました。図書室のエアコンも大きな補修もなく36年間使い続けていました。 新館建設工事の最初は、「曳家(ひきや)」でした。プレハブ2階建ての旧館を、住んでいる蓮尾一家もろとも、30mほど南に曳いて移動させ、新館建設の場をあけたのです。まず、土台とその上の建物を切り離します。次は、建物の片側にジャッキをあてて(たぶん2m―1間ごとに1台、3台だったか)3人が歌で調子をとりながら(「よいとまいて よいとまいて(ソミラソ ソドララ)」少しずつ持ち上げ、15㎝ほど上がったところで角材を1本かませ、建物の反対側に移って同じことをします。 最終的にはたしか角材6本分、90㎝近くが土台から離れて持ち上げられ、風が吹くと揺れました。出入り口から地面までは1m以上もあるわけで、出入りには少々勇気が必要でした。 翌日はいよいよ曳家。ウィンチ1つ、ロープ(ワイヤロープだったか)を結んで、角材の下にはコロを並べ、がっちりした大柄の作業員さんおひとりがウィンチを回して、ゆっくり引きます。1時間もたたないうちに、旧観察舎は移設位置につきました。移設先の土台や管渠などの準備は事前にできていたはずです。建物を土台におろし、水道や下水管、電気などの配管をつないで、曳家終了です。 【発送のご協力について】ニュースレター2020年10月号(第278号)の発送は10月7日(水)10時から千葉市民活動支援センター会議室(千葉市中央区中央2-5-1 千葉中央ツインビル2号館9階)にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。 |
第247回 下大和田谷津田観察会とゴミ拾い 2020年8月2日(日)
谷津内にウシガエルの侵入が明らかになったのでワナを仕掛け捕獲を始めましたが、丁度1頭がかかっていました。先ずは特定外来生物のウシガエルの観察と説明から始まりました。
今日のクヌギの樹液レストランはカブトムシ13頭を始めカナブン、クロカナブン、オオムラサキ、ルリタテハ、サトキマダラヒカゲなどで大繁盛でした。
田んぼではギンヤンマ、シオカラトンボガ飛び交い、水面近くではオオイトトンボが小さい肢体を輝かせていました。道脇ではコオニヤンマも現れ、網を振ったお子さんもありましたが捕らえられませんでした。
ヌマトラノオが数株花をつけていましたが生えているところはイノシシに掘り返されていました。
参加19名(大人11名、小学生4名、幼児4名)
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第251回 下大和田YPP 「かかし作り」 2020年8月8日(土)
まず、稲の作柄を調べました。1株から稲穂が何本出ているか。1本の稲穂に何粒の籾がついているか、みんなでカウンターを手にして任意の2株、2本の稲穂を数えました。今年は稲の分けつが芳しくなく一株平均9本の稲穂ということで過去最低に並ぶ記録となってしまいました。7月中全く日照がなかったのが影響しているように思えます。
かかし作りは竹藪に入って竹を切り出す所からはじめました。枝を払い、骨組みを作り、服を着せて、と初めてのことに戸惑いながらも午前中でほぼ仕上がりました。千葉大学のデザインコースの方3名が研究のため来られ一緒に1体作りました。
午後は記念写真を撮り、田んぼに立てました。稲刈りが無事に終わるまで田んぼを見守ってくれることでしょう。
参加25名(大人15名、大学3名、小学生3名、幼児4名)
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しかし、今期は鳥や獣による稲の転倒被害が軽微であったことは幸いでした。8月16日には、小学校田んぼのかかし作りが行われました。熱中症の危険性が考えられる炎天下ではありましたが、夏休みに入っていた、大椎小とあすみ小の子どもたち合計9人が集まり、6人の大人のサポートの上、手際よく5体のかかしを完成させました。酷暑の基、今も個性的な顔の案山子達が小学校田んぼを見守ってくれています。 しかし、今期は鳥や獣による稲の転倒被害が軽微であったことは幸いでした。8月16日には、小学校田んぼのかかし作りが行われました。熱中症の危険性が考えられる炎天下ではありましたが、夏休みに入っていた、大椎小とあすみ小の子どもたち合計9人が集まり、6人の大人のサポートの上、手際よく5体のかかしを完成させました。酷暑の基、今も個性的な顔の案山子達が小学校田んぼを見守ってくれています。