ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第123号
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市原市 南川 忠男,埼玉県北本市 柳沼 薫
各種イベントを盛り上げるために、風船がよく使われ、楽しませてくれています。マリンスタジアムでラッキー7の回に打ち上げるジェット風船は、落ちるのが主に客席なので、回収されゴミとして燃やされます。一方、ヘリウムガスなどを入れて飛ばす風船は、どこに飛んでいくのかわからない上に、電線やアーケードにひっかかったり、海の上に落ちれば魚やウミガメがエサと間違えて飲み込んだりします。
5月、幕張の海岸でのクリーンアップで、ジェット風船とは別の風船が、3個まとめて拾われました。とっさに、マリンスタジアムで行われたプロ野球開幕戦で空に放たれた風船ではないかと疑いました。JEANの大倉さんが球団関係者に聞き取りをしたところによると、当日は水溶性の風船を使用したとのことでした。結局、海岸で回収した問題の風船は、別のイベントで使用されたものだったわけです。
水溶性の風船は、値段は4倍しますが、生きものへの被害や回収の手間は、従来のものよりも少なくなります。サンフランシスコ市ではこの3月末より年商2.3億円(200万ドル)以上の大きなスーバーやデパートでは、レジ袋を生分解性のものに切り替える条例ができました。猶予は1年半ありますが、目標を定め、規制していくことで、欧米は取り組みが迅速で改善が促進されます。風船に関しても、水溶性のものを使うことをアピールすることで、風船から環境を考える良い機会だと思います。
しかしながら、水溶性の風船であっても、飛ばすことが結果的にゴミをまき散らしていることになるならば、やはり積極的には賛成できないというのが、正直なところです。みなさんは、いかがでしょうか。1998年2月の長野冬季オリンピックの開会式で1998羽の鳩の形をした紙風船が飛び立ち感動したことを思い出しました。紙風船ですが、優雅に 羽ばたきながら飛んでいく様子は、このような大会の演出に欠かせないものと思われます。科学技術が発達して風船の材質も環境への負荷が考慮されてきて、生分解性の風船が出回りますが、やはり天然ゴムで作られた風船を放出用風船とするようなきまりが経済的にも合理的ではないでしょうか。
放出される風船は、その原料を天然ゴムとすること。又、糸など持ち手をつける場合、天然ゴム風船と同等の生分解性持つ木綿糸や輪ゴムなどを使用する事などの放出用風船のガイドラインを日本ゴム風船商工会も作成しております。又、蒸着フィルム使用のものや自然環境で生分解しないものは使用しないことが環境汚染を少なくすると思います。通常、上空8キロメートルまで上昇した風船は、外気が零下40℃の中で硬化し、気圧の低下で既に約7倍に膨張しています。この高さでゴム膜が破裂して粉々になって地上に落下することになるのですが、放出したのと同じ場所には落ちず、偏西風に乗って遠く太平洋に落ちていると予想されます。筆者は中学生の時に、手紙を吊るした風船を一斉に空に放した経験があるのですが、鈴鹿山脈の山の向こうの滋賀県の方から返事がきました。そんな学校行事がありました。何度も山登りしていますが、風船ごみは見かけたことがありませんでした。
千葉市若葉区 高田 宏臣
街の公園について
公園を英訳するとパーク(Park)、そして駐車場を英訳するとパーキング(Parking)となります。この語源をご存知でしょうか。
その答えは、馬車の時代から続く欧米で流行った街作りの手法にあります。
つまり、道路の両側を公園化し、それが住宅地であれば家を一定の距離、道路から後退させて建てるのです。後退した部分に家を立ててはならず公園のように美しく緑化することが、今でもアメリカの住宅地のコンセプトになっております。
公園化された道路沿いのスペースは公園(Park)と呼ばれ、車社会の到来と共にそこに住民が車を駐車(Parking)するようになったのです。
このスペースは私有地でありながらも一定の拘束力を持って街全体の環境改善に寄与しているのです。「街の緑は皆のもの」という考え方は、日本では残念ながらはるかに遅れておりますが、欧米ではごく当たり前の考え方なのです。イギリスのカントリーを歩いた方であれば、Public Footpass(私有地内の公共遊歩道)という、個人の敷地内を自由に歩かれた経験があるのではないでしょうか。
こうした、土地の公私を越えた住環境思考はこれからの美しい街つくりを考える上での大きな鍵になる気がいたします。
日本では街つくりにおいても公私の区別が非常に厳密で、これが統一感のある街並みつくりを大きく妨げているのです。
個人の庭、街路樹、公園、これら街の緑地は都会砂漠の中の単なる個別な点や線であってはならず、これらを有機的に繋げながら街全体を公園化してゆく事を考えていければ、どれほど美しく快適な街になることでしょう。街全体の公園化、地域性のある公園化、住民皆さんで力をあわせて、千葉市を先進モデル都市として実現できれば素晴らしいと思うのです。
千葉市美浜区 高橋 久美子
連日の真夏日で、暑さに弱い私は、不安を抱えての参加でした。
「お子さんが参加するなら、講師やってくれない?」「あっ、いいですよ。」安易に何でも引き受けてしまう性格(?)を悔やみながら、息子と息子の友達を連れて、初めてエコ体験スクールに参加しました。受付のお手伝いやフィールド・ビンゴのスタッフ、午後は顕微鏡の観察を・・・と思いきや、隣で始まったクモ合戦に夢中になってしまいました。少しでも誰かの役に立ちたいと思いつつ、いつも人はそっちのけで、自分が楽しんでしまう無責任さが露呈してしまいました。・・・ちょっぴり、反省しています。
照りつける真夏の太陽の下、田んぼのあぜ道に、虫網を持った子供たちの群れる姿を目のあたりにして、「あぁ、これこそが夏の子供たちの自然な姿だ」と妙に感動してしまいました。昔、・・いつのころか私には判断しかねますが、少なくとも私が子供だった頃は、親は仕事や家事に忙しく、子供たちは野原や林で遊ぶのが日課でした。カブトムシは買う物ではなく、自分で捕まえるものでした。海があれば海で泳ぎ、川があれば川に飛び込み、山があれば山に登る。この木に触るとかぶれる、この時期に海で泳ぐと、くらげにさされる、日常の遊びの中から、子供たちは多くを学び、自分を守る術を自然に身につけていったのでしょう。
いつの間に、外で子供たちが遊ばなくなったのでしょうか。都市部に住む子供だけの問題でしょうか。今、私たちは、子供たちを、塾やお稽古事に忙しく通わせたり、ゲームやテレビを与えたりしています。わざわざ親に谷津田の様な場所に連れてきてもらわなければ、カブトムシ1匹自分では捕まえられない。そういう状況に子供たちを置いています。もっと別の育て方があるにちがいない。こんな状況に子供たちを置くのは不自然だ。そう思いつつも、子供たちを野山から遠ざけ、自分の力で工夫して遊ぶ楽しさを奪っているのです。でも、それは誰の責任でしょうか。私たち親が悪いのでしょうか。いいえ、一部の大人だけの責任ではなく、社会全体の責任です。効率や経済を優先させ、子供たちにとってどんな影響があるかまで考えもせず、売れるものなら何でも作り、売りまくる。次世代を担う子供の教育に、もっと、社会全体が関心を払うべきではないでしょうか。
でも、まぁ、とりあえずは、また谷津田に子供たちを連れてきましょう。
新米主婦のえこ日誌 B
山武郡大網白里町 中村 真紀 |
発送お手伝いのお願いニュースレター11月号(第124号)の発送を11月 7日(水)10時から事務所にておこないます。 |
編集後記: 手入れをしている下大和田の里山で、先月シイタケが発生しました。2006年3月26日の野草を食べる会の時に、コナラに植菌したもので、1年半かかって秋の実りとなりました。9月15日にはシイタケと思えぬほど大きく傘を広げ、我々の胃袋に収まりました。里山のめぐみを感じた瞬間です。 mud-skipper