ちば環境情報センター ニュースレター第107号

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2006. 6. 7発行    代表:小西 由希子

目 次

  1. ホーチミン環境ワークショップ体験記
  2. 蘇我 の カワウ
  3. 北京は今日も曇天
  4. 集団回収って知ってますか?
  5. ちば環境情報センター総会と交流会のお知らせ

ホーチミン環境ワークショップ体験記

千葉市稲毛区 福満 薫 

 ベトナムの夜は騒がしい。涼しい風に流れる夜景、頬を寄せてのお喋りを楽しむため、ノーヘル2人乗り,3人乗り,4人乗りといったバイクが熱帯夜の街中を走り回っている。私もその熱気に誘われ、夜中の散歩に出かけることにした。
繁華街に近い公園のベンチは、噴水の涼を求める地元の人々ですでにいっぱいであった。水辺に座り、噴水をなにげなく覗いたところで愕然とする。ストロー付紙コップ,ポリ容器,ビニール袋,……ゴミで水面が埋め尽くされていたのである。今回のワークショップのテーマは「環境に対する住民の意識改革」。楽しそうにゴミをつついて遊ぶ子どもたちを尻目に頭を抱えてしまった。

ホーチミン市(アンカイン地区 ホーチミン農業大学にて環境ワークショップ
(2006年3月23日)

ところが、である。朝になってあのゴミを撮影しようと再び噴水公園を訪れたところ、今度はゴミが一つも見当たらない。誰か掃除したのだろうか?そもそもどうしてあんなたくさんのゴミが?こうして、たくさんのハテナと共に私のホーチミンワークショップ体験が始まった。
下水道を整備しても、市民の捨てるゴミにより排水溝が詰まるといった問題により、インフラの整備だけでない市民の環境に対する意識改革の必要性を感じた国際協力銀行(JBIC)と、ベトナムのホーチミン市やフエ市の低所得者地域で環境改善を含めた社会開発に取り組んでいるNGOブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)、そして手賀沼における水質改善の経験を持つ千葉県によって、今回、3日間にわたる「住民参加型生活環境改善事業ワークショップ」は、開催された。千葉県からは、総合企画部国際政策室の加瀬文彦さん,環境研究センターの小倉久子さん,それに「人民代表」(とベトナム側には紹介された)の3人が参加し、「人民代表」の一人が私である。
ワークショップでは、千葉県からは手賀沼浄化を巡っての啓蒙活動,市民運動などについて、ベトナム側からは「まずは住民にお金(排水処理費)を支払うことについて理解してもらうことが必要」,「分別したビニールごみを業者に売却することで収入が得られるが、それを回収する環境公社のほうで、再度ごみを一つにまとめてしまうことが問題。」「わかったと言っても、行動が変わらない」といったような意見も飛び出すなど、活発な意見交換がなされた。
一日目の午後はホーチミン市内の視察。中心地からバスで30分ぐらい離れた場所へ行くと、墨を流したように真っ黒な川のわきに表札もポストもない、バラック風の家々が立ち並んでいる。このように日本的な啓蒙活動(パンフレット、チラシ配布など)が通用しないような場所も多く、BAJでは、就学支援のための補習教室やお絵かき教室、川沿いでの植林など子ども達と環境活動を行い、分別をしたビニール袋を売った資金を地域へ還元しているという。1枚ならただのゴミでも、数キロ集めればお金となり、実際に地域に遊具や街灯ができるようになると、大人も参加するようになるのだそうだ。また、いわゆる貧困層の人々の方が身の回りの環境改善に対して前向きだともいう。都市に住んでいる人には、自分は捨てる人であり、清掃員が拾うのだから平気という意識が少なからずあるという。そういえば繁華街ではそこここで作業服の人がせっせと掃除をし、市民は飲み終わった紙コップを残して立ち去るいたちごっこをよく目にした。噴水公園でもなにげなく大量のゴミが捨てられ、明け方に清掃局の人が一気に掃除したのだろう。
「本当にその川はきれいなのか、汚いのか。まずは住民に川を意識してもらうことから」とは手賀沼浄化運動においての言葉である。あの噴水公園では、暑いのにもかかわらず水遊びする子どもは皆無であった。水に入れないのが当たり前ではないということ、自分達が捨てるゴミや排水がどこへ行き、環境にどのような影響を与えるのかということなど、市民も新しい視点を持つことが求められるだろう。

蘇我のカワウ

千葉市緑区 小田 信治 

 私は東京への通勤で、蘇我駅で外房線から京葉線に乗り換えます。JR蘇我駅のホームに降りると、床にカワウのレリーフがあるのが目に入ります。カワウのレリーフは、各ホームをつなぐ階段の登り口と改札ホームの各階段の降り口にありますが、気づいている人はあまり多くないでしょう。蘇我とカワウには深い関係があるのです。
●大巌寺のカワウ
蘇我駅から南へ約1.2qのところに大巌寺があります。京葉道路沿いで、淑徳大学の隣に位置しています。大巌寺は天文17年(1548年)に建立された歴史のある浄土宗のお寺です。かつて、このお寺はカワウで有名で、境内の森は巨大なカワウの生息地(コロニー)となっていました。昭和10年に国の史跡名勝天然記念物に指定され、当時、5万羽のカワウが営巣していたと記録されています。周辺の住民は、夜、境内の森に入り、カワウを驚かすと口から魚を落とすので、それを拾って朝食のおかずにしたというほどです。また、森の中にはワラを敷いて、カワウが落とした糞を取り、田や畑の貴重な肥料として利用しました。こうしたことから蘇我の人々はカワウを大事にしたとのことです。しかし、昭和47年以降、境内の森からカワウはすべて姿を消してしまいました。大巌寺の境内には、かつてカワウがいたことを記念した「鵜の森の塔」が建っています。また、大巌寺の近くには「鵜の森町」という地名が残っており、地域がカワウを大事にしてきたことを知ることができます。蘇我駅ホームのカワウのレリーフには、こうしたいきさつがあったのです。 

蘇我駅改札口ホームのタイルのカワウ 番線ホームのカワウのレリーフ

●カワウがいなくなった理由
蘇我のカワウがいなくなった時期は、まさに日本の高度経済成長の真っ最中で、千葉市の港湾整備、京葉工業地帯の埋め立てが盛んな頃でした。また、東京湾とそこに流れ込む河川は、水質汚濁がひどい時期でもありました。カワウは餌となる魚が取れず、採食環境が悪化したために、コロニーが縮小、壊滅したものと考えられています。その他、農薬(DDT等)による繁殖障害があったかも知れません。いくら、コロニーを文化財保護法で史跡名勝天然記念物に指定して守っても、海や川の環境も守らないとだめなケースの典型です。蘇我で昔から育まれてきた生き物(カワウ)との関わりの文化を公害が破壊した例と言えるでしょう。
●今、カワウは
当時、全国的にカワウをはじめ、多くの水鳥が減少したことが知られていますが、1980年代後半からカワウの生息数が各地で回復しています。これは、河川や海域の水質が改善したためと考えられています。しかし、今までカワウが見られなかった地域や河川の上流部にまで飛来して、川魚を捕ったりするようになり、今度は、漁協とのトラブルが発生しています。カワウは漁協が放流したアユを大量に食べるため、有害鳥獣の対象として駆除している地域もあるようです。また、カワウのコロニーでは、大量の糞が地面に落ちて、強い酸性の糞で土壌が変化し、樹木が枯れる被害も増えています。都内の浜離宮庭園は、現在はカラスのねぐらとなっていますが、一時期、カワウが営巣して、重要文化財である浜離宮庭園の樹木を枯らす被害が多くなり、文化庁と野鳥の会がどちらを保護するかで、大げんかの事態となりました。今は、湾内の台場へコロニーを移動させることに成功し、事なきを得ています。全国では、カワウが樹木を枯らす、糞がくさいなどの苦情があり、問題となっています。

大巌寺の鵜の森の塔 蘇我 鵜の森町の地名標識

蘇我の大巌寺では、地面にワラを敷いて糞を取り、貴重な肥料として利用していたし、また、カワウはご存じの鵜飼いとして便利に使われるなど、人の生活の中で共に生きていました。我々日本人が生き物と共存していた頃は、問題にならなかったことが、生活スタイルが激変した現代では、農業も漁業も大きく変わり、カワウは邪魔者になってしまいました。自然との共生とはなんだろう。その問題を蘇我のホームでレリーフとなったカワウは私たちに問いかけているように思います。

北京は今日も曇天

千葉市中央区 高橋 克行 

 ニュースレター102号に「黄砂研究最前線」を掲載していただいたおかげで(?)、今年は久しぶりに黄砂の話題を耳にしました。おまけに4月18日には千葉にも18年ぶりに黄砂が飛んできました(ただし、目に見えない黄砂はもっと来ていると考えられています)。今年、黄砂が多かった原因について中国では気温が高く降水量が少なかったためと発表されています。日本では大きな被害はありませんが、お隣の韓国では学校が休みになり、発生元の中国では亡くなる方もでるほど、黄砂は人々の暮らしに影響しているのです。
こうした背景から日本、韓国、中国そしてモンゴルの4カ国が協力して黄砂問題に取り組むプロジェクトが始まっています。私はその一部をお手伝いするために、長崎(日本)と北京(中国)で黄砂の観測を行いました。
どちらの地点にも2時間おきに空気中の塵(ちり)を集める装置を置いて、その化学成分を調べています。フィルターの上に集めた塵の色は、黄砂が飛んで来たときと、そうではないときで目に見えて違うことがわかりました。写真は3月11日から12日にかけて4時間おきに長崎市内で採集した粉じんです。普段は黒っぽい塵の色が黄砂のときは黄色いのです(カラーだとよくわかりますので、ぜひWebページでご確認ください)。黒っぽいのは油を燃やしたときに出るすすが主な成分で、黄色っぽいときには砂(まさに黄砂)に含まれる成分が多くなっていると予想されます。こうして中国と日本で同時に同じ方法で観測を行い、黄砂が飛んでくる間に成分の変化があるのかないのかを調べ、大気中でおきている現象を研究しています。

 3月12日8時3月12日0時 31116  3月11日8時
写真:3月11日から12日かけて長崎市内で4時間おきに観測した大気粉じんの色。
3月12日8時(左端の丸)に黄砂が飛来して、黄色くなった。

北京は2008年に開催されるオリンピックの準備が急ピッチで進められ、都市の開発は目覚しいものがあります。 しかし私が4月26日に訪れたとき、北京は激しい大気汚染でした。この空気が長い旅をして日本まで来ている可能性があります。 北京の大気汚染は、隣の国の問題だけでなく、日本にも関係しているのです。もう無関心ではいられません。 国立環境研究所ではアジア地域の環境改善に貢献するための研究をこれからも続けていきます。

集団回収って知ってますか?

千葉市稲毛区 深山 貴道 

 千葉市の清掃工場で焼却されるごみのうち、紙が占める割合は40%を超えているそうです。
紙の原料は木です。砂漠化がもの凄い勢いで進んでいますから、出来る限りリサイクルしていかなくてはいけないでしょう。
千葉県のリサイクル率は常に全国TOPレベルとなっています。
千葉市も当然高いリサイクル率を誇っているのですが、それでさえこの状態です。
さて、皆さんは集団回収という古紙布類の回収方式をご存知でしょうか?全国各地に同じような仕組みがありますが、掻い摘んで説明いたしますと地域の町内会や子供会などが協働して古紙類を集めて、それを古紙回収業者が回収するという仕組みです。もちろん紙であれば何でも回収・リサイクルが出来るというわけではありません。リサイクルに適さない紙も多数存在しますから、そうした紙類は焼却するなどして熱エネルギーとして有効利用するしかありません。
さて、この集団回収によって千葉市では大体年間26,000dの古紙布類がリサイクルされています。集団回収という仕組みは地域の結びつきがなくては成立しません。昔のようにちり紙交換の車が走ることはマレとなっていますからリサイクルしようと考えている方にとってこの集団回収というシステムは非常にいいものだと思います。但し、この集団回収は千葉市全域で行われているわけではありません。
集団回収にとって一番大事なのは住民の地域との関わりの度合いだと思っています。
隣人すら知らないという人が町内会などに加入するのでしょうか?こうした人達にとってリサイクルに限らず地域の情報自体が近くて遠いものになってしまう気がします。
今は少子化によって子供会の人数がどんどん減っているようです。町内会や老人会も高齢化が進んでいると聞きますしここでも少子高齢化が問題となるようです。
僕はこの業界にいますから町内会等がなくてもどうにでも出来ますが、もし他の仕事をしていたら確実に可燃ごみに出していたと思います。何しろ近所付きあいも面倒なものですから。しかし、僕のような考えを持つ人は昔なら変わり者だったはずです。時代によって価値観は変わっていくのだと思うのですが、普遍的なものもたくさんあるのでは?と我が身を振り返り思うのです。・・・自省。

ちば環境情報センター総会と交流会のお知らせ

2006年度NPO法人ちば環境情報センター総会を、下記の日程で実施いたします。2005年度の会計報告や活動実績報告,2006年度の予算や活動予定など審議します。総会の後は、簡単なお菓子などをつまみながらの交流会を予定しています。初めての方も大歓迎です。会員皆様の御参加をお待ちしております。

日 時:2006年6月24日(土) 10:00〜14:00
<総会10:00〜12:00,交流会12:00〜14:00>
場 所:NPO法人 ちば環境情報センター事務所  参加費:交流会のみ500円


発送お手伝いのお願い ニュースレター7月号(第108号)の発送を 7月 7日(金)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。


編集後記:5月6日コシヒカリ田植えの時、水稲農林1号を試植しました。コシヒカリは1944年、農林22号を母に,農林1号を父として新潟県農業試験場で交配され、1956年にコシヒカリと命名されたそうです。農林ナンバーは水稲農林100号。今をときめくコシヒカリとその幻の父親を下大和田に見に来ませんか。mud-skipper