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ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第254号 

2018.9.7 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 福島 阿部農園発 夏だより
  2. コラム2 「クルミの種子散布」(1) 
  3. 新浜の話 8 「埋立・吹き上げ方式」

福島 阿部農園発 夏だより

福島市  阿部 一子  

 農家の広い家といえども、クーラーのない家は、やっぱり暑く夜は、保冷剤をタオルに巻いて首を冷やして寝るのですが、あっちへコロン・こっちへコロン・布団の上にいられなくて畳の上にコロン。コロン・コロンでいつのまにか朝になります。日中も35℃までは“暑い”で何とか凌げますが、35℃を越えると“暑い”になり、体にこたえます。
 西日本では、いままでに経験したことのない大雨が降り、1日で80~100ミリの雨が降ったそうですが、こちらは、ほとんど雨が降らず、6月は、1ヶ月間の降雨量が26ミリで、1889年の統計開始からいままで経験したことのない小雨だったと地元紙が伝えています。7月も高温と晴天続きで、台風12号がようやく(夜だけでしたが)恵みの雨を運んで来てくれました。
 でも朝には早々と太陽が顔を出して、夕方には、すっかり地面が乾いていました。恵みの雨というには、あまりにも少ない涙雨でした。
 今、田んぼは、出穂期で、水の欲しい時期ですが、ほとんどの田んぼは、干上がって地割れしています。きゅうりやなすの葉も黄色になりつつあります。

 

 桃農家の人が水不足で大きい実が少なく、贈答品を作るのが大変だと嘆いています。梨の実も同じ福島市の小雨の中で育っていますので、今年は小玉傾向と言われています。
 JAふくしま未来では、連日の雨不足に市内の神社で「雨乞い」の神事をしたとか・・・。こんなことくらいしかできることがないんですよね。こちらは「雨乞い」が功を奏すことを祈るのみです。
 91才のマサ子さんは、おいしい野菜を作り、老人会の役員なので颯爽と自転車で通知配りをしています。
 良造さんの首は、ほんとうに良くなってきました。ご心配をおかけしました。一子は、相も変わらず(歯以外は)元気なオバさんしています。放射線監視装置、通称モニタリングポストが学校・幼稚園・保育園の校庭・講演や公共の施設にあります。
 2018年3月20日、原子力規制委員会の定例会合で福島県内に約3000台設置されている放射線量を測定するモニタリングポストを避難区域が設定された12市町村の約600台を除く2400台を撤去すると決めました(放射線量が低下し、安定している地域での連続した測定は必要がなくなったとの理由から)。
 7月の市政だよりには、地上1mで、毎時1マイクロシーベルトを越えるホットスポットが、9829ヶ所 → 2555ヶ所に減少したと書いてありました。まだ、福島市内にはホットスポットが、2555ヶ所もあるということです。
 私の住む地域には、仮置場以前の、仮・仮置場がないので住宅除染で出た汚染土は今なお住宅の敷地内に置かれています。他の地域では、運び出されてホッとしたという声がきかれますが、こちらはまだです。汚染土と一緒に暮らしています。
 学校の校庭も2019年度の終わりまでには、すべて運び出しを完了する予定(市政だより)。
 2020年3月31日までには、完了ということらしいです。まだ汚染土が身近にあるというこんなじょうきょうでモニタリングスポットの撤去には反対です。
 これから先に、廃炉作業が終わるまで、何があるかわからないので身近で放射線量を確認出来るモニタリングポストを置き続けて欲しいと思います。
 急ぐ必要は、こちらには無いのですが、原発事故の収束と福島の復興した姿の中には“じゃまもの”ってことなんでしょうかね。

コラム2 「クルミの種子散布」(1) 

哺乳類研究者   香取市 濱中 修 

植物は種子を遠くに散布する
 植物は、種子から芽を出し、いったん地面に根を張ると、もう自由に移動することができません。生育に適した環境が他にあっても、いったん芽を出してしまえば、そこに移動することはできません。だから、いろいろな手段を使って、種子をあちこちに移動させます。それが種子散布です。

   

 テイカカズラやキジョランなどは、樹上につるを伸ばし、つるの先に花を咲かせ、実を結びます。実の中には、綿毛が生えた種子ができて、実が熟して割れると、種子は風に乗って遠くに運ばれていきます。綿毛がパラグライダーの役割をするのです。
 タンポポは、やせ細った実の先端に綿毛が付いていて、実は風に乗って飛んでいきます。実の中に種子があるのですから、やっぱり種子は風によって散布されます。

   

 オナモミの実は、「ひっつき虫」として、よく知られています。実には、先端がかぎ針になったとげがあり、釣り針と同じように、引っかかるとはずれません。とげが動物の毛にからみついて、実が遠くまで運ばれることになります。すなわち、種子が動物によって散布されます。

くるみは転がり,水に浮かぶ
 何の絵かわかりますか。オニグルミの実です。オニグルミは、実が房になって枝先に実ります。それぞれの実は、外側を軟らかい皮(外果皮)が被っていますから、全体で一房の果物のように見えます。その中に、堅い殻(中果皮)に包まれた「くるみ」が入っています。それを割ると、薄い皮(内果皮)に包まれた種子が現れます。私たちは、それを食べます。オニグルミの種子は、三重の果皮に包まれているのです。

 

 オニグルミの丸い実は、熟すと、1つずつばらばらになって落下し、地面で弾んだり、ころころ転がったりして、落ちた場所から、少し離れたところに移ります。重力を利用して、実がオニグルミの木の真下に留まらないようにしているのです。
 オニグルミの木から地面に落ちた実は、すぐに外果皮が腐って、中果皮が表面に現れます。これが、皆さんが知っている「くるみ」です。くるみは、水に浮かびます。だから、洪水になると、水面に浮かんで、遠くに運ばれます。
 くるみは、運ばれた先で芽を出します。オニグルミは、種子散布に水の流れも利用しているのです。だから、オニグルミは川沿いに多く生えています。

アカネズミとリスはくるみを食べる
 くるみは、中身(種子)がとてもおいしく、栄養価も高い。しかし、くるみは、堅い殻に包まれていますから、それに穴を開けたり、2つに割ったりしなければ、中身を食べることができません。日本の野生動物で、くるみを食べることができるのは、アカネズミとリスだけです。
 アカネズミは、あごの骨と頬の筋肉が発達しています。だから、前歯で囓って、くるみの殻に穴を開けることができます。丸い穴の開いたくるみが、オニグルミの木の下に落ちていたら、アカネズミがやってきたのです。アカネズミは、そこでくるみの中身を食べて、立ち去って行きました。
 リスは、くるみの殻の割れ目に前歯を当てて、くるみを2つに割って、中身を食べます。リスが割ったくるみには、リスの前歯の跡が残っていることもあります。

リスは隠したくるみを忘れてしまう
 私たち人間の歯の並びを見てみましょう。私たちは、前歯を4本もっています。前歯のことを、正式には切歯といいます。前歯の両隣に糸切り歯すなわち犬歯が1本ずつあり、その奥に奥歯があります。奥歯は、手前が小臼歯で、奥の方が、大臼歯です。小臼歯は、上下左右に2本ずつあり、大臼歯は、上下左右に3本ずつあります。
 ネズミやリスの歯の並びは、私たちとだいぶ違います。彼らは、切歯が2本で、犬歯はありません。ネズミには、小臼歯もありません。ネズミの奥歯は3本の大臼歯だけです。リスには、3本の大臼歯の他に、小臼歯が1本ずつあります。
 糸切り歯(犬歯)がなく、前歯の数も奥歯の数も少ないため、ネズミもリスも、私たちとは違って、前歯と奥歯との間に広いすき間ができています。そこに木の実をはさんで、運ぶことができます。
 でも、くるみは大きすぎて、アカネズミの口に入りません。リスの口には、くるみが入ります。だから、リスは、くるみを歯のすき間にはさんで、運ぶことができます。

 

 秋、オニグルミは、実をたくさん実らせて、木の下に落とします。リスは、それを遠くに運んで、落ち葉の下の土の中に、浅い穴を掘って隠します。冬は、リスの食べ物が少ない季節です。だから、秋のうちに食べ物を貯えておくのです。
 リスは、冬の間、隠しておいたくるみを食べていきます。でも、ときどき隠した場所を忘れてしまいます。リスが運んだくるみの一部は、運良く食べられずに春を迎え、親の木から遠く離れたところで芽を出すことができます。こうして、オニグルミの木が増え、大きな林ができていきます。リスは、オニグルミの林をつくる動物なのです。

クルミはたくさんの方法で種子を散布する

 種子散布は、それぞれの種類の植物が子孫を増やし、生き残るための戦いです。たくさんの戦術を使ったほうがよいに決まっています。
 オニグルミの実は、枝から離れると、重力によって加速されるため、地面に衝突した後、弾んだり、転がったりして、木の真下には留まらない。種子の重力散布が行われるのです。
 オニグルミの実は、外側が腐って、殻に包まれたくるみになります。くるみは、水に浮かんで、遠くに運ばれます。種子の水散布も行われます。
 そして、オニグルミは、リスが冬の食べ物を貯えるという貯食習性までも、種子散布に利用します。種子の動物散布が行われます。
オニグルミは、3つの戦術を使って、種子を散布しています。            (つづく)

新浜の話 8 「埋立・吹き上げ方式」

千葉県野鳥の会  市川市 蓮尾 純子 

 新浜カウントグループ(現在は新浜倶楽部)が新浜全域(江戸川放水路と江戸川本流に囲まれた行徳・浦安地域)の鳥の個体数調査を行った1966年~1968年は、このあたり一帯の干潟や湿地全体が埋め立てられている最中でした。
 1960年代といえば、1964年の東京オリンピックに代表されるように、終戦から15年以上を経て、「もはや戦後ではない」というスローガンのもと、東京や大阪を中心とした都市圏がすさまじい勢いで開発された時期です。1960年代から1970年代の間に、東京湾では内湾の浅瀬や干潟のほとんどが埋め立てられました。
 このあたりの海面埋立は「吹き上げ方式」で行われました。巨大なサンドポンプで海底の土砂をけずり、鋼矢板で周囲を囲んだ造成予定地に、太さ90㎝もある鉄パイプ(サンドパイプ)で海水といっしょに流し込む方法です。たいへん効率がよく、工事開始からほんの2、3年のうちに、浅い海や干潟は陸地に変わって行きました。流し込まれた泥水は端の方から乾いて行き、周囲の鋼矢板のそばは人が歩ける程度の固さになります。乾燥前の広大な泥水の水たまりは人が近づけず、シギ・チドリ類やカモ類などの大群が入っていました。サンドパイプの終点(泥水の吐き出し口)には貝殻まじりの砂が周囲よりも小高くつもり、やがてコアジサシやシロチドリの好む繁殖場所になりました。
 泥水の流し込みが終わり、埋立地が乾いて人や工事用の車両が入れるようになると、水たまりが排水され、道が作られ、やがて牧草の種子が蒔かれて、広大な大草原が出現しました。浦安の明海・高洲のあたりは、1990年代まで30年以上もそのまま放置された場所で、1994年ごろには草原やアシ原、灌木の茂み、湿地などが残り、チュウヒやサンカノゴイなど広大な湿地帯をこのむ大型の鳥(おそらく繁殖)も記録されています。
 ただし、吹き上げ方式には大きな問題がありました。まず、土砂が採取された海底に残る巨大な穴。深さ数メートル、直径数十メートルもの穴は、もともと冨栄養的な東京湾奥部では、夏に無酸素水塊をため、青潮の被害をもたらすことになりました。もう一つ、泥水をかきまぜて流し込むと、粒の大きい砂が先に沈み、粒子がこまかいシルトや粘土を大量に含む泥水が表層に残ります。これはなかなか乾かず、造成後数十年を経ても不安定な地盤の原因になります。

 それでも効率や経費の点で圧倒的に有利だった吹き上げ方式は、1960年代から1980年代にかけて、東京湾内湾の干潟をほぼぜんぶ埋め立てるのに用いられました。今も、世界各地の干潟で稼働しているのではないか、と胸が痛みます。
 行徳・浦安地域では1962年の浦安の漁業権一部放棄から、1964年に海面の大規模な埋立工事が始まりました。現在の東野・弁天から、美浜・海楽・今川・鉄鋼団地。カウントグループでは、このあたりを「新大陸」と呼んでいました。「新大陸」はやがて大草原になりました。
 埋立地の手前端、現在の東野3丁目か弁天4丁目の一角には、おそらく順化のために若木が植えられ、「小鳥の森」と呼んでいました。埋立地では小さな木立でも大事なよりどころで、渡りの時期には数多くの小鳥が記録されています。
 今川橋の先、入船・日の出・明海・高洲地区は1,2年後、埋立地の沖につぎ足すような形で埋め立てられ、「新・新大陸」と呼んでいました。後に東京ディズニーランド(埋立地の造成当時はオリエンタルランドと呼ばれていた)になる舞浜の埋立は、1970年代はじめと思います。もとは「大三角」と呼ばれ、葛西三枚洲へとつながる河口域の広大なアシ原が広がっていたところです。

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編 集 後 記

 8月3日、乗鞍岳剣が峰(3026m)に登頂しました。山はいくつも登りましたが、出会える生きものが少なくなるという理由で、3000m級には登ったことがありませんでした。乗鞍岳は2702mまでバスで行けるので、3000m級制覇とはいえませんが、酸素の薄さを感じたり、雪渓を見たり心に残る体験でした。    mud-skipper