ちば環境情報センター ニュースレター 

ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第200号 

2014.3.7 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 東日本大震災被災地の海岸で起こっていること・考えたこと(1)
  2.  ニホンアカガエルの一平
  3. 「我が家新築ものがたり⑤」 ~夢の上棟式~
  4.  貝のよもやま話13 台江国家公園干潟の貝

東日本大震災被災地の海岸で起こっていること・考えたこと(1)

東京情報大学総合情報学部 原 慶太郎 

 東日本大震災から3年が経とうとしています。2011年3月11日14時46分に起きたマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震とそれによって引き起こされた大規模な津波は、青森から千葉に亘る太平洋沿岸部の広域的な範囲に甚大な被害を及ぼしました。私は、東北で生まれ育ち、学生時代を仙台で送りました。大学の実習や研究で通った仙台平野の海岸域が壊滅的な被害を受け、その相貌は大きく変わりました。海岸部に居を構えていた親族の家が津波で流され、その家人の一人は津波にのまれ、一命を取り留めて発見されたのは、翌日の昼になってからでした。そのようなこともあって、この震災以降、仙台を中心とする東北地方の海岸域に通い、生態学者としてできることを在仙の仲間達と進めてきました。その主なものは、海岸域の生態系の被災状況と再生状況の調査や、それにもとづく市民を対象としたフォーラムの開催などですが、防潮堤や海岸林の復旧事業に伴うさまざまな問題に突き当たり、関係部局との対応が必要な場面も生じてきました。この稿でご紹介することは、そこで観たこと、感じたことの一端です。

   

津波が海岸エコトーンに与えた影響
 今回の東日本大震災では、これまで津波被害がたびたび発生した三陸のリアス海岸地域だけでなく、仙台平野を代表とする砂浜海岸を大津波が襲いました。この地域では、浅海から浜辺、防潮堤、湿地、海岸林、そして農耕地に至るエリアがひとつのシステムとして機能しており、我々はこれを「海岸エコトーン(海と陸が交錯する推移帯)」とみなし、仙台湾に沿った砂浜海岸域を対象として活動を進めてきました。震災後、私が最初に被災地に入ったのは、新幹線などのアクセスがようやく開通した2011年5月14日でした。新幹線を降りた仙台駅周辺は、2ヶ月前に震災があったことを感じさせないほどまでに復旧が進んでいましたが、仲間の車で海岸部に向い、津波の浸水域に到達すると、津波のすさまじい破壊力の痕跡が至る所に残り、水田の中に車や家の一部が取り残され、瓦礫(この言葉は好きではないのですが)の片付けがようやく始まったところでした。

   

 仙台湾岸には、伊達政宗によって築かれた貞山堀と呼ばれる運河が海岸線と並行しています。この貞山堀の海岸側と内陸側には、クロマツを主として、アカマツやアイグロマツ(アカマツとクロマツの雑種)からなる樹高15 m ほどのマツ林が拡がっていました。津波は、このマツ林を直撃し、根こそぎ倒れたり、幹折れしたりして流亡し消失したところがほとんどでした。そのなかで、仙台市若林区に位置する南蒲生では、マツ林が櫛の歯のように列状に残存したのです。我々は、そこに南蒲生モニタリングサイトと名付けた調査区を設定し、津波を乗り越えて生き残った生物たちの調査を開始しました。
 これから何回かに分けて、東北地方の海岸部で起きていることを紹介したいと思います。今回紹介した南蒲生モニタリングサイトの状況やフォーラム資料は下記のWebページから閲覧できます。https://sites.google.com/site/ecotonesendai/

 ニホンアカガエルの一平

緑区下大和田のコシヒカリの田んぼ在住 聞き手:市原市 南川 忠男 

 ぼくは下大和田で2年前に生れたニホンアカガエルのオスだ。昔、人間がこの湿地のハンノキを切り、根を抜いて開墾し、水深いが米作りをし始めた頃にぼくらの祖先は500m下流から移住してきた。冬でも田んぼにわき水がはいり、夏小さな昆虫が多いので繁殖してきた。ここはぼくらニホンアカガエルの天国じゃ。

 

 今年大人になったので、この2月に初めて交接をした。多くの仲間は南の斜面林の落ち葉の下で冬眠しているが、ぼくは深いあぜの中腹に穴を掘ってもぐっている。だからメスがやってくる一番近い所のあぜで待っていた。交接には場所取りが一番だぜ。
 2月2日に、ちば環境情報センターの人間たちが恒例のカエルの卵塊の数を数えていた。中央土水路に一番近いのがぼくのこどもたち。一塊に約千個の卵がいる。覚えておいてくれ。ぼくたちオスはあぜに向かって一列に並び、精いっぱいの声を張り上げてメスを呼ぶんだ。声を張り上げるといってもぼくたちニホンアカガエルは鳴き袋がないから耳を澄まさないと人間には聞こえないくらいだ。僕は場所取りも良かったから、メスが水に飛び込むのを一番に待ち、思いを遂げることができた。
 又、元の穴に戻って冬眠中だ。メスに出会えなかったオスたちは、次の日にくるメスをひたすら待っている。ぼくらは思いを遂げると、又、冬眠するんだ。」
 図は、卵塊の写真と網代おじさんが調べた過去5年間のYPP田んぼの卵塊の数で、去年は174個だったのでオス・メス合わせて348頭いたことになる。ぼくらが一番怖いのはサギだ。長い脚で水面に静かに立ち、注意い深く周りを見て、ぼくらの気配を察したら、すぐに鋭いくちばしでくわえる。
 ぼくらが一番怖いにはサギだ。長い脚で水面に静かに立ち、注意い深く周りを見て、ぼくらの気配を察したら、すぐに鋭いくちばしでくわえる。ほぼ逃げようがない。サギにたくさんの仲間がやられた。本当に怖い。サギにとってもえさの少ないこの時期の最高のごちそうになっているらしい。

   
ニホンアカガエルの卵塊(2009年2月1日 田中正彦)  卵塊の経年変化 

 ぼくらの一生はさぎにやられなければ長いが、この2月あぜ前の田んぼでメスを待っている時に周りのオス達に挨拶したら、ぼくと同じ2年生が10頭,3年生が3頭,4年生が1頭だったので、1年での生存率は1/3になる。厳しい世界じゃ。人間はニホンアカガエルの平均寿命がわからないらしいが、今のが大ヒントだぜ。
 春になると今度はへびが天敵になる。ひいおじいさんからのサバイバル術が伝承されており、へびががさがさ来たら思いきりピョンピョンを8回して、息をこらして枯葉か泥の下にもぐって待つように言われている。天敵は多いがこの下大和田はえさの虫が多いし暮らしやすい。
 この間、田植えのあと、かえるのジャンプ競争をしていたよ。ぼくのおじいさんも田んぼで昼寝している時に捕まり、競争に参加させられた。おじいさんは元太君という当時小学校4年生の男の子がタイミングよくお尻を押したので一番になった。あんなに続けてジャンプしたのはへびに追われた時以来だと言っていた。体は子供が触るのと暑いので干からびてくるし、のどは乾くわで、田んぼに返されてから半日皆寝込んだぜ。あれはもうやめてほしいなぁ。
 それから、運営委員の方にお願いがあるのですが、「友人がよくコンクリート土水路に落ちて困っています。この前もその子はママから北の林には餌が多いよと聞かされていたが、橋がなく、ママはきっとここを飛び越えたのかと思い、小さい体でジャンプしたら落ちてしまった。でも網代おじさんが11頭まとめて網ですくって助けてくれた。」聞き手・・・「2月20日の運営委員会でカエル橋設置を提案します」しばらくしてカエル君へ「委員会で承認されました」「やったー。皆にお触れを出します。5ピョンピョンいけば橋があるので、無理に水路を超えようとジャンプしないように」冬の水張り田んぼがあってぼくらは生きていける。いつまでもこの地で米作りが続いていくことをニホンアカガエルを代表して一平がお願いする。
 5月10日の田起こしは「こどもたちがオタマジャクシからカエルになって田んぼの中やあぜをピョンピョンはねているから注意深く鍬を入れてくれよ。それでは、5月に会おうぜ。      一平より

「我が家新築ものがたり⑤」 ~夢の上棟式~

東金市 中村 真紀 

 もしも新しいお家を建てるなら、「お餅投げをしたい」とずっと思っていました。今回はそんな私の夢がかなった1日を紹介させて頂きます。

 

 またまた晴天に恵まれた暖かな1月の吉日、前日から稗田さん立会いの元、大工さんと関係職人さん方々に作業して頂きました。枠組みだけだった我が家に山武杉の皮を剥いで作ってもらった大黒柱が入り、クレーンで次々に木材が上げられ、職人さん達の手で組み立てられました。大きな屋根と腰屋根まで見えるようになると、その屋根に予定より少し遅れて上棟式用の五色旗を立て、ご近所さんや友人、親族に集まってもらい、いよいよ餅投げスタートです。
 今回は、一升餅・四方餅などの紅白餅やお菓子、お金などを用意し、夫や実家の父、稗田さん達に投げてもらいました。空からお菓子が降ってくるなんて、最高ですよね。子ども達も大はしゃぎ、ご近所のおばあちゃん達も「最近めずらしいから嬉しい!」と声をかけてくれたり、皆さん楽しんでくれているようでした。
 今回、私の夢の実現のために協力して下さった皆さん(特に両家の母親達)に改めて感謝し、これからの工事の安全を願ってこの幸せをかみしめています。青空にたなびく五色旗の景色は、今でも私の心に焼き付いています。


      

 貝のよもやま話13 台江国家公園干潟の貝

          千葉港ポートパークかもめのクリーン隊 千葉市中央区 谷口 優子

 先月のニュースレターで小西さんの「台湾訪問記」が掲載されていましたが、最後に訪問された台湾南部の台江国家公園で採集した貝をいただきましたのでご披露いたします。
      
 もちろん行ったことがない場所ではありますが、貝の種類を見ているだけで(もちろん日本の貝とは種類は違うのですけれど)そこがどんな環境なのかだいたい想像ができるのがおもしろいです。
       
 カキ,ハマグリ,ヘナタリ類がいるということは内湾の干潟だということがわかります。しかもムラサキガイやハマグリが生息できるのは非常に水質がいいところだと推測できます。一昨年夏、わたしは沖縄の泡瀬干潟で貝の採集をしましたが、もっと貝の種類も採集した貝の数も多かったです。小西さんにお話を聞いたところ、今回の採集場所は貝の種類も数も少なかったそうです。ちょっと見ただけではまるでかつての東京湾の干潟の貝のようです。貝の色も非常に地味なものばかりです。沖縄よりはるか南にこのような干潟があるとは驚きました。
 (貝は千葉県立中央博物館の黒住先生に同定していただきました。)


 

おかげさまで200号   


                            ちば環境情報センター代表 小西由希子

 一人ひとりが考え行動していこうと、多様な分野の方々に寄稿していただいてきました。「こまちだたまおさん」や「つやまあきひこさん」にもずっと支えて頂いています。使用済み封筒をくださる方、封筒作りや郵送費節約のために手配りしてくれる仲間もいて、発行までに多くの手を経て皆さんの元に届けられるニュースレターは、まさに共に支え合う仲間の思いの賜です。
 情報通信は日々便利になっていますが、環境問題は深刻化しており、私たち一人ひとりが何を選び取っていくかが問われています。会員の皆さんと共により充実した紙面となるよう努めていきたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。

【発送お手伝いのお願い】

ニュースレター2014年4月号(第201号)の発送を4月7日(月)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。


編集後記: 1997年8月1日の創刊号から16年7ヶ月を経て、ニュースレター200号を皆様のお手元へお届けすることができました。月に1度ですが、1回も滞る事無く発行できたのは、ひとえに投稿してくださったり、ボランティアで発送作業を手伝ってくださった方々のおかげと、深く感謝しております。これからも環境情報センターにふさわしい記事を掲載していきたいと考えておりますので、ご支援のほどよろしくお願いいたします。  mud-skipper