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ちば環境情報センター > ニュースレター目次>ニュースレター第217号 

2015.8.7 発行    代表:小西 由希子

目   次

  1. 国立市のさくら通りの街路樹伐採問題 その後
  2.  千葉県にすむ哺乳類 7  シカ
  3. 第20回 都川川遊びに参加して

国立市のさくら通りの街路樹伐採問題 その後

㈱高田造園設計事務所代表取締役 千葉市緑区 高田 宏臣  

 「国立市のさくら通りの街路樹伐採問題に際しては、今年1月、環境情報センター関係者の皆様にたくさんの署名のご協力を賜りました。遅くなりましたが、この紙面にて、心からお礼申し上げたいと思います。
 皆様のたくさんの署名が、国立市民の継続的な活動に繋がりました。道路改修工事とそれに伴う一部の桜伐採については、残念ながら、計画通りに実行されましたが、伐採後の断面を見ますと、樹木医診断によって伐採の決め手となった樹幹空洞率の数値がでたらめと言ってよいほど、実情とかけ離れていたことが明らかになりました。
 今も、緑を愛する国立市市民の、「街路樹と共生できる街づくり」を目指した活動は、終息するどころかますます高まっております。
 「危険だ」とか、「落ち葉掃除が大変」などと言う理由で、次々と伐採、あるいはぶつ切りの剪定がなされてしまいがちな街路樹をどう守り育ててゆくか、これは国立市だけの問題ではなく私たちの街の身近な問題でもあります。
 そうした思いで、国立市のサクラ通りの伐採問題に関わらせていただいてきました。
 前日、7月18日、国立市主催の街路樹診断勉強会が催され、サクラ通りの診断に関わった樹木医達による街路樹診断の説明やサクラ通り桜伐採診断の報告が行われ、その後の質疑の初頭に、質問させていただきました。
 その問全文を掲載させていただくことで、今の街路樹診断の問題点についてお考えいただければ幸いです。

<国立 さくら通り質問>

 まず、今回実施されたサクラ通りの街路樹判定、これは東京都建設局公園緑地部の街路樹 診断マニュアルという、マニュアルに基づいた診断と判定であります。そして、今日の説 明も通り一遍のマニュアル通りで、それ以上に踏み込んだお話しは一切ございませんでし たので、いくつか質問したいと思います。
 まず、今私の手元に、東京都建設局の街路樹診断マニュアルの、平成26年度改訂版があります。改訂版と言いますのは、このマニュアルは平成10年に作られて以来、何回も改訂 が繰り返されています。それは、先ほどの街路樹診断協会の方の説明では「街路樹診断のノウハウは日進月歩で進化している」と言いますが、実際にはまだ確立途上で完成されて いない段階のものだというのが適切だと思います。

 

 実際にさくら通りの伐採木の断面を見ても、腐朽率50パーセントと言いながら実際には もっとずっと小さな空洞でしかなかったわけです。そして、腐朽率診断機器の信頼性につ いての問題は、平成24 年街路樹診断マニュアル改訂検討会ですでに指摘されています。そ れなのに、実際にその謝った診断結果をもとに伐採が行われたことに対して、きちんと検 証する必要があります。
 滝川さんにまず、お尋ねしたいのですが、滝川さんのこれまでのお仕事の中でも、今回のC判定のサクラよりも、はるかに衰弱して危険性の高い樹木の改善をなされた経験は当 然おありだと思います。
 一般的に私たちが、樹木の診断や対処の依頼を受けるケースと言うのは、もっとはるかに切実に樹木の損傷が進んできてからのケースがほとんどです。
 根株も腐朽して、大きな枝枯れも進んで、それこそ皮一枚で生きているように見える状 態であっても、木に生きようとする力がある限り、多くの場合は危険性回避と樹木の健康 状態の改善が可能であるということは、樹木の治療や生育環境の改善に現場で向き合っている人であれば、お分かりになるはずだと思います。
 だからこそ、2月の意見交換会の際に、たった2 週間で、造園や樹木治療の現場に職業として携わる者やその関係者だけで300名以上の伐採見直しの署名が集まったのです。
 なぜこれだけの署名が集まったか、それは できうる手立てを何も打たずに、不健全と診断された木々をすぐに伐採しようとする行政の姿勢に対しての多数の専門家の反対意見として受け取っていただきたいと、私たちはそう考えておりました。
 滝川さんの判断については、客観的な街路樹診断として、マニュアルに基づきこうした判定を下されること自体はある意味当然のことかもしれません。
 しかし、その判定に対して、伐採以外に手立てがなかったと本当にお考えなのであれば、それは木々を愛する市民も、そして木々の回復に生業として関わっている私たちのようなものにとっても、今回のように行政が何回説明会を主催されたところで、決して納得されないことは間違いない、それほどボタンのかけ違いがあるということを認識していただき たいと思っております。
 私は2月8日の意見交換会で伐採見直しの立場から意見を言わせていただきましたが、その際に改善方法も代案も提案いたしました。その後も担当の江村さんや市長にも直接面談して、少なくとも伐採の前に、風圧を軽減するための適切な剪定と、樹木を支える根っこの生育促進措置を試みて経過を観察するという手順を踏んで、その結果を見て改めて伐採の必要性を判断するという手順をとることを提案いたしました。
 その根拠として、私たちが現場で行う土壌の通気浸透改善措置の効果は、あの程度の状態のサクラであれば、支持根の伸長にも細根の発達に対しても即効性があることは日頃やっていれば分かることなので、とにかくやってみて結果を見て欲しい、その作業は場合に よっては私たちがボランティアでやっても構わないし、その後の経過観察期間は1年が無理なら半年でもよいからと、そう申し上げました。
 根っこの通気改善も水圧を用いた簡易的な方法を用いれば、コストも時間もかけずに簡単に実施できる現実的な方法だというお話も市長や江村さんにいたしましたし、また最近では練馬区の公共施設での景観木において、樹木医がこの方法を提案して実施して結果を出しているというお話も聞いております。
 しかしながら今回、当初1月に予定された伐採が中止になって6月に再開するまで半年もの時間があったにも関わらず、何の改善措置をもなさなかったということに、私は行政や市長の誠意を疑わざるを得ませんでした。6カ月もあれば、改善の措置とその結果判断が できたのです。
 佐藤市長は、「さくら通りの伐採は自分にとって苦渋の選択」と言いましたが、それが本心ならこの木々を活かすための、現実的に可能な手段を試みるべきであって、「切迫した危険性がある」などと言いながらこの6カ月もの間、何の手立ても試みなかった行政の姿勢 に対しても、決して承服できない面がございます。
 マニュアルに基づいた判断は客観性が大切ですが、不健全と診断した木に対してどういう手だてを提案できるかは、その樹木医の経験値や考え方によって様々であるのが現実です。
 まして今回、これほどまでに市民に愛されている景観であり、宝と言うべき木々である上に、道路工事に伴う改修なのですから、一般的な街路樹と違って、打てる手段もたくさんあるわけであります。それを検討もせず試みもせず、「危険だから伐採した」などと言っても決して納得などできないのです。
 このことについて、樹木医認定制度創設者で日本緑化センター樹木医研修講師の堀大才先生の、今年 2月の指摘がとても参考になるので、紹介したいと思います。
 以下、堀先生の言葉です。
 「危険度診断は責任の重い仕事だ。「安全だ」といって事故が起こると裁判沙汰になることもある。行政はそれが一番怖いので、すぐ立ち入り禁止にするか伐ってしまう。
 木を切ってしまうと、木が持っている環境保全機能、景観をよくする機能など、様々な機能が失われてしまう。木の機能を最大限に保全しながら、共存をいかに果たすかが重要だ。
 木を伐るということは、いろいろな対策を検討した後の、最後の手段だ。現代では大部分の役所は最初から伐ると決めてしまっているが「危険だからこういうふうにしましょう」と提案できるように、市民がよく知ることが重要だ。」
 以上が今年の2月28日に小平市で行われた樹木診断ワークショップでの、掘先生の言葉 です。
 こうした問題について、これまで国立行政がやってきたことを見ても、国立市と契約した樹木医さんのお話を何度うかがっても、この問題は解決できない、だからこそ、視点を変え、様々な意見を参考にできることをやるしかないと、そう思っております。
 いかがでしょうか。 

千葉県にすむ哺乳類7 シカ

哺乳類研究者 香取市 濱中 修 

 7月19日(日)、静岡県で、電気柵によって2人が感電死する事故が起きました。マスコミは、当初、シカからアジサイをまもるために設置されたと報道していましたが、事故の翌日から、動物からアジサイをまもるためと表現を改めました。
 シカの侵入を防ぐためであれば、電気柵は必要ありません。高さ1m前後の普通の柵を周囲にめぐらせれば、十分です。電気柵を普及させたのは、サルやイノシシです。事故は、電気柵の急速な普及によって、「シカを防ぐにも電気柵だ」とかんちがいして、安全装置のないものを、かってに設置したことで起きました。

 都市生活者にとって、思いもよらない負担が、いなか暮らしにはあります。鳥獣対策も、その1つです。サルやイノシシの侵入を抑えると同時に、シカの侵入も防ぐとことができるという理由で、千葉県南部にも電気柵が普及しています。
 シカの骨は、千葉県全域の縄文遺跡、すなわち貝塚から出土しています。そのころ、シカは千葉県全域に、たくさんいました。
 その後、シカの生息域はしだいにせばめられ、数も減少していったと思われます。それでも、残された記録にしたがえば、江戸時代初めころまで、千葉県北部にも、シカがいました。
 明治時代になり、性能のよい猟銃が普及すると、シカの個体数は激減し、生息域もせばめられていきます。終戦直後には、シカの生息地が、清澄山がある天津小湊町とその周辺だけになり、絶滅が危惧される状態になりました。そのため、シカを保護する対策がとられます。
 シカの数はしだいに回復し、1980年代には、シカによる農林業被害がでるところまで、数が増えました。保護対策が行われたことで、シカの数が増えたというように、単純に考えてはいけません。
 1960年代まで、房総半島中央部には、雑木林が広がっていて、薪炭林として活用されていました。シカは、その中で人々と共生して、平穏に暮らしていました。

 1960年から1970年にかけて、エネルギー革命とよばれる燃料の切り替えが起こります。家庭でも、薪や木炭が使わなくなっていきます。その結果、雑木林は伐採されて、スギなど、建築材になる針葉樹の苗が植えられていきます。
 植林して十数年を経た人工林の林床には、シカの食物になる植物がたくさん育ってきます。植林が、ほぼいっせいに行われたことで、シカの生息地に、その食物があふれることになったのです。シカは食物に恵まれ、爆発的に数を増大させました。その結果、シカによる農林業被害が顕著になり、有害駆除が必要になったのです。
 1986年から、鴨川市と天津小湊町(現在は合併して鴨川市)で、本格的なシカの駆除が始まります。銃による無計画な駆除は、シカを再び絶滅の淵に追いやることになります。千葉県は、1992年から天津小湊町で、シカの生息密度調査を開始しました。私は、1995年3月18日から19日に行われた第4回の調査に同行させていただきました。
 房総丘陵地帯の山々は、どれも低いのですが、急峻です。切り立った斜面を上り下りしなければなりません。私の現在の体力では、足手まといになったことでしょう。調査に同行したことで、急峻な山々にまもられて、ここにシカが生き残ったということがよくわかりました。
 現在、千葉県は、いろいろな制限を設けたうえで、シカ猟を許可しています。そして、銃を使った有害駆除が、シカ猟とは別に行われています。房総のシカには、強い狩猟圧がかかっています。
 シカの学名は、“Cervus nippon”、まさに「日本の鹿」なのです。シカは、私たちの責任で、後生に残していかなければならない動物の1つです。私たち千葉県民は、房総のシカの行く末を、今後も、注意深く見まもっていかなければなりません。 



 

ご寄付のお願い

 今年も「千葉市少年自然の家」で福島県伊達市の子どもたちを招待して  「フレンドシップキャンプ」(YMCA主催)が開催されます。昨年同様福島からの交通費(バス代)を応援したいと思います。ご寄付よろしくお願いします。

  払込口座(記号、口座番号):00130-3- 369499
  加入者名 : 特定非営利活動法人 ちば環境情報センター
  通信欄に「フレンドシップキャンプに寄付」と明記ください。 


           

第20回 都川川遊びに参加して

     大網白里市 有馬 啓晃 
 今年で記念すべき20回目の開催となった「都川川遊び」に、初めて参加させていただきました。
 都川の中流域、多部田橋付近で開催された川遊び。当日は大勢のファミリーや学生、スタッフが勢揃いし、田んぼの広がる何の変哲もない川の土手に、今人気の何とか戦隊がやってくるのでは?といった賑わいぶりでした。
 会がはじまり、講師の田中正彦氏(県立千葉高校教諭)の「魚の採り方講座」では、分かり易い言葉と身振り手振りや実演を交えた解説に、子供たちが目を輝かせ、釘付けになって聞き入っていた姿が印象的でした。何とか戦隊なんて目じゃありません。
 安全について十分な説明があった後、「それでは川に入りましょう」の合図がかかるやいなや、子供たちが歓声をあげながら一斉に川の中に入っていきました。水辺にはハグロトンボが優雅に舞い、子供たちが網を握りしめて一心不乱に生き物たちと戯れている。その様子は、かつてどこかで見たことがあるようでない日本の原風景のようであり、子供たちの笑い声と、それに合わせて踊る水しぶきを、しばし感慨にふけりながら眺めていました。
           
 3歳になる私の娘は、そんな「先輩」たちの様子に鼓舞されたのか、父の心配をよそに物怖じひとつせず川に入り、胸までつかりながらも、はしゃいでどんどん上流へと進んでいきました。急にたくましく成長したような娘の姿を目の当たりにし、「子供は自然の中で自然と育つものなんだな」などと思った瞬間でした。川で採れた生き物は、メダカやホトケドジョウ、アメリカザリガニやタモロコなどの他、ミシシッピアカミミガメなどの外来生物もいて、都川の生物の豊かさとともに、生態系の中に入り込む外来種の存在についても考えさせられるものでした。
 ところで、川の中ではしゃぎまわっていたのは子供たちばかりではなく、大人も夢中で楽しんでいたように思います。中には我が子をほったらかして(?)生き物採りに没頭していた大人も少なくなかったのではないでしょうか。夏の暑い日差しの中、湧き水が注ぐ川は冷たく心地よく、誰もが時間を忘れて川遊びを楽しんでいました。
 今回、スタッフとして前日の草刈りからお手伝いさせていただきましたが、子供たちが安全に安心して川遊びができるよう、様々な配慮をしながら活動するみなさんの姿がありました。こうした方々に支えられて、素晴らしい会になっているのだなとつくづく思いました。
 このような活動の輪が広がり、より多くの子供たちが水と生き物と触れ合う機会が増えると良いなと心から思います。 

【発送お手伝いのお願い】

 ニュースレター2015年9月号(第218号)の発送を 9月 7日(月)10時から事務所にておこないます。発送のお手伝いをしてくださる方を募集しています。よろしくお願い致します。

編集後記: 千葉市中央区蘇我地区を候補地とした指定廃棄物処分場に反対する署名が1万人を超えました。やはり声を上げなければと思う多くの人の気持ちの表れです。70年を経て初めて思いを語る戦争体験者の声を聴き、多くの国民が反対している安保法案、やはりあきらめずに声を上げていかなければとの思いを改めて強くしました   mud-skipper♀